『放送教育』1999年2月号(第53巻11号)原稿

第5回アジア教育番組国際ワークショップに参加して
  〜制作・利用の交流に向けて〜


東北学院大学教授 鈴木克明


1.はじめに

 第25回日本賞にオブザーバとして来日中のアジアからの放送関係者と日本の放送教 育に関わる研究者や制作者を交えて,第5回アジア教育番組国際ワークショップが開 催された。日本賞応募作品を視聴し,番組についての意見を交換し,アジアにおける 放送教育の現状と今後について話し合った。
 筆者は,昨年の第24回日本賞に審査員として加わった経験から,今年の参加番組に も強い関心を寄せていたので,喜んで参加した。視聴した番組4本は,それぞれが大 変興味深い作品であった。しかし,それにも増して,同じ番組を視聴したにもかかわ らず,ワークショップ参加者から多種多様な感想や意見,番組観などが出されたこと が,今ではより鮮烈な印象として残っている。
 さらに,これまであまり馴染みがなかったアジアの放送教育事情に触れたこと,ま た,国の枠を超えて番組を交流している試みについて知ったことも新鮮であった。改 めて放送教育の果たす役割の大きさを実感し,アジアの中の日本について見直すこと ができた。交された議論の一端を紹介し,有意義な一日を振り返ってみたい。

2.ワークショップの概要

 アジア教育番組国際ワークショップは,昨年11月18日,都内のホテルにて開催され た。海外招待者は,パキスタンテレビ理事のハシュミ女史,韓国教育放送(EBS) 番組研究所長のパク氏,マレーシア国営放送広報室長のチア女史,そしてベトナムテ レビ国際渉外部副部長のグェン女史という顔ぶれであった。いずれも第25回日本賞の オブザーバとして来日中であり,教育放送番組についての豊富な制作経験と見識を備 えた方々であった。
 国内研究者としては,筆者のほかに,関西大学の久保田賢一氏と金沢大学の黒上晴 夫氏が参加した。久保田氏は海外経験が長く,とりわけ発展途上国の実情に精通して いる。黒上氏は,NHK学校放送番組部が進めている番組とインターネットとを融合さ せる試みを指導しているメディア教育研究者である。
 主催者として,吉田圭一郎NHK学校放送番組部長,植田豊日本放送教育協会理事長 らが出迎え,議論にも加わった。
 主催者挨拶のあと,午前中にまず4本の番組を視聴した。昼食のあとは,たっぷり と4時間をかけて議論を交した。視聴した4本の番組は,日本賞に応募されたもので ,いずれも各部門で賞を受けた。番組の概要と,参加者の反応を次に順次紹介する。

3.フィリピンチャンネル7&子どもテレビ基金制作
  『バティボー』(就学前部門;郵政大臣賞受賞)

 14年間も放送されているフィリピンの人気子ども番組。4〜6歳向けに毎日放送さ れており,短いセグメントをつないだマガジン形式を採用している。幼児期の発育に 欠かせないあらゆる分野の魅力的な内容で,入学準備や価値観の確立をねらったもの である。
 この番組に対する共通した感想は,「セサミストリート」の影響を色濃く受けてい るが制作技術的には西欧のものと遜色がなくなったという点であった。この番組は, 以前にもこのワークショップで紹介され,当時のディレクターが「この番組が始まる と街に子どもの姿がなくなる」というエピソードを披露していた。当時からこの番組 を知っている参加者からは,「都会的なセンスをもつ,垢抜けた番組に成長した」と の感想があった。一方で,フィリピンの事情を考えると,もう少し田舎の子どもの実 情を反映した題材も扱って欲しいという意見もあった。
 お国事情にあわせた長寿人気番組に,技術的にも内容的にも磨きがかかり,部門賞 を獲得するまでに至った。このことは,よい教育番組を世界に広めてきた日本賞の貢 献を物語っている。アジアから部門賞受賞作品が出たことによって,これからの番組 制作に,いっそう力が注がれることを期待したい。

4.イギリスチャンネル4制作
  『シリーズ生物〜都会の生きもの その生息地』
  (初等教育部門;文部大臣賞受賞)

