第46回放送教育研究会東北大会(岩手大会) パネルディスカッション


メディアリテラシーと教科学習の接点を探る


【パネリスト】
  東北学院大学教養学部講師   稲垣  忠氏
  水沢市立水沢小学校教諭    佐藤 正寿氏
  山形県米沢市立南原中学校教諭 金  隆子氏
  NHKエデュケーショナル   箕輪  貴氏

【コーディネーター】
  岩手県立大学教授       鈴木 克明氏
ksuzuki@soft.iwate-pu.ac.jp
http://www.et.soft.iwate-pu.ac.jp/

自己紹介から

コーディネーター 皆さんこんにちは。岩手県立大学ソフトウェア情報学部の鈴木と申します。岩手に来て7年ぐらいになりますが、こんなに立派なホールがあることを僕はきょう初めて知りました。何かレトロな感じで、パイプオルガンなどがあって、これがどういう音を鳴らすのかと想像するだけで楽しくなってきます。そんなセッティングの中でパネルディスカッションを進めてまいりたいと思います。  テーマとしては「メディアリテラシーと教科学習の接点を探る」ということで、これにふさわしいパネリスト4名の方を今回はお招きいたしております。まず最初に、このパネルディスカッションを始めるにあたりまして、結論というか、きょうはこれだけを言って帰りたいという一言メッセージも含めて、それぞれのパネリストの方に自己紹介をしていただいて、それからパネルに入っていきたいと考えております。

 それでは皮切りに、東北学院大学の稲垣さんから、よろしくお願いいたします。

稲垣忠 皆さん、こんにちは。東北学院大学教養学部の講師をしております稲垣忠と申します。情報教育、教育工学を専門として、小中高の現場でいろいろなかたちでかかわらせていただいております。このパネルで一言いうべきこととしては、大会主題が「学びをはぐくむ—教育メディアの活用」ということですが、その中で、メディアリテラシーはどこに位置づけられるのか。実際に学力をきちんと付けていこうとすると、メディアリテラシーを考えざるを得ない状況にきている。そういったことについてうまくお話しできれば、と考えております。どうぞよろしくお願いします。

コーディネーター よろしくお願いします。続きまして、岩手県水沢市立水沢小学校の佐藤さん、よろしくお願いします。

佐藤正寿 水沢市立水沢小学校教諭の佐藤正寿です。私は3年前からNHKの学校放送番組の番組協力員をやらせていただいています。きょうは、それらの番組を通しての教育実践、その中でデジタルコンテンツの気軽な活用、ならびにメディアミックスについてお話ししたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

コーディネーター どうぞよろしくお願いします。続きまして、山形県からおいでいただきました金さんです。

金隆子 山形県の最南端、吾妻山のふもとに位置します南原中学校で国語科を担当しております金と申します。いま私はこのような場におりますが、情報機器には全く疎い者でした。私のような者が、NHKの番組を使ってどのようにメディアとかかわっていったかをご報告したいと思います。勉強させていただきたいと思います。よろしくお願いします。

コーディネーター 最後になりましたが、番組制作者の立場からご発言いただきます、NHKエデュケーショナルの箕輪さんです。

箕輪貴 皆さん、こんにちは。NHKエデュケーショナルから来ました箕輪といいます。私はふだん、NHKの教育番組を制作しています。主に小学校向けの英語の番組や、今回のテーマに関係しているメディアリテラシーとか、そういった情報教育に関する番組を作っていますので、きょうは先生方の実践を聞かせていただいて、会場に来た先生方に、NHKにこういう番組がありますという、なるべく多くの情報をご提供したいと思っています。よろしくお願いします。

コーディネーター それでは、以上の4名の方を中心にして、もし時間が許せば、最後のほうで会場の方からもご意見をいただきたいとは思っているのですが、何分、この4人は、話しだすと止まらないのですね。先ほども昼ご飯を食べながら、どういうパネルにしようかと話していたのですが、もう既にパネルディスカッションが始まってしまっていました。一体メディアリテラシーとは何なんだとか、情報活用とどう違うんだとか、教科の学習にどうなんだとか、あんたの考えはおかしいとか、なんだかんだ、もう始まってしまって、その続きからやってもらうと、会場に来ている人は何のことだかよく分からない。ですから、巻き戻して最初からやってください、とお願いしてございます。  まずは、何はともあれ、小学校の実践と中学校の実践をご報告いただきます。そこからスタートしてパネルを進行していきたいと考えています。まず、小学校の実践の佐藤先生からお願いしたいと思います。お手元の資料の10、11ページに概要が記録されていますので、それを参照されながらお聞きいただければと思います。

佐藤実践:学校放送番組とデジタル教材で価値ある学習活動をつくる

佐藤正寿氏

 私のテーマは「学校放送番組とデジタル教材で価値ある学習活動をつくる」というもので、主張点は二つあります。一つ目は「番組と番組ホームページのデジタル教材を気軽に活用しよう」ということです。特にこの「気軽」という点がキーワードです。

 二つ目、「メディアミックスの良さを生かした学習活動をつくろう」。キーワードは 「メディアミックス」です。

 私自身、3年前からNHKの番組とかかわらせていただいています。きょう、報告するのは、昨年度、5年生を担任したときの「おこめ」、これは総合的な学習の時間の実践です。それから、今年度は6年生を担任しておりまして、「にんげん日本史」、これは社会科の内容です。

 皆さんにちょっとお聞きしたいのですが、おこめの番組をご覧になったことがある方、手を挙げていただけますか。はい、ありがとうございます。結構いらっしゃいますね。「にんげん日本史」をご覧になったことがある方、はい、ありがとうございます。どちらも私にとっては現在の実践では本当になくてはならないものです。

 最初におこめの実践についてお話ししたいと思います。まず、おこめの番組自体もそうなんですが、おこめのホームページにいちばん大きな特徴があり、それを活用した気軽な授業をしています。まずこのホームページの特徴を簡単に紹介いたします。

 私は大きく三つにかかわって活用させてもらいました。まず一つ目は、番組をホームページで見ることができる。これは、いままで番組活用というと、先生方はどうしてもビデオの録画などをやられていたのですが、まず録画する必要がなくなって手間が省けたことはもちろんですが、ホームページで見られることによって、子供たちも気軽に見ることができるようになった。これは非常に大きなことでした。

 というのは、子供たちはいままで、教師がビデオを再生しないかぎり、見られませんでした。それが、あの場面をもう一回見たいな、調べ学習で使いたいというときにも、子供たちが自分の手で見られるようになる。

 また、おこめのホームページにはクリップ教材があります。これは1テーマにつき2分から3分程度で説明した動画です。いわば動画の百科事典のようなもので、調べ学習で非常によく活用させてもらっています。そして電子掲示板というものがあります。これは、子供たちがおこめのテーマを通してほかの学校と気軽に交流学習をするものです。

 例えば、具体的にホームページを紹介すると、まずこれがおこめのホームページで、ここで実際に番組を見られます。クリップ教材とありますが、例えば冷害のテーマだったらこのように8個あります。子供たちが実際に冷害について調べる際に、ここの一つひとつの場面を自分のテーマに基づいて簡単に見ることができます。

 掲示板というのは、今年度は「にんげん日本史」のテーマに入っているので入っておりませんが、昨年度はこの「おこめクラブ」というものに学年ごと入っておりました。この中で「会議室で話そう」というものがあります。ここで子供たちと一緒に教師も交流しながら、電子掲示板を使って交流をしていました。交流した相手校は県外のほかの3校です。全部で4校で交流しておりました。

 通常の交流学習であれば、機械の設定が大変だなあとか、掲示板をやるにしても大変だというところがありますが、このクラブに入っていれば、登録するだけで簡単に交流学習ができます。そういう点で、交流学習のハードルが高いと考えている先生方にはお勧めのホームページですし、気軽に交流学習をするのには最適な中身だと思っております。

 クリップ教材については、普通、子供たちが調べ学習をするとき、インターネットの資料だけではなく図書館の本も活用します。ところが、例えばおこめのテーマについて子供たちが図書館の本を調べようとすると、どうしても本の数が限られているのです。40人の子供たちに、本校の場合、おこめのテーマの本はわずか5冊。これは当然、子供たちは調べることができないのです。ところが、このクリップ教材なら、全員がインターネットを使って調べることができます。いわば百科事典が全員に与えられているような環境になる。そういう点で、クリップ教材は子供たちの調べ学習のときも非常に有効だったなと思っております。

 このようにホームページは、番組視聴、クリップ教材、電子掲示板、この三つを使った気軽な活用ができます。

 次に、「にんげん日本史」です。この番組は、人物中心に歴史を描いています。小学校の歴史学習は人物学習中心ですので、その点では非常に活用しやすいです。しかも、一つの流れで構成されていますので、導入、展開、まとめが番組の中で成り立っています。今回、取り上げるのは雪舟なんですが、このホームページの中にクリップ教材としてとても素晴らしいものがあります。

 例えば雪舟が描いた「四季山水図」という図があります。教科書にはこれと同じような写真が1枚だけ載っているものです。ところが、実際に雪舟が描いたのは16メートルもの大作です。なんとかしてこの16メートルを見せたいと思えば、通常であればその16メートルの山水図が載っているホームページなどから写真をコピーして、それを拡大して印刷してということになるでしょうが、この場合、クリップ教材に16メートルの「四季山水図」があります。教室でクリップ教材、動画で端から端までずーっと写したものを子供たちに見せました。すると、やはり本物の迫力ですね。子供たちの反応が違います。

 単なる1枚の絵だと思っていたのが、16メートルをだーっと流すことによって、「いやぁ、雪舟ってすごい。よく描いたな」という反応が子供たちから自然に出てきました。これもデジタルコンテンツを気軽に活用できる良さだと思っています。

 また、教師の教材研究として、私はデジタル教材が発想を変えるのではないかと思っています。例えば雪舟の番組にこんなシーンがあったのです。雪舟は50歳を過ぎてから中国に渡って、さらに水墨画の修業をしました。室町時代の50歳ですから、もうとうに平均寿命を超えていて、非常に高齢です。ちょうどその映像があったものですから、私は子供たちに聞きました。「なぜ雪舟は、危険なのに中国に行ったのか」。これは中国に渡るときも危険なんですが、命の危険もあったわけです。すると子供たちは、そこまでして行動する雪舟の思いについて考えます。「やっぱり、水墨画の本場の中国に行って学びたかった。そしてそれを日本に広めたかったからじゃないか」といった話し合いが続きました。

