「教育媒体・手段の方向〜どう予測するか」
『学校運営研究』1997年3月号(掲載予定)

拝復 多田元樹先生 お便り楽しく拝見しました。

かつて私は、「教育機器ごとに研究会を分断するという発想をやめなければいけないことを、マルチメディアはわれわれに示唆している」(注1)と主張したことがありました。

もともと放送教育や視聴覚教育、あるいは教育工学では、機器の利用という切り口で様々な分野の教育実践に共通して参考になる知見を模索してきました。利用可能なメディアが多種多様にわたるにつれて、研究会組織が各県・市町村の事情で複雑なねじれ現象を起こし、一人の実働教員がいくつもの名称の組織のために多すぎる研究会に奔走する「逆やまたの大蛇(おろち)」現象に悩まされています。

情報通信ネットワーク時代に入り、境界線がますます混沌としてきます。加えてこれまでの研究分野にまたがる環境教育や情報教育などの課題、あるいは週五日制を踏まえた合科・総合の動きなどがあります。それぞれが別々に歩むのではなく、「各教科の授業を受けているのは同じ子どもなんだ」との原点に立ち返ることが重要です。

それぞれの伝統を生かしつつも同じ教育課題に取り組む実践者が英知を共有しあうことはとても時宜にかなっており、その意味からもWITH1997の成果を期待しています。統合にあたっては運営面でのご苦労が多いかと存じますが、どうか辛抱強く大きな一歩を踏み出していただきますように。


直接教えない授業で自己学習力育成を

さて、お尋ねの件ですが、ここ数年間、関東地区の通信制高校の研究会にお邪魔しています。ここでのノウハウを全日制高校や小・中学校での授業実践に生かすことができないでしょうか。多田先生のABC型モデルにあてはめれば、通信制高校の多くは全日制高校に併設されているB型ですが、その運営組織は、教師の分業でA(全日制)とC(通信制)に分かれています。

通信制では郵便によるレポート提出・添削や放送番組利用などで「直接教えない授業」の在り方が模索されてきています。直接教えない授業は、直接教えることができない場合の止むを得ない処置であり、できることならば直接教えるのがいいのだ、という思いは教師ならば誰もが持っているでしょう。たしかに、通信制に通う子どものことを考えれば、毎時間教師に直接教えてもらえる子どもたちは幸せです。

一方で、通信制に通う子どもたちには独学することが要求されます。教科書を頼りにしながらも自分で調べて、放送を視聴して、自分だけでレポートをまとめることが求められます。高校を卒業したあとでも独学が続けられるようにという願いを込めて、通信制の先生方は独学の方法論習得も念頭に置いて指導されています。

40人を相手にすると、直接教える幸運に恵まれた先生でも子ども一人ひとりに目を配る時間は不足します。一人でできる子どもへの余計なお節介を避けると同時により助力が必要な子どもに目を配る時間を確保すること。そして、教師が直接教えなくても独学できる子どもに少しずつ近づけていくこと。いわゆる自己学習力の育成につながる教師自身のフェードアウトです。

「機械でできることはなるべく機械に任せて、自分でしかできないことに専念する時間を確保する」とおっしゃり、また「教えた」と「教えたつもり」を区別して「子どもがこの授業でいったい何を学んだのか」を常に基準にして授業の善し悪しを判断することを説いた沼野一男先生から直接受けた教えを実践され、同じ思いで研鑽を続ける仲間を益々増やされますように。

(注1)拙稿「マルチメディア時代に教育はどう対応していくか」『教職研修』一九九五年九月号 八○〜八三頁