『放送教育』1998年1月号原稿

日本賞審査を終えて〜審査員室からの報告〜


東北学院大学助教授 鈴木克明



1.はじめに

 第24回日本賞の審査は,エルニーニョの影響か,いつもの年よりも穏やかな11月20日(木),東京渋谷のNHK放送センターで始まった。次週金曜日の授賞式までの1週間で,47ヵ国から寄せられた163本の番組を審査するという強行スケジュールである。開会式と審査員の自己紹介,審査基準の確認をすませ,初日から早速,番組視聴が始まった。
 予定通りに審査のすべてが終了し,シンポジウムも授賞式も,そして紹介番組の収録も終えた今,初めて審査員として体験した日本賞を振り返り,舞台裏の一端をご紹介したい。読者の一人でも多くの方に,日本賞をより身近に感じていただければ幸いである。

2.日本賞との出会い

 かつてアメリカCTW社が制作した『セサミ・ストリート』が,応募初年度には斬新すぎて受賞を逃したものの,翌年には圧倒的な支持を受けてグランプリに輝いた。日本賞の歴史的逸話として聴き及んでいたことである。もちろん,『セサミ・ストリート』のその後の教育界へのインパクトは,誰もが知るところであるし,教育番組制作者へ与えた影響の大きさは,今でも日本賞に寄せられる番組の多くにマガジン形式が採用されていることでわかる。日本賞の存在自体が,時代をリードする番組とその制作者たちの交流の場となり,世界の教育番組制作の羅針盤としての重要な役割を担ってきたのである。
 しかし,私にとって,日本賞はそれほど近い存在ではなかった。私と日本賞との出会いは,3年前の第21回日本賞に寄せられた番組を二夜にわたって紹介したETV特集『日本賞特集』で進行役を務めたときであった。番組づくりのために数多くの応募番組を実際に視聴し,また番組担当のディレクター諸氏と,紹介する番組が語りかけるメッセージについて,あるいは番組の意義について,議論を交した。この経験は,私にとって,日本賞の存在をより身近なものにし,また,海外の教育番組を視聴する楽しさを実感させた。
 当時の応募番組の特徴を反映して2夜構成としたETV特集の第1夜は,「世界を映す教育番組」として,当事者が語る人権関連番組,国の成り立ちの根本を振り返る歴史番組,途上国の子どもの実態を伝えるドキュメンタリー番組などを取り上げた。また第2夜は,「環境問題に取り組む」として,幅広い年齢層の視聴者に応じて,様々な手法で,直接的に,あるいは間接的に環境問題を扱った番組を特集した。
 コマーシャル感覚のアニメ番組から,教師用のサポート教材を完備したシリーズものまで,あるいは,歴史的に貴重な素材を構成したドキュメンタリーから,最先端のCG技術を駆使した未来予測シミュレーション番組まで,応募作品の多様さと制作者の思い入れに対して,おおいに驚かされ,多くを学んだことが思い出される。そんな出会いを経て,今回の審査に加わったのであった。