 以上が1番の「番組と番組のホームページのデジタル教材を気軽に活用しよう」という部分です。

 では、大きな二つ目、「メディアミックスの良さを生かした学習活動をつくろう」ということに入ります。メディアミックスは、いくつかのメディアを組み合わせた実践というように私はとらえています。例えば、おこめの番組+クリップ教材、そして学習活動として討論活動を仕組みました。おこめの番組の平成15年度の4回目が「農薬を使わない米づくり」という番組です。そして5回目が「農薬無しではやっていけない」、いわば相反する番組の内容でした。

 そこで、両方の番組を同時に見せ、子供たちに「あなたたちはどちらの派ですか。農薬反対派ですか、農薬賛成派ですか」と問い掛けました。するとぴったり、学級36人のうち18人が反対派、18人が賛成派に分かれました。最初、反対派が多くなるのではないかと思っていたのですが、そこは番組のつくりのうまさで、賛成の方の本音がずばり番組に出ていたから、うまい具合に分かれたのかなと思いました。

 そこで、ここですぐに討論に入るのではなく、ではそれぞれ根拠を探しましょうということで、クリップ学習で調べさせました。その後、討論です。もちろん討論が盛り上がったことは言うまでもありません。

 そして、1年間のおこめ学習の集大成として、ホームページづくりとビデオづくりを行いました。ここでビデオづくりなんですが、ほかの番組も活用することにしました。活用したのは「体験!メディアのABC」という番組です。これは、メディアリテラシー番組、小学校高学年向けの番組です。例えば、ビデオの撮影の仕方を学んだり、キャッチコピーをつくったり。

 またメディアそのものについて考える番組もあります。そのうちのキャッチコピーやビデオの撮影という回を利用して、子供たちに、どうやってビデオをつくったらいいか、考えさせました。最終的に、おこめのビデオづくりでおこめの内容自体を振り返ることもできたのですが、同時に、メディアリテラシーの視点も深めることができたと思っています。

 私自身、これら二つの活動のために何が必要かなと考えますと、明確な目的を持った活動をしなければならないのではないかと、実践においては考えています。ただ単にデジタルコンテンツを活用したからいい、番組を見せたからいい、メディアをミックスさせたからいいというわけではないと思います。  ただ、まずは気軽に取り組むこと、最初は気軽に取り組むことが大切だと思っています。そのために、NHKの教材が実際に手元にあるわけですから、気軽に取り組んだうえで目的を持った活動を考えていけばいいのではないかと思っています。以上です。

コーディネーター どうもありがとうございました。総合的な学習の時間に使う「おこめ」という番組、そして「にんげん日本史」は歴史、社会科の番組ということで、佐藤先生はいろいろなところでいろいろな実践の報告をこれまでもされてきています。まずはとにかく使ってみることから始めようよ、という明確なメッセージが主張されていたと思います。

 それでは、引き続き金さんの発表をお願いいたします。

金実践:中学国語の授業としての国際交流

金隆子氏

 私は、国語の授業の中にどのように位置づけていったのかということでお話しさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

 指導要領の改訂に伴って国語の教科書も変わっております。従来の読み取り中心の学習から、伝え合う力の育成を大事にした編成になっています。国語の時間数も、各学年1時間ずつ減って、文章の読み取りにかける時間が極端に削減された中で、活動も入れながら言葉の力をどう高めていくかが、私たちに課せられた課題になっています。子供たちを取り巻くメディアの環境も非常に多様化していまして、子供たちは、メディアに対して非常に興味関心を持っていますので、それらのメディアの活用の位置づけや情報活用能力の育成に、国語科としてどう向き合っていけばよいのか、考えてみなければならない時期を迎えていると感じています。

 そんな中、充実した活動を組むことで、しっかりと読むことを支えることができるということが見えてきましたので、ささやかな実践ですが、国語の授業の中に、国際交流を核にメディアを取り入れたことについてお話し申し上げたいと思います。

 国際交流ですが、選択の国語でウェブの掲示板を使ったイギリスとの交流学習を続けています。3年目になった昨年度、イギリスだけではなく、ほかの国ともぜひ交流したいという声が子供たちのほうから上がりまして、プラスしてポーランドとの交流を始めました。これは、ポーランドにおられます、日本文化クラブの中学生に日本文化について指導しておられるウエダタカコさんを介しての交流です。

 この春、卒業しました3年生が、ビデオレターの交換に非常に興味を持ちまして、メディアを使って生き生き活動する様子を見て、これを必修教科に取り入れられないかなと考えました。

 そういう目で教科書を改めて読みますと、3年生は、「言葉と私たち」という学習で日本語について考え、その次は「古典を味わう」という単元で、私たちの伝統文化を異なる文化を持つ人に分かりやすく伝えるという学習、そして「情報社会を見つめる」という単元では、メディアとのかかわりを見直そう、という配列になっています。

 私は、これはナイス、国際交流を軸に国語と情報教育、そしてメディアを組み込んだカリキュラムが自然に組めそうだなと考えました。国語の教科書は5つの単元で構成されていますが、単元の三つ目、「情報社会を見つめる」まで、教科書教材の読み取りの後の活動に国際交流とメディアをこのように配置してみました。

 単元1は「言葉と私たち」ということで、日本語について考えを深める単元になっています。ここでは、教科書教材の読みを深めるために、日本語について、ポーランドから来ている質問に答えるという活動を入れてみました。それだけではまだ薄い感じがしますので、もう一つ、日本語について私たちが伝えたいことということで、情報収集をして、報告書にまとめて、心配りをしたつもりでポーランドに送りました。日常の生活に根ざしている言葉の学習ですので、本校の子供たちは非常に力が付いたのですが、相手の子供たちには難しくて、文字だけではうまく伝わらないという反省が残りました。やはり言葉の壁と伝え方が大きな課題になったなという反省点を受けて、子供たちと話をして、次の単元では、「海外の相手」ということをさらに意識して、1回目に送ったときにおまけとして付けた映像の評判が非常に良かったものですから、次の単元では、映像作品をつくってみようということで、次に進みました。

 なお、自分の国の文化を見つめましょうということで、このあたりで交流の展開も決定したところです。

 日本の伝統文化を、地域の文化も含めて伝えたいことを考えるというふうに進むのですが、教科書教材に入る前に、まずゲストティーチャーに来ていただき、古典学習後の見通しを持たせるために、これはNHKの幼児番組なんですが、「日本語で遊ぼう」という番組を視聴させた後、表現の仕方について教えていただきました。ここでは、伝える方法がたくさんあること、五感をフル活用して伝えることの大切さが、番組を使うことで生徒の中にストンと落ちていったのでした。

 その後、『万葉集』『古今集』『新古今集』『奥の細道』そして『史記』、あとは両方で共通教材として書写も取り入れて学習をしました。そしてポーランドの文化について、文化交流も意識してインターネットで調べて、こちらから向こうに質問をしてやって、いままでの古典学習を踏まえて、日本の伝統文化を確認するために、ウェブ・イン・マップの作成などをしまして、自分たち自身の伝統文化について確認した後に、ポーランドからの質問を提示して、マップで出た項目と併せて提示をして話し合いました。

 全部は無理ですので、そこで伝えたい課題を7つに絞り、自分で調べたい課題を選択させて、個々に情報を収集して説明文を書きました。同じ課題を選んだ者同士のグループ、人数にバラつきはあったのですが、そのグループで読み合いながら総合評価をして考えを広げさせたその次に、もう一度、ゲストティーチャーに来ていただいて、映像作品完成の見通しを持たせるために、NHKの番組、先ほど佐藤先生のほうからもお話がありましたが、「体験!メディアのABC」を視聴させて、伝えたいことを組み立てる方法を教えていただきました。伝えたいことを、たくさんではなくて一つに絞ることの大切さとか、ストーリーはどうなんだとか、組み立て方について学んで、その後、グループごとに絵コンテを描いて、デジカメとかVTRで撮影に出かけて、静止画がいいか動画がいいかなど、ムービーメーカーで編集するというような流れで活動が進みました。

 NHK「体験!メディアのABC」の組み写真の回を使わせていただいたのですが、番組自体が、生徒たちが取り組むこれからの授業にぴったりで、そこでストーリーをつくる見通しがきちんと持てたと考えています。

 生徒たちは、7つのグループで7つのテーマについて映像作品をつくっていきました。米沢は上杉鷹山が養殖を始めたコイが名物になっているのですが、情報を交換する中で、ポーランドでもクリスマスの特別メニューとして鯉料理が上がるということから「鯉料理」。そして、上杉謙信は代表的な米沢の武将で、向こうからも「サムライ」とか軍とか、そういうことについて教えてほしいという質問が来ていたものですから、人物像など。書道に関しては、向こうから書道の作品を送ってきたのですが、どうも、始筆とか転折とか終筆とかが甘かったので、運筆の仕方を教えてあげたいということで運筆、あとは着物については、向こうのほうから浴衣を着たかわいらしい写真が送られてきましたので、着付けの仕方について教えてあげたいということ。松尾芭蕉については、学習したばかりですので、これもまた向こうからポーランド語で俳句なども来ていたものですから、俳句の魅力について。百人一首も、和歌を学習したばかりなので、その伝統的な遊び方を教えたいということ。一刀彫については、南原の伝統工芸なんですが、職人技を伝えたいということ。それぞれ2分間にまとめて映像作品をつくりました。  幸せなことに、9月に、ポーランドにおられたウエダさんが来校してくださる機会に恵まれたものですから、映像作品につくったものを50字で要約させていたものを、ポーランド語訳を教えていただいて、それを作品の最初におまけとして付けて向こうのほうに送ってやる段取りをとったところです。

 今回、二つの番組を使わせていただきましたが、国語の授業の中で番組を使うのは初めてだったのですけれども、番組の完成度の高さに改めて感心させられましたし、映像に慣れてテレビが大好きな生徒たちについては、画面から伝わるものがみるみる吸収されていく、そういうすごさも感じました。また、50分の授業の中にうまく組み込める時間設定もありがたいと思いましたし、自分たちも実際につくってみたいと思わせる魅力的な内容に触れて、メディアの苦手な私がへたに話をするよりもずっと効果的だということを実感することができました。

 これまでの実践を通しまして、伝えることに必然性が持てると、子供たちの興味関心が持続できるということと、メディアを道具として使うことで、言葉が磨かれるということ、そして交流学習の中に情報活用の実践力がたくさん組み込んであることをつかむことができました。

 生きて働く国語の力というのは、人と人とのかかわりの中で育つものであるということと、伝え合う力を高めるためには、話す、聞く、書く、読む、この4領域が相互に機能する場を意図的にこちら側で仕組むことだと私は考えているのですが、相手意識、目的意識が明確に持てて、その二つを受けて場面や状況に応じた方法とか技能も含まれて、自己評価とか相互評価もふんだんにあったことで、自分自身の言葉とか、自分自身を見つめる学習になったと振り返っているところです。

 最後に、交流からビデオレターの作品まで、4分間でまとめてきましたので、ご覧いただきたいと思います。

(ビデオ上映)

ナレーション 南原中学校の皆さん、初めまして。ポーランドより最初のビデオレターです。今回の手紙では、最初にウッチの街の様子の紹介、それから第43中学日本文化クラブの紹介、最後に中学校の授業の様子について紹介していきます。 〈日本の皆さん、こんにちは。日本の友達が欲しいです。・・・ください。〉

 手紙とかEメール、お互いの写真の交換などで交流がどんどん進みました。9月にウエダさんが教室に来てくださったときの映像です。50字のものをポーランド語で話をしています。

ナレーション その一刀彫はサルキリという刃物一本で彫り削ります。そして、コシアブラという、木肌が白くきれいな腰の強い木を主に使います。ほかにもエンジュという木を使います。  これができたばかりの笹野一刀彫です。江戸時代、上杉鷹山公が藩の財政建て直しのために笹野彫、いまの笹野一刀彫を取り入れました。笹野一刀彫は、疫病退散のための守り神ともされています。また、笹野一刀彫の中に「おたかぽっぽ」という鷹のものがあり、これは上杉鷹山公をモデルとしたものです。いま作れる人がだんだん減ってきています。職人になるのはとても難しく、最低でも5年くらいの修業をしなければならないそうです。笹野一刀彫には50種類くらいの種類があり、ニワトリやクジャクなどがあります。赤いおたかぽっぽが江戸時代からのもので、黒っぽいおたかぽっぽは昭和の中ごろ、1950年ころからつくられ始めたものです。  赤は昔から縁起のよいものとされています。日本では、入学式や卒業式のときには、昔から赤と白の幕を張り、祝います。  できたての笹野一刀彫を送りますので、どうぞご覧ください。

 という2分の作品が7本できたということで、よろしくお願いします。

コーディネーター どうもありがとうございました。まさか、幼稚園向けにつくっている「日本語で遊ぼう」が、中学校の国語の時間で使われるとは、つくった本人は思っていなかったのでしょうが。小学校の番組もうまく組み合わせて使っての国語の実践ということで、いいですね。あれはポーランド語ですよね。全然聞き取れませんでしたが……。やはり言葉ではなかなか伝わらないものが映像で、ということをうまく表現していただけたと思いました。

 次に、稲垣さんのほうから、二つの実践をきょうの主題にうまいことつなげていただくということで、二つの実践を振り返ることをお願いしたいと思います。

2つの実践を振り返る:稲垣氏

稲垣忠氏

 東北学院大学教養学部の稲垣です。今回、二人の実践者の方にご発表いただきましたが、どちらの方も、NHKのデジタル教材であるとか、幼稚園向けの番組とか、いろいろなものを使ったうえで、ではどんな学習を組み立てていくのか、そういった部分が学びとしてしっかり組み立てられているところがすごくいいなと僕は思いました。

 その中でキーワードになってくるのは何かという話に進んでいきたいと思います。私は、要項の9ページに少し書いてあるのですが、「映像コミュニケーション」という言い方をしました。どちらかというと、放送教育の流れであると放送番組を活用する、もちろんそれが大前提になるわけですが、最初のお話にあったように、多メディア時代という言い方であるとか、映像メディアの扱い方がかなり変わってきています。その変わり方を考えたとき、この先どういう力を付けていくのか、いろいろ考えていったとき、僕のキーワードとして出てきたのは、映像を使ったコミュニケーションだったのですね。その話とメディアリテラシーが接点になるのではないかと僕は考えていますので、ちょっとずつそういうつながりをつけていきたいと思います。

 先ほどのお二人のお話を伺いながら少しずつまとめていました。佐藤先生のほうの実践については、デジタルコンテンツという言い方をいろいろなところでしていますが、もちろん、NHKのデジタル教材もその一つになるかと思います。つまり、いままでの番組のようにテレビで流されるもの以外に、インターネットを使ってパソコン上で扱える映像であるとか、ホームページで学習する、あるいは掲示板を使う、いろいろなかたちのデジタル化されたコンテンツ、教材がたくさん出てきているのですが、僕は、それを使っていくことがメディアリテラシーを育成する必然性を生むのではないかと考えています。

 まず一つ目としては、とにかく手軽なデジタル教材であること。NHKデジタル教材のいいところは、クリップにしてもホームページにしても掲示板にしても、メディアの特性を考えると、目的は全然違います。目的は違うのですが、それが一つの教科であるとか、あるいは「おこめ」といったテーマに関してうまく融合されている。これをどのように使えるか。いままでですと1本の番組から頑張ってそれを広げていく感じだったのですが、いまは、たくさんあるものの中から、先生自身がどのように組み合わせるか、そういうところが問われてきているように変わってきています。

 逆に言うと、先生にとっては、1本の番組を見たときに、これはちょっと自分とは合わない可能性がある場合、もちろん、たくさん番組がありますから、合う番組、合わない番組があると思います。それがデジタル教材になっていると、番組としては合わないけれどホームページのここなら使えそうだ。あるいは、クリップですと本当に1分、2分と短いので、このクリップだったら授業で使えるかなといった、そういうきっかけの間口がすごく広がったのではないかと考えています。

 そのようなかたちで、複数の番組であるとか、あるいはクリップであるとか、そういうものを構成していく話が出てくると思います。後でまた制作者の箕輪さんに伺ってみたいとも思っているのですが、映像クリップ、NHKでも、先ほどの冷害のおこめの番組ですとクリップがいくつくらいありましたか。10個くらいありましたか。それぐらいありますよね。すると、1本の番組15分つくっていたものと、1分、2分のものを10本つくること、たぶん制作者側は全然違うことを意図されていると思います。いままで15分の長さの中で構成していたものが、1分、2分の中で何かつくらなければいけなくなった場合、では制作者はどのように意図しているのか、どんなことを期待していまのクリップづくりをされているのか、ぜひ伺ってみたいと思っています。

 それを考えていくと、デジタルコンテンツの中でメディアリテラシーの話ができるきっかけが生まれると思うのですね。いまは、NHKに限らず、インターネット上でクリップであるとか映像資料はたくさんアクセスできるようになっています。ですが、僕がいちばん気になっているのは、そのコンテンツを使えば分かりやすい授業はできる。それは僕は使ったほうがいいと思うのですが、つくった人の思いだったり、制作者のこだわりというものが見えないコンテンツが意外に多いのですね。

 するとどうなるかというと、場合によっては、コンテンツを探し始めた場合に、これも違う、あれも違う、そのような堂々巡りを繰り返してしまって、あまり生産的ではなくなってしまう。授業を分かりやすくしたり、効率よく授業の準備を進めるためのコンテンツだったはずなのに、そのコンテンツ探しに明け暮れてしまっては、ちょっともったいないですよね。そういったことを考えるとき、僕は、メディアリテラシーという概念は使えるのではないかと思っております。

 もう一つは、金先生の実践ですね。こちらは、学校間交流学習という言い方を私はしているのですが、それとメディアリテラシーのかかわりについて少し考えたいと思います。

 金先生の場合、国語科の中、しかも1年間のある程度長い単元を見越した中で、それで情報活用能力が育てられるのではないか、そういうお話をされていました。教科書自体もかなり変わってきていますし、それをどのように使いこなすか。例えば先ほどのお話ですと、「古典で伝統文化を学んで、異文化の人に伝えてみましょう」と当たり前のように教科書に書いてあるわけですね。書いてあるのですが、それをすべての学校がやれるかというと、どうでしょう。異文化の人、だれに伝えましょうかと、相手から探さなければならないとか、いろいろなハードルがたくさんあります。

 たまたま金先生の場合は、もちろんそれ以前から国際交流をされていた経験もありますし、いろいろなところからそういうきっかけを見つけだす、人も含めて環境をうまく活用する、そういうコーディネーター能力がすごく高いのだと思いますが、そういうかたちでうまく国際交流を国語の中に持ち込んでしまったのですね。

 それをやっていくとどうなるかというと、交流学習でいいところだなと思っているのは、相手に伝える必然性ですね。この必然性は、結局、交流しますよね。特に国際交流なので、相手の国がどんな国なのか全く分かりません。毎日どんな暮らしをしているのかとか、どんなものを食べているのか、あるいはどういう歴史なのか、いろいろな要素で分からないところだらけの状態から始まります。

 例えばインターネットでポーランドのことを調べたり、あるいはポーランドのことをよく知っている大人の人に説明してもらうとか、もちろんそれで学習は成り立つのですが、それを子供同士の間で解決しようと思うと、そこで大きな学びが生まれるのではないかと思うわけです。

 というのは、やはり子供同士の間なので、何を伝えるか、はっきりしないと、うまく伝わりません。そして相手が出してきたものがどういうものなのか、理解するにも力が要ります。その力は、恐らくメディアリテラシーとほとんど同じものではないかと考えています。よくメディアリテラシーと一般で言われることとしては、テレビだったり、いろいろなマスメディアから流れてくる情報をどのように受け止めて解釈するかがまず第一段階としてあると思うのですが、すると、受け止めるということは、発信するマスメディアなり制作者の意図があるわけですよね。その意図というものを、受け止める側は毎回毎回、制作者に「これはどうやってつくったのですか」と聞くことはできないですよね。

 ところが、交流学習の場合、どちらもが受け手にもなるし、どちらもが送り手にもなれるのです。そうすると、送り手としてのこだわりも自分で伝える活動をする中から考えられますし、受け手として考えなければならないことも意識することはできる。そういう対等な関係というものが、交流学習でメディアリテラシーを考えるいいポイントになるのではないかと思っております。右端の写真は「コイに恋して」という名前のグループの作品です。食べているシーンをクローズアップしたほうがすごく分かりやすいのではないかという、そういう一場面をちょっといただきました。

 あとは、赤字で「振り返りの場面性」と書きましたが、振り返ること。結局、自分の学習であるとか、伝える活動というものが良かったのかどうか。それは自分自身で見つめ直すことも必要ですし、相手から評価をもらうことも大事です。そういったことも交流学習の場合はかなりやりやすいというか、やらないと交流が次のステップに進まないので、必然的にやらざるを得ない実践ができる。そういう可能性はあるのではないかと思っています。