3.日本賞の審査

 第24回日本賞に世界各国から審査員として集まった15人は,いずれも教育番組制作のベテランたちだった。その専門家集団に混ざって,教授システム論の立場から,また,これまでの放送教育実践者や番組制作者との関わりの中で学んだことをもとに,言いたいことはなるべく述べた。その見返りとしてはあまりにも多くのことを教えてもらった。
 16人の審査員は,まず4つの部門別に4人ずつのチームを作り,授賞候補作品を絞っていった。私は初等教育部門を担当したが,チームを率いる教育番組制作のベテラン,ジェイ・レイビッド氏(アメリカWQED社)を筆頭に,国際コンクールの主催者として毎年100本以上を視聴している予備審査責任者ジェリー・エゼキエル氏(カナダ・バンフテレビ祭副代表),そしてフィンランド放送協会教育番組部長の,ウラ・マーチカイネン=フローラス女史という顔ぶれであった。
 部門別のチームでは,応募番組を順番に一つずつ視聴し,その直後にお互いの印象や感想を出し合い,また意見の違いを表明しあった。番組構成の妙味や演出面の心配り,あるいは技術的な洗練度や撮影のていねいさなどの制作面から,対象年齢の子どもに対するアプローチの妥当性や目的との整合性などの教育的な観点まで,議論は多岐にわたった。議論を重ねるごとに,お互いの視点に違いに刺激を受けながら,審査は進んでいった。
 コーヒーブレイクも,昼食時も,4人は一緒に過ごすことが多く,番組についての議論が絶えることはなかった。一日が終わると,それぞれの部門の審査員同士がプライベイトな時間の中でも,部門別に議論されたことについてなどの情報交換に明け暮れていた。そんな毎日を過ごしていながらも,朝の集合場所で交す会話には決まって「夕べ見たテレビ番組」のことが登場した。「審査であれだけ番組を見ているのにホテルの部屋でも,また見ているなんて,我々は相当テレビ好きの集まりだ。」と笑ったりもした。
 審査も後半に入り,部門別の候補作品が出揃うと,全体会での視聴と各賞の決定に移った。審査員全員で,それぞれの部門から推薦された番組を視聴し,全体でのディスカッションをした。候補番組の視聴は,各国から参加のオブザーバーやNHKの番組制作者も一堂に会して行われ,オブザーバーとの質疑応答も興味深かった。しかし,審査員には,公正さを保つために意見表明を留保することが求められ,別室での非公開討議となった。
 審査員全員が意見を表明する機会を与えられ,そのあと挙手によって,各賞が決定した。グランプリは授賞式まで審査委員長以外には知らせないため,無記名票決となった。授賞式でイギリスBBC制作の『テレタビーズ』がグランプリと発表されるときまで,審査員は無事審査が終了した安堵感の中,それぞれに予想を立てて楽しんでいた。