 さて、お二人の実践からもう少し広げた話をしていきますと、一つ目、デジタルコンテンツに関しては、とにかくどんどん普及しています。どんどん使ってくださいという話もありますし、ではそれをどのように使っていきましょうかというのも、いろいろなところでたくさん実践が重ねられていますよね。先ほど言いましたように、制作者の意図というものが僕は気になっています。

 もう一つは、調べ学習の対象、子供たちが調べるときに、映像でたくさんいろいろなものから調べることが現実的に可能になってきました。しかし、実際に見ていると、僕がひとつ疑問に思うのは、映像で調べたのに、調べたことを、文字で一生懸命書き写しているのですね。もちろんそれは作文力を鍛えるのでしたらいいのですが、その調べたことをもう一回だれかに伝え直すときには、映像で調べたことを映像でまとめて映像で表現してもいいわけです。そういう環境、もうそれに近いことはできるようになってきているはずです。そういう意味では、そういう実践をぜひ見てみたいと思っています。

 あともう一つは、「携帯端末からのアクセス」と書きましたが、右側の写真、これは陸上競技場でクラスの代表の子が大会に出たときに、携帯で撮影してそれを教室にいるクラスの友達に伝えてあげる、そういう活動をしているシーンですね。

 こういったかたちで、簡単に映像を撮影して編集して送るところまで、そういったことがすぐにできるような環境はもう現実になりつつあります。もちろん、携帯電話の活用というのは、モラル面であるとか、コストもありますし、かなり考えなければならないことはたくさんあります。けれども、家庭でこれだけ普及してきたメディアに対して、学校の中で知らない振りをするわけにはいかない時期に来ています。それを考えることもメディアリテラシーの一つではないかと僕は考えています。

 もう一つ、交流学習に関しては、なぜやるかという話でいくと、地域で解決しない問題、環境教育などは典型的です。近くの川の水質をいくら調べても、それが上流、下流とどういうつながりになっているのか、そういった話を見ていって初めて、その川の水環境が分かるわけです。そして今回、金先生がおっしゃっていたような国際理解もあると思います。教科の学習で考えても、例えば北国の生活と南国の生活を比べるとか、あるいは方言の学習とか、いろいろなかたちで比較をすることでより分かりやすくなる教科はたくさんあります。

 もう一つ、他校の児童生徒とともに学ぶことは、子供にとってすごく魅力的な活動なんですね。「匿名から実名の関係を築く」と書きましたが、最近、情報モラルについてはいろいろなところで議論されているのはご存じかと思います。交流学習の場合、掲示板を使うとか、テレビ会議をするとか、いろいろなメディアを使いますが、ずっと匿名の関係でやっているのではないのです。逆に、いままで知らなかった人たち、匿名だった間柄が、お互いを知っている実名の関係になって、だんだん仲良くなっていく。ネットワークを使って人間関係が築けるんだ。そういう経験をさせてあげることは、情報モラルで、これをやってはいけない、あれをやってはいけないという話と同じくらい大事な価値はあるのではないかと僕は考えています。

 最後が、これは金先生の話で出てきた「伝えないと伝わらない相手」ということですね。これが情報活用能力を育てる、あるいはコミュニケーション能力を育てる場面になるのではないかと思うわけです。

 ちなみに、いちばん左端の写真は、佐藤先生のところが、去年、静岡の学校と実践されたのですね。江刺リンゴと三ヶ日ミカンというので交流しまして、社会科の5年生の単元でされたのですが、農家の努力は同じだ。あるいは流通の仕組みは一緒。けれども違うところとしてそれぞれの地域の特徴を生かしている。これはビデオレターで交換したのですが、子供たち同士でそういうことをやっていくことで、より分かるようになるのですね。

 真ん中は、仙台の南小泉小学校のおこめの番組を使った授業です。このときは子供たち同士で、富山の学校とテレビ会議をして交流していました。

 右端は、宣伝になりますが、こんな本をいま私はまとめております。「学校間交流学習を始めよう」ということで、いろいろなかたちで交流学習のパターンが出てきています。では先生たちは授業としてそれをどうつくったらいいか、そういった話も提案できたらいいなと考えています。

 ということで、そろそろまとめにしましょう。メディアリテラシー、それがどういうものであるか。定義であるとか、そのへん、難しいところはまた後でいろいろお話はできるかと思うのですが、少なくとも、お二人の実践から言えることは二つあります。一つ目は、デジタルコンテンツとして授業の中で組み込んでいくことでメディアリテラシーを考えなければいけない。そういう大事な場面がたくさん出てくるということですね。それが教科の学習にもつながってくるはずです。

 もう一つは、学校間の交流学習。これも、交流をすればするほど、結局、そのメディアの特性を思い知らされる体験はたくさんできます。それがゆくゆくはメディアリテラシーにつながっていくのではないかと思っております。そういう意味では、お二人の実践で何が良かったかというか、メディアリテラシーの授業をやります、こういうことをやりましょうと突然始めるのではなく、ふだんの学習活動を組み立てる中からメディアリテラシーを意識せざるを得ない場面設定をされていた。そのへんがお二人の実践のいいところではなかったのかと思いました。

コーディネーター ありがとうございました。なるほど、そういうことだったのか、という感じですね。いろいろなキーワードが出てきたので、繰り返すとたぶん同じくらいの時間がかかってしまいますのでやめますが、必然性ということ、とにかく、やらされ感がある勉強は身に着かないから、なにかそういう場面で、これがどうしても必要だという必然性をもたせるのが大事だというのは、僕の心には残りました。そういう場面をどのようにつくっていくか、そのあたりから二つの実践を見ていくと、共通点が見られると思いました。

 実践という観点でいま見てきたわけですが、いま出てきた番組も含めて、NHKとしてどんな品ぞろえでサービスを提供してくれているのかも含めて、箕輪さんからご紹介をやっていただきたいと思います。

番組制作者の立場から:箕輪氏

箕輪氏

 NHKエデュケーショナルの箕輪です。二人の先生方の実践をいま聞かせていただいて、NHKの番組を使っていただいてありがとうございます。特に私が制作した番組を使っていただいたことにとても感謝しております。

 きょうは「メディアリテラシー」という言葉がキーワードですが、私は、まず情報教育という分野、そしてそれをサポートする学校放送ということでお話をさせていただきます。「体験!メディアのABC」そして「しらべてまとめて伝えよう—メディア入門」、これは小学校の番組ですね。「メディアを学ぼう」というのは、中高向けの番組です。この間の夏休みに放送したのですが、冬にもまた放送します。「エイゴリアン」は小学校向けの国際理解・英語の番組で、そういう番組をつくっています。

 いま、稲垣さん、そして佐藤先生からも、デジタル教材の話をしていただいたのですが、私どもNHKでデジタル教材というものを制作しております。中高は20分なんですが、小学校向けは15分の番組が年間20本あります。これがメインです。われわれは放送局なので、番組を出すのがメインです。

 それと連動したホームページを開設しておりまして、そこに番組配信をしたり、先生方が実際に授業をやったプランとかワークシート、そして調べ学習に役立つ教材とかゲームなどをいろいろ載せております。

 交流サイトも運営させていただいて、いろいろな学校同士のいわゆる学校間交流のサポートもさせていただいています。

 それぞれの番組に映像クリップ、1分から2分程度のものを揃えています。先ほど、稲垣さんから番組とクリップはどう違うんだという質問が出ましたが、私は、15分の番組はいわゆる全体像を把握する。おこめであれば、農薬の問題とか、減反の問題とか、いろいろなテーマがあるのですが、そのテーマを15分の番組で全体像をとらえて課題とか問題を発見する。そこには伝統的な放送教育の心を揺さぶる内容が入ってきますし、そういうものだと思っています。

 映像クリップには二つ役割があると思っています。一つは、そのように全体像を把握し、また体験学習をやって、いろいろな問題意識を持った子供たちが調べ活動をやるときに、この内容について調べたいとか、それぞれの子供が個々のテーマを調べるときに活用する。これが一つですね。

 もう一つは、先生が一斉授業の資料として提示する場合ですね。その二つがあると思います。

 このように、番組とクリップの二つの役割があって、制作者がどこまで意図的にきちんと意識してやっているかと言われますと、それはなかなか私たちにも課題になっています。われわれは、15分なり、番組をつくるということの訓練はしているのですが、こういう短いものをつくる訓練はまだ足りないので、それについてはわれわれの中でいろいろと議論したり検討しているところであります。

 これはおこめの画面です。さっきの佐藤先生は2004年度で今年度でしたが、これは2002年度とちょっと古いのですが、基本的にはこのホームページです。いま会場の入口のところで日本放送教育協会のスタッフがパソコンを展示しておりますので、お帰りの際に見ていただければ、こういうものだというのはご覧になれます。ぜひ見ていってください。触ることができますので、ぜひ見ていっていただきたいと思います。これがホームページでして、ここに番組、クリップ、ホームページ、掲示板と、4つのタグが付いております。これは番組のタイトルなのでなんとなく映像らしくないのですが、15分の番組が見られるようになっています。全部は見られないのですが、幾つかの番組はこうやって動画配信をしています。

 これはクリップです。おこめのことについて、ここをクリックすれば、発芽とかいろいろな内容の動画を見ることができます。

 これがクイズなんですが、こういったものも教材として提供しています。

 いま、デジタル教材としては、「おこめ」「たった一つの地球」「三つの扉」、このように総合的な学習の時間と理科、社会でこれだけの品ぞろえができています。小学校が中心になっていて、中高はまだ準備が整っていないのですが、小学校の先生方、これをぜひ使っていただきたいと思っています。

 あとは、動画配信はしなくても、いろいろな情報が載っているホームページもたくさんそろっております。特にここ数年は、算数と国語に私どもも力を入れておりまして、これは番組だけではなく、ホームページにいろいろな情報、いろいろな教材が載っていますので、ぜひ見ていただきたいと思っています。

 先生方に私としてアドバイスというかお願いでもあるのですが、番組を使うときは、気に入った番組を使ったほうがいいと思うのです。番組を見てもらうと、演出の方法とか、いろいろと違いがありますので、生理的に「ああ、この番組いいな」とか、「この演出はちょっといやだな」とか、あると思うのですね。自分はいやだなと思ったのに、教務主任が使えと言う番組を使うと、大体はうまくいかないパターンが多いように思います。自分が気に入ると子供たちも気に入る、そういう一つの方向がありまして、いろいろ見ていただいたうえで、いいと思ったものを使うといいと思います。ですから、教務主任や学年主任の先生はあまり無理強いしないほうがいいと私は思うのですが……。とにかく自分の気に入ったものをお使いいただきたいと思っております。

 きょうは、「トレビのテレビ」の実践を見させていただきました。「トレビのテレビ」は小学校低学年向けの番組なんですが、これを放送したとき、ちょっと濃いめの演出なものですから、抵抗を示される先生が何人かいらっしゃって、ちょっと使ってもらえなかったのですが、太田東小学校では非常に積極的に使っていただいたそうで、きょうは僕はたいへん感謝しております。たぶん番組を聞いていただいていると思います。子供たちも楽しく見てもらったので良かったと思っています。

 いまは教科とか総合が中心の番組のことを紹介しましたが、これは情報教育の目標で、先生方もご存じかと思いますが、いまはこういうことがテーマに掲げられています。情報活用の実践力、情報の科学的な理解、情報社会に参画する態度、それを個々の言葉でいうと下のようなものになるのではないかと思っています。情報教育向けの番組がいくつかありまして、これをちょっと紹介させていただきたいと思います。

 まず小学校3年、4年向けに「しらべてまとめて伝えよう—メディア入門」という番組をやっています。これは実際に小学校3年生、4年生がお店調べをやったり、地域のいろいろな人に話を聞きに行ったり、まとめたことを発表したりという、情報教育の基礎基本を扱っているのですが、実際に子供たちがそういう活動に取り組んでいる様子と、それについて専門の先生がアドバイスするという番組を提供しています。これは火曜日の9時半から9時45分、教育テレビでやっておりますので、どんどん活用していただきたいと思っております。

 また、きょうのお二方の先生が実際に使っていただいた「体験!メディアのABC」なんですが、これは、いわゆるレギュラーの放送はいまは終了しているのですが、幸運なことに、来年の2月から3月の深夜、木曜日の2時50分から3時50分ということは、録画して使っていただくということなんですが、録画して先生がご自分の授業でそれを使うことは著作権上、全然OKなので、これを録画していただいて授業でお使いください。木曜日の2時50分というと、感覚で言うと水曜日の夜中という感じですね。これを収録していただいて、ぜひ教材研究として使っていただければいいなと思っています。

 どうしてもそれまで待てないということであれば、たぶん、岩手県立大学の鈴木先生は録画されて持っていると思いますので、その研究室で見る分には大丈夫ではないかなと思っております。これはぜひ活用してみてください。

 「体験!メディアのABC」の特集というかたちで、この間、「特集メディアのABC—ネット社会の道しるべ」という番組を放送しました。これは、情報の影の部分でいろいろな事件が起きている中で、いわゆるチャットをやって人間関係が壊れちゃうとか、いろいろな不正なサイトとか、そういうところとどう対応していくか。それをどのように子供に教えていくかということで、急きょ、これをつくりました。実践を撮るのはなかなか難しいので、ドラマ形式でやりました。いろいろとメールをやり取りしていながら、うまく人間関係が保てなくなって、ちょっとけんか状態になってしまう。それをどうすればいいの、というようなことをドラマで提示して子供に考えてもらうという番組をつくったのですが、これはなかなか評判が良くて、11月3日の午前ですが、再放送いたしますので、先生方、ご覧になっていただいて、ぜひ活用していただきたいと思っています。

 中学校、高校向けに「メディアリテラシー」ですね。これは主にマスメディアがどのように情報をデザインしているかを伝えていますが、これも、まだ放送日時は決まっていませんが、冬休みに再放送する予定ですので、こういうものをぜひ活用していただきたいなと思っています。

 これらは全部、NHKの学校放送オンラインというものに載っております。www.nhk.or.jp/school/です。学校放送ですのでschoolです。ここをご覧になっていただければ分かると思います。

 実は、きょう、これはラジオで収録しているそうなので、いままでのが公式的な見解で、いままでのところはたぶんラジオの編集で使えるのですが、これからは公式でないというか、この後からは使わないでくれと担当のディレクターに言おうと思っています。2時間収録して1時間だからたぶん大丈夫だと思うのですが、せっかくここに来た先生方にいろいろな情報を提供したいと思っています。

 さっき、情報教育の目標でこの三つが挙げられていて、この中にメディアリテラシーも入っているのですが、ふだん、情報を発信しているテレビ局の人間として、現場の先生方にちょっとヒントみたいなことを提供できればなと思ってお話をします。

 いまはよく調べ活動をやりますが、情報収集の基礎基本で言いますと、情報の集め方はこの三つしかないと僕は思っています。「資料を集める」「人に会って話を聞く」「現場を見に行く」、この三つしかないはずです。これ以外にないはずですね。資料を集めるというのは、新聞とか雑誌とか広報誌とか、いまはインターネットで情報を集められます。人に会って話を聞く、これはだれでもいいというわけではなく、いわゆる一次情報を持っている人ですね。当事者、関係者、研究者、研究者が一次情報を持っているかどうか分からないのですが、でもいろいろとデータを持っています。あとは証言者。私のディレクターとしての経験で言いますと、このことについては自分が日本ではいちばん詳しいとか、このことについては自分がいちばんよく知っているんだという人のところに行くと、どんなに忙しくても必ず話をしてくれます。人間ってそういうものなんですね。これでわれわれの業界は成り立っているのですが、そのことにいちばん詳しい人にたどり着くと、その人はなぜか、必ずその情報を提供してくれるのですね。

 よく先生方、子供にいろいろなところに取材に行かせると思うのですが、例えば地域の農業のことをやっているのであれば、やはり農業のことをその地域でいちばん知っている人のところに子供を行かせたほうがいいと思うのです。そうすると必ず、その人は、忙しくても対応してくれると思うのです。もちろん、子供のあいさつの仕方とか、あとはスケジューリングがありますが。本当の専門家でないところに行かせると、答えるほうもつらいし、あまりいい取材はできないので、とにかくいちばん情報を持っている人に取材に行くのが基本です。

現場を見に行くというのは、事故、事件の現場、子供たちは事故、事件の現場には行かないと思いますが、われわれは基本的に、何か起きていることとか、何か実際に物事が進んでいるところは、やはり現場を見に行きます。これはインターネットで写真を見たとか、雑誌か何かで見たというだけで済まさずに、現場に行くと、何か情報がある。

 小学校、中学校、高校がどこまで総合をやっているか分からないのですが、何か調べさせるときにはこの三つを有機的に結びつければいいということで、それほど難しいことではないと思います。

 次に、情報発信の基礎基本で、調べ活動をされた成果をホームページで公開したりすると思うのですが、さっきから情報モラルとかリテラシーとか難しい言葉が出てきています。言葉の概念をきちっと定義することは重要なんですが、僕が現場の先生方に言うのは、この三つなんですね。情報発信でやってはいけないことはこの三つだけです。「うそをつかない」、つまり間違った情報は流さない。「人を傷つけない」。そして「人のものを黙って使わない」、これは著作権のことなんですが、この三つ以外は何をやってもいいはずです。ですから、どのように情報発信をすればいいか悩むと思うのですが、この三つです。でもよく考えると、これは社会的な常識なんですね。ふだん、子供さんを指導されているときはたぶんこういうことをやっていると思うので、いわゆるウェブの世界でもこういうことをやってくださいということなんですね。

 ただ、一つ具体例を挙げますと、さっき佐藤先生のところの実践で、農薬のことを番組を見ていろいろと考えるという実践がありました。環境教育で農薬のことを調べさせて、農薬ってやっぱり危ないよね、みたいな話になって、例えば「農薬は危ない」なんてすぐにホームページに載せちゃったりすることもなくはないのですが、これはやめたほうがいいですね。なぜかというと、農薬は危ないかもしれないけれども、農薬を必要としている人もいるわけだし、もしかしたら、本当に農家のために自分の一生をかけて農薬の研究をやっている、例えば東北大学農学部の先生がいたり、クラスのお父さんで農薬を販売している会社に勤める方もいるかもしれないのですね。そうすると、「農薬は危ない」なんていうことを書くと、それで傷つく人、不利益を被る人も出てくるわけです。

 ではどうすればいいかというと、「農薬は本当に必要なんだろうか」という表現にしていただければいいのですね。そうすると、「いや、必要だ」「いや、やっぱり減らしたほうがいいのではないか」という……。それはテクニックの問題になるのですが、何か情報を発信するときに、それが出たことによって傷つく人がいないか、不利益を被る人はいないかということにちょっと配慮すればいいと思うのですね。

 それはウェブの世界だけではなく、日常、いろいろ会話する中でも、このように言ったら、あの人、傷つくよね、とか、こういうことを言ったら、あの人、怒るよね、というようなことを言わないのは当然なので、これも日常の指導の中でやれることなのですね。この後、リテラシーとかモラルとかという話になっていきますが、この三つをまず押さえていただいたほうがいいなと思っています。

 ということで、僕は、こういう情報発信の基礎基本とか、情報収集の基礎基本ということを一応踏まえたうえで、「しらべてまとめて伝えよう」とか「体験!メディアのABC」という番組をつくっているということです。以上です。

メディアを意識することがメディアリテラシーの始まり?