4.応募番組の特徴

 さて,今回の日本賞には,どのような番組が寄せられたのであろうか。募集規定によれば,応募できる番組は,昨年の9月1日から今年の8月31日までの間に,初めて放送されたものとなっている。毎年新しくでき上がったばかりの番組が,寄せられてくる。1機関から応募できる番組は4つの部門にそれぞれ1つずつまでで,その合計時間は90分以内(1番組は60分以内)という制限がある。
 番組には,英語による吹き替えか字幕を付けることが求められている。また,英語の台本を10部付ける条件となっているが,応募の費用は無料である。これぞと思う番組があれば,世界のどの放送局・制作会社でも,応募できる条件が整っている。マケドニア,ラトビア,エクアドルの3つの初参加国を始め,47ヵ国97の機関から番組が集まった。
 日本賞は,教育番組に焦点を絞ったコンクールとしては,世界で唯一のもの(でなければ,最も歴史が長く,権威が認められているもの)である。教育の観点からの審査を可能にするため,応募用紙には,さまざまな記述が求められている。その第一は,対象の年齢層であり,これによって,就学前,初等,中等,成人の4部門に分けられる。この区分は,実際に審査してみるとわかるのであるが,実はそう単純なものではない。
 教育番組が学校の授業で用いられ,ある教科のある単元の内容習得を補助することを目的としているのであれば,対象の年齢層は簡単に決められる。一方で,たとえば「いじめ」の問題を扱った番組が,初等教育部門なのか,あるいは中等教育部門なのかを判断するのは,そう簡単ではない。どの部門に応募するかは,応募者が決めることであるが,初等教育部門における審査の過程でも,「この作品は,むしろ就学前教育部門に応募した方がよかったのでは」という意見が出たり,番組がよくつくられている場合でも,「初等教育向けというよりは成人向けだ」との理由で,高い評価が受けられないこともあった。
 映像による表現は,対象とできる年齢層が広いということ特徴をもつ。社会問題などを扱う場合は特に,「どの年齢層にも見てもらいたい番組」というケースが少なくない。部門別の枠組みの再検討を迫るほど,複合的で広い年齢層に関わるテーマを扱う番組が,増えてきたということができよう。
 応募用紙に求められる,教育の観点からの記述の第二は,番組の領域である。国語,外国語,地理,歴史,理科,音楽などの教科群や,道徳,環境,健康,宗教などの領域の中から,教科を1つ明記することになっている。ここ数年の傾向として,環境問題や人権問題などを扱う番組が目だっている。とりわけ,急激な社会変化のなかで傷つく子どもの心の問題に焦点を当てた番組が全体の4割を占めるまでになっている。例えば,「いじめ」の問題が,日本に限ったことではなく,世界の国々で問題となり,また様々な取り組みが繰り広げられている様子が伝わってきた。
 一方で,発展途上国からの応募には,テレビ教師が教室の子どもに直接語りかける番組も散見された。例えば,インドからは,地球儀と地図の対応関係を教える番組で,地球儀を切り取って紙に貼って地図に直していく様子をテレビ教師が実演しているものが寄せられた。いまだに,世界的に見ると,教室に有資格の教師が存在せず,テレビが教育活動の基盤インフラとして利用されていることが読み取れた。
 教育の観点からの記述の第三は,番組の意図やねらいについての説明である。ハンガリー放送協会の『レペタ』は,この欄に,「この番組の対象者は,高校の定期試験や大学受験のための準備をしている生徒である。よって,この番組の目的は,もっとも重要な5教科(数学,文学,歴史,物理,化学)などの知識をまとめ,組み立て,再構成することにある。…」と書かれてあった。しかし,実際に番組を視聴すると,トーク主体の解説型の教育番組と異なり,帰宅後の高校生が好んで見るようなバラエティー番組的な形式をとり,その中で重要事項をわかりやすく,興味関心を引くように扱っていた。審査員の予想を覆えしたアプローチの斬新さが高く評価され,中等教育部門の最優秀賞を獲得した。
 この項目の中には,番組の補助教材や教師向けのマニュアルなどとして何が用意されていたかを述べていた例や,さらに,審査用の添付資料として,それらの実物が送られてきたものもあった。放送番組は,その一方向性が限界であると指摘されて久しい。しかし,世界の教育番組制作者は,他のメディアなどとの融合により視聴者との交流を持ち,テレビメディアを媒介にして教育問題を解決していこうとする努力を続けている。たとえば,この『レペタ』の応募用紙には,「伝統的なテレビメディアに加え,通話料無料の電話回線5本による宿題お助けホットライン,ホームページ,それに電子メールを準備している。」と明記され,番組の中でも電子メール等の利用を呼びかけていた。
 さらに,ごく例外的にではあったが,この項目の中に,番組が視聴者にどのように受け止められ,どんな効果をもたらしたかを記述しているものもあった。例えば,イギリスのチャンネル4テレビの『ハッピープリンス』は,番組の視聴後に,「多くの小学校で,児童が自分達のハッピープリンスのオペラを演じた。」ことを述べて,番組の波及効果をアピールしていた。これはとても重要な情報となる。教育的な意図をもって制作し,放送された番組が果たして現実にどのような効果をあげたのか。番組視聴が,子どもたちにとって何をもたらしたのか。番組の意図の実現度も,すべての番組について知りたくなった。
 応募用紙に,番組に関連する資料の有無を記述させたり,あるいは,一歩進んで番組が及ぼした影響についての記述を求める項目を別立てにすれば,日本賞の教育番組コンクールとしての独自性が,より明確になるのかも知れないと思った。

5.おわりに

 授賞式にあたり,審査委員長のキース・スキッパー氏(オランダ教育放送協会)が講評の締めくくりに述べた言葉がまだ脳裏に焼き付いている。「多くの優れた番組が世界中から寄せられた。しかし,我々は,<教育番組にとって,最も優れた番組も,これでよい,ということはない。>ということを忘れてはならない。」
 教育番組制作者が,教育という視座でお互いの努力を励まし,お互いの成果を競いあうための国際コンクールとして,世界一の日本賞。制作者が,お互いを見つめる真摯なまなざしの中に,よりよい番組への探究が今後も続くことが確信できた。審査員として加わった第24回日本賞で,世界の教育番組が,私にとってさらに身近なものになった。これからも,どんな作品が登場するか,楽しみにしたいと思う。