コーディネーター ありがとうございました。ラジオで収録しているから話せない部分があるというのは、そのこと自体、メディアリテラシーを考えるうえでたいへん貴重なご提言だったなと。そこから何を言ったかが非常に貴重なんですが、要するにメディアリテラシーを考えるというのはそういうことなんですね。いままでは、普通にやっていることはこれでどうなの、ということをメディアというものを媒介にして意識するというか、意識させるというか。だから、これじゃ人に伝わらないよね、という話になったり、では伝わるってどういうことなんだろうね、と意識するんです。そうすると、もっといい伝え方があるのではないか。番組ではこう言っているけれど、本当はどうなのかなとか、何か疑い深くなるというか、そういうことも含めてメディアというものを一歩引いて見ていくことがメディアリテラシーに含まれるのではないかと思っています。

 そういう放送というメディアの特徴が図らずも出たのかなと思って聞いていました。どうもありがとうございました。

 さっきの稲垣さんの話の中に、箕輪さん、どうなの、という話が出ていたと思うのですが……。映像クリップのように短いものをつくることによって、つくり手の意図はどうなるの。なんか、こだわりが見えないよね、というお話がありました。これは実は大問題でして、それをさらっと「いま研究してます」くらい言って終わってしまったような気がしたので、箕輪さんにもうちょっと言ってほしいなと思うのですが、いかがですか。

箕輪氏

 これは個人的な考え方なので、NHKを代表して言っているのではないのですが、ということで、これはラジオでは使わないほうがいいと思っています。僕は個人的には、15分の番組、20分の番組を年間20本見ていただいて、それで実践をしてほしい。そういうトータルな設計をしたいと思っています。そこの根本となるのは、どういう学力をつけるか、どういう力を子供たちにつけるかというところから、いわゆる逆算していくということですね。

 いま現場では、こういう力が求められている。ではこの力をつけるためにはどういう授業が行われるのだろうか。その授業のためには、こういう番組があったほうがいいであろう。であれば、こういう番組はこういう15分の中身で、20本をこういうふうに並べておけば学校の先生は使いやすいということで、トータルな設計を僕はしたいと思っていますし、そういうことをやりたいと思っています。

 ただ、現状でいうと、放送教育は、丸ごと継続利用が少なくなってきていることと、学校現場にいろいろな要請がきて時間がないという先生が多いのですね。であれば、放送教育として生き残る道として、短いクリップをたくさん提供して、少しでも使ってもらったほうがいいのではないかということが、いまNHKの中でもあります。

 それはそれで、もしやるとしたら、1分なり2分のものをどうつくっていくかも考えていかなければならないのですが、結局、これも同じことだと僕は思っているのですね。どういう力をつけるかということがまずあって、そのためにどういう授業が行われていて、そのためにはどういう教材があればいいかを逆算していく。こういう手続きは必要なんですが、反省して「ごめんなさい」という手は、まだそこまで行っていないということです。

 NHKは皆さんの受信料をいただいて、いままでいろいろな映像、番組を作ってきましたから、国内だけではなく、世界各国の映像があるのですね。いまは、そのあるものを、とりあえず、いま学校現場で使えるものを1分、2分にまとめてご提供しましょうということをやっていますので、逆にいま、こういうクリップを使った実践がどんどん積み重ねられて、こういうクリップがあるといいのだけれども、とか、こういうことが必要なんだろう、ということを、学校現場とわれわれと研究者の先生にも入ってもらってお互いに議論して作っていく方向かな、というふうに思います。僕は、そのクリップに力を入れるのと同じかそれ以上に、15分、20分の番組をきちんと作って、それを現場で使ってもらえるようになればいいな、と思っています。

コーディネーター ありがとうございました。稲垣さん、納得した? いいですか。

稲垣 私は、この3年間ぐらい、鈴木克明先生と共同研究というかたちで、NHKのデジタル教材はどんな効果があるかという研究をしてきました。もちろん、その中には番組もあるし、クリップもあるし、ホームページもあるし、掲示板もある。それがそれぞれどんな効果をもたらすかを調査したのです。その結果はいろいろ出ているのですが、先ほど箕輪さんがおっしゃったように、結局、学習目標、育てたい力があって、それに対応して番組なりクリップを作っていく。それは基本ですよね。その基本のステップは、教材づくりの中では欠かせないものではあるのですが、では、この部分は番組で、この部分はクリップで、こっちはホームページのほうがいいだろう。そのへんのすみ分けをどうするかとなると、「うーん」という感じで僕自身も悩みました。制作者の方にも何人かインタビューもさせていただいたのですが、やはり悩みながら作っている。

 でも、それのいいところもあって、悩みながら作っているからこそ、いろいろなタイプの教材が出ているのですよね。だからこそ、先生のアレンジのしがいもあるという、ある意味では恵まれた学習環境がそろいつつあるのではないか。そのように解釈しておりますが、いかがでしょうか。

コーディネーター そうですね。箕輪さんは、ある意味、間接的に答えを出してくれていたと僕は思っています。要するに、15分の番組は全体像を把握するもので、映像クリップは調べるときに使うものだよ。だから調べるときに使うものに別に制作者の意図はなくてもいいよね。そういうすみ分けなのかなとも思ったのですが。

 そういういろいろな素材が渡されたときに、それをどうやって組み合わせて、目の前にいる子供たちに付けたい学力、学びをはぐくむというのですか、そこへつなげていくのかは、結局、いろいろな組み合わせ方があるので、それは先生が苦労して工夫していかなければいけない、という話になるのかなと思いました。そういうとらえ方でいいのかな、ということを、現場の先生に一言ずつコメントをいただけますか。

佐藤 私自身は、現場のほうから「こういうクリップが欲しい」という声がもっと上がればいいなと思っています。そうすることによって、実際に使えるコンテンツの原則原理が見えてくると思います。実際、私たちがデジタルコンテンツを作るのは、私個人は、技能的にも時間的にも不可能なので、やはりプロにお任せしたいと思っています。

 逆にここでいま皆さんにお聞きしたいのですが、いいですか。実際にNHKのデジタルコンテンツ、ホームページ等を含めて、使ったことがあるという方、どのくらいいらっしゃいますか。はい、分かりました。まず使ってもらうことからスタートしなければいけないなと思っています。

コーディネーター では金さん、お願いします。

 私自身も含めて、番組、映像クリップ、ホームページなど、こんなにいいものがあるのに、知らないでいる先生方が多いのではないかと思います。どうやって先生方にこういったものを紹介すると広がるのかな。NHKの番組を紹介するコマーシャルなどもあるのですが、なんらかのかたちで、もっと現場の先生方が、こういう番組、こんないい番組があるよ、ということが分かるような、そんなことをNHKさんのほうでしていただけると使いやすくなるのかなと思います。

コーディネーター なるほどね。それはそうだよね。「学校放送羅針盤」でしたっけ、そういう宣伝番組も一応あるのです。でも、その宣伝番組をあまり見てくれないというので、全然宣伝になっていないみたいですが。

 番組をただ流しているだけではなかなか使ってもらえないので、どのようなポイントで使ったらいいのかも含めて、あれはなんといいましたか、授業実践を紹介する番組……。「わくわく授業」ですか、こういうふうに実践して素晴らしい授業をやっている先生がいらっしゃるよ、と紹介する番組もあります。佐藤先生、今度出るんでしたっけ。11月? ちょっと宣伝してください。いつ出るんですか。どんな授業なんですか。

佐藤 「わくわく授業」というのは、木曜日の夜の10時25分から教育テレビで放送されています。たぶん、皆さん、こちらのほうがご存じなのではないでしょうか。ご覧になったことがある方、どれくらいいらっしゃいますか。はい。予想より少なかったですが、全国各地の実践を、小学校だけではなく、中学校、高校も取り上げています。その中で私、これはNHKの学校番組を使ったというのではなくて、一個人として、社会科のザビエルの学習について収録して、11月11日に放送される予定です。

 ロールプレーを通して、見方を変えて、ロールプレーをする中で子供たちが社会的なものの見方を広げるという授業です。11月11日というのは非常に覚えやすい日ですから、ぜひご覧ください。

コーディネーター 放送というのは終わってしまうと本当に終わりで、逃すともう終わりなので、そういう意味では、アンテナを張って、例えば、先ほどご紹介いただいたNHKのホームページなどで、あらかじめどういう放送があるのかをキャッチするということですかね。そのうち、ビデオ・オン・デマンドのようなものができてくれば、見逃したということがなくて使えるようになるのでしょうが、いまのところ、そういうメディアの特性があるということも覚えておかなければいけないですね。

 でも、すっと消えるからなんでも言える、という部分もあって、これがずーっと残っているとなると大変なことになりますので、言葉に注意しなければいけないなとか、いろいろ考えてしまうと、言いたいことも言えなくなる。そのへんが放送の醍醐味でもあるわけですね。

 話が脱線してしまいましたので、稲垣さんに元に戻していただきたいと思います。メディアリテラシーという言葉、今回のテーマに戻すかたちでお願いします。

メディアリテラシーに迫る

稲垣忠氏

 ということで、ぐるーっと回ってメディアリテラシーの話に戻ってまいりました。これは要項に書いてあることですが、メディアリテラシーという言葉を聞いてどんなものを想像されるか、かなり難しいと思うのですね。この中で、メディアリテラシーという言葉を初めて聞く方はどのくらいいらっしゃるか、ちょっと手を挙げていただけますか。数名いらっしゃいますね。ということは、多くの方は聞いたことがあって、ご存じです。ではメディアリテラシーに関する実践をしたことがある方はどれくらいいらっしゃるか、もう一度手を挙げてください。1人、2人くらいですね。

 実際、いま学校現場でメディアリテラシーという言葉はちょこちょこと聞かれるようになってきたのではないかと思います。でも、それを実際に意識的に実践している方はまだまだ少ないのですね。それをやるべきかどうかということからまず議論をしなければいけないのですが、あまり難しいことをお話ししても、先ほどちょっと箕輪さんとディスカッションをしていたのですが、止まらなくなってしまって、議論の行きどころがなくなってしまったので、ごく簡単に話していきたいと思います。

 ここにいま挙げさせていただいたのは、メディアリテラシーを代表的に研究している方の定義ですね。これを全部読んでいくと、それだけで頭が痛くなってしまうので、色の付いているところだけちょっと見てみましょう。

 ピンク色になっているところは、一つ目が「クリティカルに分析する、評価する」。クリティカルってなんでしょうね。批判的にとか批評的にという意味ですね。つまり、番組などを評価する視点ですね。これは鈴木みどりさん、もともとメディアリテラシーはカナダで始まったと聞いたことがある方がいらっしゃると思いますが、そういったことを紹介しておられる、日本での第一人者ですね。もうお一方、水越伸先生、この方の場合は「批判的に受容して解釈する」。あまり違ったことは言ってないですね。

 最後の、これは総務省から出ている報告書で、放送分野における青少年とメディアリテラシーに関する調査研究会、2001年でしたか、ちょっと怪しいですが、そのくらいにそういうものをやりました。そのときに、この調査研究会なりの定義が出されています。このときは「主体的に読み解く」、「批判的に」とか「クリティカルに」というのとはニュアンスは微妙に違うかもしれませんが、とにかく、何かメディアから出てくる情報を読み解くんだという意識がまずありますね。

 その次は、緑色で「アクセスする、構成的に表現する、アクセスし活用する」、とにかく使ってみよう。まずはそういう姿勢ですね。受け取るだけではなく、使うという視点が入ってきています。

 もう一個、僕が青色で強調したかったのは、「コミュニケーションである」ということです。普通、番組を見ることをコミュニケーションするとは言わないのですが、結局、メディアにアクセスするとか、自分が発信する立場を経験しだすと、それは発信することで、では受け手はどうなんだという、そういう対話が始まるのですね。そのことをコミュニケーションだと言っています。

 まとめてしまうと、テレビ、新聞、コンピュータ、携帯電話、ここであえてテレビだけではなくいろいろなメディアを扱いましたが、そういったものとの付き合い方ですね。読み解くこともそうだし、あるいはメディアを使って人とかかわることもそうだし、発信することを学ぶこと。これがメディアリテラシーなのではないかと、僕自身は考えています。

 ただ僕は、お二人の実践を聞いたり、いろいろなところで情報教育に関する研究会に出させていただいたりした中で、いつも悩みごとがあるのですね。それがこれです。「情報活用能力」「情報教育」、こちらのほうは皆さん、もちろんご存じのことかと思うのですが、それとメディアリテラシーは、何が違って、何が一緒なんだろうか。僕はいつもこれが分からなくなってしまうのです。

 先ほど、皆さんの中の何人かに聞いてみたのですが、箕輪さん、もう1回、この中で言うとどれに当たりますかね。

箕輪 僕はAですね。情報活用能力、さっき三つ挙げた能力の中の一部であるメディアリテラシー。このメディアリテラシーは、マスメディアの側から言うと、僕は代表しているわけではありませんが、いろいろなメディアから送られてくる情報を、視聴者とかそれを消費する立場から、それがどういう意図でどういうシステムで送られてきているかをきちんと判断して受け取ることができる能力、というふうに思いますので、すると情報活用能力のごく一部かな、というのがいままでの考え方です。

稲垣 ありがとうございます。僕は、そういう話を聞いたときにこう反論したのですね。「情報活用能力の中に含まれるのであれば、別にメディアリテラシーとわざわざ言う必要はないと思うのですが」。でも僕自身もそれはすごく迷いがあって、「これはメディアリテラシーの実践ですよ」と言われたら、「うーん、そうかも」と思いますし、「情報教育をやっています」と言われても、「うーん、そうかも」と納得してしまうのですね。

 そのあたりが、金先生の実践を伺っていたときに、要項を見ていただいてもお分かりになると思いますが、国語の中で情報活用能力を育てたい、そういう思いで実践されていった中で、これは気付いたらメディアリテラシーかもしれない、そういう印象を受けられたと思うのですね。メディアリテラシーかもしれないという、そのへんの気付きのきっかけみたいな話を少しいただけるとありがたいのですが。

 横文字で片仮名で書かれますと、私などは国語科教員ですから縦の字に慣れているので、ウッと構えてしまうのですが、3単元まで振り返ってみますと、国語という教科は、情報とかメディアとすごく仲良くできる教科だなと感じています。

 稲垣先生がいまおっしゃったように、振り返るとメディアリテラシー教育だったんだなと、私がいちばん感じたのは、3単元に、「伝統文化を伝える」の後に「情報社会を見つめる」という単元が設定してあることは先ほどお話ししたのですが、ここでは「マスメディアを通した現実社会」という文章で、ケネディ暗殺が衛星放送で一斉に短時間で流れたことと、テレビというマスメディアの特徴に触れています。テレビで伝えられるものと伝わらないものがある。においとか砂ぼこりとか、サファリの例を出している説明文なんですが、それを読んだときに、いままでやってきたことがすごく生きていたのですね。生徒たちは、いろいろな流れの中で、自分も発信する立場に置かれましたので、その文章がストンと自分たちの中に落ちてきた。

 もう一つ、教材文としてあがっているのが「パソコン通信というコミュニケーション」という文章、俵万智さんの文章なんですが、これは、パソコン通信の特性について言っていて、内面から入っていったお付き合いの仕方が有効だと書いてある。人は、会うと外見から入るけれども、内面から入る良さもあるんだよ、というような話をした後に、ちょうどポーランドからウエダさんが来てくださいましたので、私も初めてお会いすることになったのですが、そういったことも体験できた。

 そういう3単元の流れの中で、ストン、ストンと落ちたところを見ると、いままで2単元まででやっていた力が、自然と、別に意識しなくても生徒の中に落ちていったのかな、と感じました。

 稲垣先生のレジュメに、「メディアからの情報を適切に理解し、道具として活用し、コミュニケーションをする力がメディアリテラシーと呼ばれている」と書いてあるのですが、私も、箕輪さんと同じように、Aと、先ほどお答えしたのですが、だとすると、黄色の部分が国語の場合はもっと膨らむのではないかという気がいまはしています。

稲垣氏

 どうもありがとうございました。こういったかたちで、実践の中から少しずつメディアリテラシー的な要素というものが見えてくる。そういった場面は、発信者として経験してみるとか、あるいは受け手として何を受け取るか、そういったことに意識的にならざるを得ない学習場面があったからこそではないか。そういう感じは受けています。

 僕自身は、これを考えていたとき、先ほど言ったように、情報活用能力とメディアリテラシーを違うものとして考えるのだったら、Dじゃないとまずいのではないかという意識がもともとはあります。

 このあたりを少し、この1月ですか、仙台でシンポジウムがあったのですが、そのときに一生懸命調べてまとめまして、このように整理したことがあります。これが要項に掲載しているものなんですが、結局、メディアリテラシーと言われているような実践にはすごくたくさんの種類があるのですね。それぞれ考えているメディアリテラシーのイメージがあって、僕はそれを否定する気もないですし、それぞれがメディアリテラシーだと思うのですが、大きく分けると大体この三つくらいであろうと。

 一つ目が、いちばん下に「技術的な次元」と書きましたが、映像と文字だったらどう違うか、そういう表現の特性ですね。あとはメディアの仕組み自体ですね。情報がデジタル化されるというのはこういうことだよ、とか、あるいはその使い方、ビデオ撮影するときはこういうところに気をつけたほうがいいとか、そういった話がまず根底にあると思います。これがないと発信ができませんからね。

 その次の真ん中のところに「社会的な次元」と書いたのですが、これは、先ほど箕輪さんがおっしゃっていたような、マスメディアというものが社会の中でどういう役割を果たしているか。これは金先生もおっしゃっていたケネディのような事件があったときに、マスメディアとしてそれがどう伝わったのか。こういった部分は、情報教育の実践の中ではあまり出てこない要素かもしれません。特にメディアのCMの仕掛けであるとか、そのようなメディア産業はどのようになっているか、この部分は社会科として扱っていい部分がたくさんあるはずです。

 いちばん上が、かなり国語的な話、あるいは図工だったり美術だったり音楽だったり、そういう表現系の科目にかかわってくると思うのですが、もう少しメッセージとして考えたときに、送り手としてどういう意図を持っているのか。あるいは受け手としてどのように解釈したらいいのだろう。どのように良さを味わったらいいのだろう。あるいは、送り手、受け手の間で相互にかかわりを持ちたいとか、表現をどうしたらいいかとか、そういった部分が出てくるのかなと思うのですね。

 でも、これだけいろいろあっても、例えば国語の教科でやるとします。それが知識理解であるとか、思考判断、意欲関心、態度とか、そういった4観点に表していくと、結局、メディアリテラシーって、学力として何なんだろうというのが僕の中に疑問としてあるのですね。

 それをいろいろ分けていくと、せいぜいこれぐらいのイメージかなと。これはもちろん、僕の案でしかないのですが、例えば社会的な話は知識理解としてちゃんと押さえたい事項であるとか、メッセージとして何を送ったらいいかは思考判断が問われる部分、そして表現の仕方は、技術的な部分に関しては技能表現とか、そのように分けて意識すると、教科での位置づけがもう少し見えてくるかもしれないのですね。

 でも、まだ「かも」という段階だと思います。これをすべて身に着けて子供がどうなるかというイメージは、僕もなかなかわかないのですね。ただ、メディアリテラシーを付けなければいけないという意見、いろいろなところで言われています。僕は、それ自身、すごく大事なことだとは思うのですが、ではそれを学校教育の中でどの教科でいつやればいいのか、そういった話はなかなか難しいのではないかと思っています。

 最終的に、お二人の先生の実践の話を聞きながら僕が持ったのは大体こんなイメージです。国語としては、映像と組み合わせる、表現系科目と連携させるとか、あるいは、先ほど最後におっしゃっていたように、いわゆるメディア論ですよね。そういうものを扱った読解の中から改めて認識し直す、意識し直す、そういう場面はつくれますよね。

 総合に関しては、調べてまとめて伝えるというのは、そのままメディアリテラシーの基礎になってくるはずです。

 あとは制作活動、後でちょっと佐藤先生にお伺いたいしたいのですが、先ほどのリンゴとミカンの話のときに、ビデオレターを作る活動があったのですね。そういった制作活動をするときに、メディアリテラシーはすごく強力な武器になると思うのです。箕輪さんが出していた「体験!メディアのABC」のような番組は、制作活動にすごく役に立つわけですよね。そういうものをうまく使っていけば、メディアリテラシーを組み込む入り口ができるわけです。

 高校に関しては、教科情報の中でそういう場面はたくさんあるのではないかと思っています。

 まとめの前に、ここでちょっと佐藤先生に伺ってみたいのですが、佐藤先生の中で、メディアリテラシーをどんな場面で、あるいは、このときは情報教育としてやっている、このときはメディアリテラシーとしてやっている、そのへんの区別などはあるのですか。そのへんが僕はいつも不思議に思いつつ、でもすごくうまく育った子供だったりとか、すごく良くできた作品を見ていつもびっくりするのですが、そのへんの話を聞かせていただけますでしょうか。

佐藤 結論から言えば、指導者も子供たちも、区別をつけないでやっています。例えば、最初に稲垣さんも話されたように、私は、子供たちが受け手から送り手になることが子供たちのメディアリテラシー能力を育てるうえで非常に大切だと思っています。

 私は前に宮古にいたものですから、4年前、宮古の自慢CMを作ろうという学習をしました。そのとき、CMを作るときに、カメラマン担当だったある子が、私に言ったのですよね。「先生、CMを作るようになってから、コマーシャルを見るときに、あっ、これはアップだ、これはルーズとか、前より分かるようになった」。つまり、前はなんとなく見ていたテレビやテレビCMが、自分が実際にカメラマンになってアップとかルーズを意識するようになることによって、見えないものが見えてきた。

 これがやはりメディアリテラシー能力を養う基本の一つだろうなと思っています。その点では、まず送り手になることによって、子供たちのその能力が育つ。いま私たちはそういう実践を「情報教育」とも言っていますし、「メディアリテラシー教育」とも言っていて、混在したかたちで言っている。子供たちの力が付けば、どちらでもいいのではないかと私は思っています。

稲垣氏

 そうなんです。結局、その子供にとってどういう力を付けるか、その話からいったら、それで確実に力が付いているのであれば、別に僕も情報教育であるとかメディアリテラシーであるとか、そんなにこだわりはないのですが、こだわっている方もたくさんいらっしゃると思うので、そこは難しいところかなとは思うのです。

 結局、いままでの話を考えていくと、メディアリテラシーという専門のそれ用の単元をしっかり作り込んで、その授業をしなければならない。内容によってはそういうものもある可能性はあります。けれども、いちばん分かりやすいことは、既存の教科、単元の中で、このメディアリテラシーを意識したほうが、より学習が広がる、あるいは深まる。そういったことが考えられる単元はないかな。これが一つなんですね。

 あとはプロジェクト活動。総合的な学習でCM作りをするとか、できるだけ長い期間の制作活動が入ったとき、それをもっといいものにしようと思ったら、メディアリテラシーの考え方が生きてくる。

 あとは、「長期的なかかわり」と僕は書きましたが、例えば学校の中の情報教育で低学年でキーボードが使えてとか、中学年でこれができてとか、そういう段階表を作ったりしている学校がたくさんあると思うのですが、それと同じようにメディアリテラシーも作っていくと、また、あれも増えてこれも増えてという話になってきますよね。でも、そこまでは行かないで、もう少し日々の実践の中で、例えば、朝の1分スピーチでデジカメを使ったものを使ったり、そういった取り組みをされている方はたくさんいらっしゃると思うのですが、そういったものが、ちょっとずつメディアリテラシーを意識するきっかけになっていけばいいのかな……。そんなに「メディアリテラシーだ」と肩ひじ張らないでも、少しずつ入り口を広げていって、それが最終的に子供の力につながっていけばいいのではないかと思っています。

 映像視聴ということで、放送教育であるとか視聴覚教育の中で、いろいろなかたちで映像メディアをたくさん使われてきたと思います。それがコミュニケーションのほうにだいぶ振れてきましたよね。というのは、携帯電話なりインターネットなり、メディアがどんどん変わってきたことによって、映像コミュニケーション手段として使えるようになってきたわけです。

 それを入り口にして日々の実践の中でメディアリテラシーを意識したり、あるいはそれが情報教育の力として育っていけばいいのかな、というのが僕なりの考えになります。ちょっと中途半端になりましたが、こんな感じでいかがでしょうか。

コーディネーター さっきのベン図をちょっと見せてください。結局どうなんだか、よく分からなかったのですが。そうか。要するに、包含関係になるのか、一部重複関係なのか、全然違うことを言っているのか、そんな感じですね。どう思われますか。僕もあまりよく分からないな。  これをさっき見せていただいて、先生はどう思いますか、なんていきなり言われて、すごい悩んじゃって、いまだに悩んでいるのですが……。

 でも、情報教育って、情報活用能力というものを育てるのが情報教育だというのですが、それは、小学校には教科としてないじゃないですか。あれは総合でやればいいんだという話になると、教科とは関係なくなってしまうのですが、「そんなことはないですよね。情報社会で教える国語と、情報社会でないところで教える国語とは、違う国語ですよね」という議論が一方であって、そうすると「情報教育って、なんでも情報教育ですよね」という話になってしまって、訳が分からない。

 きっと、メディアリテラシーもそれと同じなんですよね。言いたそうな顔をしている人がいっぱいいるので、どうぞ、箕輪さん。

箕輪 最後は稲垣さんにまとめてもらえばいいと思うのですが、メディアリテラシーというのは、日本では狭い意味で使われたと思うのです。それはやはりマスメディアが流す情報を視聴者なり消費者が見極める力だと思うのです。さっきテレビカメラが来ていました。たぶんあれはNHKの盛岡放送局のカメラだと思います。きょうの夕方かあしたの朝やるか分かりませんが、この大会のことをやるためにカメラが来ていました。たぶんあれはソニーのカメラで、いわゆるCCDが入っていて、業務用ですから1000万円ぐらいします。そういう機材を使ってテレビ局はずっとやってきたのです。

 ところが、いまカメラは、ムービーのものは大体10万円とか20万円出せば、皆さん、買えるわけですね。そうすると、従来、メディアを送る立場と受ける立場が明確にあったのが、そうではなく、だれしもがムービーのカメラで送り手になれるし受け手にもなれる。そういうことで、メディアリテラシーという枠組みがどんどん広がってきて、例えばBとかDになってきたのかな、と思います。

 稲垣さん、その次のものを見せてくれますか。これですね。さっきから、なんでメディアリテラシーが必要なのか、あまり議論されていないのですが、例えば、このメッセージの次元で表現技法とか送り手の意図、構成とかそういう力、あとは技術的な次元がありましたね。メディアの仕組みとか映像、文字、音声の特性、メディアの使い方とか、これはもうスキルとして身に着けていくものだと僕は思います。

 ただ、例えば、東北にいるとあまり意識はないのですが、福岡などにいると、福岡から上海までは飛行機で3時間ぐらいです。この間、上海に行ってきたのですが、ものすごい高度経済成長をしていて、コンピュータ業界も盛んです。すごい優秀な人材、こういうことが軽やかにできる人材、ものすごい数の若者が上海や北京を中心にどんどん生まれてきています。

 そういう若者たちは、月給10万円で働きますか、といったらもう働く。ものすごく働きますよ。単にこういうことができるだけではなく、非常にクリエイティブな力がある人たちが10万円で働く。福岡から3時間のところにそういうものすごい労働力としてあるのですね。どうするんだ、日本の若者たちは。仕事はどんどんそっちに行ってしまうじゃないか。単に学校は出たけれど、何ができるの、と。百マス計算ができます、とか。それは計算はできたほうがいいのですよ。

 つまり、こういうことをいま子供たちに身に着けさせることが責任としてあるのではないかと思うのです。なにも僕は、アジアの人たちと競争すること、打ち勝つことが目的でもないし、国として労働力をつくることが目的でもなく、学校教育は全人格的な教育をやるところだと思いますよ。それで言えば、こういう力を付ければ、たぶん豊かな生き方ができるのであろうということもありますが、切実な問題として、きちんとした労働力として、付けていかないとまずいのではないかという危機感が、たぶんいろいろな人にあるのだと思います。

 ちょっと優しく「メディアリテラシーが必要」とか言うのだが、ちょっと切実なところがあるのではないですか、ということですね。「余計なお世話だ。おまえからそんなことを言われる筋合いはない」と思うかもしれませんが、もう少し意識的に学校現場の先生方に考えてもらったほうが、僕はいいと思います。

最後に一言ずつ

コーディネーター うん。そんなメディアリテラシーなんて悠長なことを言っている場合じゃない。そんなことはないですね。

 ふと気が付いたら、あと3分で終わりにしなければならないという話になって、すみません、時間管理ができていない。

 金先生、いまのことを受けて、最後の一言で、メディアリテラシーと教科学習の接点ということに触れて、一言お願いできれば。

 私の中でメディアのとらえ方がはっきりしていないまま、情報教育とかメディアリテラシーということで考えて、メディアというのは何なのか、先生方のいろいろなお話を聞いて、もう一回しっかりして、生徒に向き合っていきたいなと思いました。

 なにも無理してやるものではないと思うので、私のレベルでもできるところから、できるメディアを使ってということで、これからも進めていきたいなと思います。

 ただ、メディアのとらえ方なんですが、ツールとして考えた場合、私たち教員なんかもメディアになるのでしょうか。

コーディネーター 僕に聞いているの。そうですよ、教員はメディアですよ。子供に使われてなんぼ、ですから、子供に使われるものとしてのメディア、子供が成長する材料の一つだ。そう言ったら言い過ぎかな。こういうことを言うから、「あいつはしょうがない」としかられるのですが、僕も一応教員なんで、学生に使われてなんぼのものだと思っています。そのために給料をもらっているので。

 では、より良いメディアになるために、私自身も、これからまた研修していきたいと思います。きょうはどうもありがとうございました。

コーディネーター ありがとうございました。では佐藤先生、お願いします。

佐藤 岩手という地を考えた場合、情報教育、メディアリテラシー教育をもっと広げていく必要があると思います。年配者の方、私も年配になるのですが、授業が定番というのか、もう固まっているので、なかなか新しいものを受け入れにくいところもあると思いますが、そこを破って、なんとか新しい実践をしてほしいと思います。

 隣のクラスに、去年、新採用された先生が来ています。今年2年目です。1学期に大仏様のデジタルコンテンツを私がお勧めして実践したら、子供たちの一番の1学期の授業の思い出がその「大仏の造り方」という授業だった。その授業のことを私に教えてくれました。

 ということはやはり、子供たちにとっても価値があるし、そのことを機会にその先生はデジタルコンテンツを活用するようになりました。ですから、若い人たちは気軽に手軽にやってほしいと思っています。

コーディネーター 最後に稲垣さん、お願いします。

稲垣 しゃべり過ぎないようにしますが、箕輪さんから、競争力というかたちで、学力の中でメディアリテラシーが大事だという話があったのですが、もう一つは、子供自身のいまのメディアの日常、あるいは生活の中でメディアがどのように考えられているかという話なんですね。

 結局、学校よりも家庭のほうが、インターネットも入っているし、携帯電話もどんどん使っている。そういう状況の中で、子供にとってメディアをどのように考えさせたらいいか。これは、将来役立つという意味の必要性と、もう一つは、いま現在だから考えなければならない必要性なのかと思っております。

 そういう意味で、金先生、佐藤先生の実践の中で、僕は、デジタルコンテンツを使った授業、そして学校間の交流学習、そういったものの中でメディアリテラシーを考える目というものはたくさんあるのではないかということに気づかせていただくことができました。どうもありがとうございました。

コーディネーター はい、ありがとうございました。コーディネーターの時間配分がうまくいかなくて、フロアに振る時間がなくなってしまいましたが、時間が来てしまいました。

 教科情報というものが新しく始まりましたが、その演習の一つに、きょう、朝起きてからいままでの間にあなたが触れたメディアをリストしてみよう、という演習があります。そうすると、「えっ、メディアって何を使ってきたかな、きょうは」などと振り返る。そのように意識することがメディアリテラシーの持つすごく重要なポイントなのではないかといま思いました。

 メディアというものを意識することを、各教科の学習の中で先生方が一度お試しになって、ああ、そういえば、こういうメディアも使えるよね。こういうメディア、こういうふうな使い方をしたらどうなんだろうね、ということを意識することからスタートしてみてはいかがかなと、きょうのパネリストのお話を聞いていて、考えておりました。

 ということで、もう時間になりました。パネリストの先生方に盛大な拍手をいただきまして閉じたいと思います。どうもありがとうございました。