 イギリスの動植物の生態に焦点をあてる5本シリーズのひとつで,交通量の多い都 会の小学校の中に生息する動植物を,半年にわたる取材で丹念に追ったもの。一見荒 涼としている学校にも,たくさんの動植物が生息していることを知らせるとともに, 子どもたちが校庭の片隅につくった庭が半年間でどのように変化するかを見せている。  教育番組の長い伝統をもつイギリスからの作品であり,ワークショップ参加者から の感想は,きわめて好意的であった。鳥や蜂の目線から世界を捉えた動的なカメラワ ークや,花壇での季節の移り変わりを重ねた定点観測の映像,子どもが環境に対して 何ができるのかを具体的に示して行動化をねらった構成,動植物に詳しいプレゼンタ ーによる解説と子どもの活動を補助する教師役の使い分けなどが指摘された。一方で ,教室でこの作品を用いるとしたらどの段階でだろうか,四季の移り変わりを予め見 せてしまってよいのか,という疑問も投げかけられた。 授賞式のスピーチで制作 者は,「この学校には,10年前には自然と思われるものがほとんどなかった。自然を 取り入れる努力をすることで,こんなに自然豊かな環境に変化する,という可能性を 見せたかった。」と語った。よく見るだけでなく,自分が何ができるかを考えて行動 する。行動の結果生まれた自然豊かな環境を紹介することで,多くの子どもの, Think Globaly, Act Localyの気持ちが刺激されることだろう。

5.フィンランド放送協会制作
  『文学入門〜恐怖の満月 ホラーって何だろう〜』
  (中等教育部門;東京都知事賞及び日本賞受賞)

 文学や映画をもとに,ホラーやSFとは何かについて考えさせ,芸術・国語・メデ ィア学習を発展させる4回シリーズの第1回。子どもたちが恐怖感や怪物などについ て,また好きなホラー作家について語るインタビューで構成。蜘蛛の巣まみれで登場 するフィンランドのホラー作家が古典ホラーについて解説し,子どもたちが書いた2 つのホラーストーリーをドラマ化した作品が含まれている。
 この番組は,ワークショップ参加者からの最も強い反応を引き出した。この番組の 制作意図,つまり,この番組に込められているメッセージは何か。この番組を放送で きるフィンランドと抵抗感があるアジア諸国の違いはどこにあるのか。この2つをめ ぐっての議論が,かなり白熱した。ワークショップの議論を最も強く刺激したこの番 組が日本賞を授賞したとのニュースに接し,参加者同士の議論は,その後も続くこと になる。
 教育番組でホラーを取り上げること自体が,アジアからの参加者にとっては考えに くいことであった。子どもが出演して自分の好きなホラー作家について語ったり,あ るいは子どもが作ったホラーを血生臭さい映像を交えてドラマ化している。最新のCG を駆使しホラーのような演出が番組全体に採用されていることと相まって,独特の世 界を醸し出している。「確かに技術的には優れている。だが,内容が問題だ。」とい う意見や,「どうして日本賞がこのような番組を高く評価するのか」という疑問も表 明された。
 一方で,積極的な反応としては,読書離れの十代をホラーやSFなどの現代文学を 通じて活字の世界に招待していることや,映画などによって触れている世界が「作り もの」であることを意識させ分析的に捉える視点を強調していること,あるいは「活 字離れを防止するために放送メディアを用いているとは皮肉だが,メディア教育の一 環と捉えれば理解できる」という点などが指摘された。
 「怖さはわが国では日常的な現実であり,それを茶化すことは教育的にも宗教的に も問題」という否定的な意見もあった一方で,「怖いもの見たさのスリルを味わう, 安全な創作活動を促す」との肯定論もあった。「この番組は自国では放送できない」 とした者や,「西欧の伝統と日本のお化けを比較する材料となる」との捉え方もあっ た。
 この番組は教室での視聴を前提にして放送されている。放送枠を15分に設定してい るのも,視聴後に話し合いや創作などの関連した活動を促したいという理由によるも のだと言う。番組それ自体に説明的な部分が含まれていないこの種の番組を利用する ためには,教室教師によるサポートが不可欠であろう。たしかに,この番組を夜な夜 な,誰もいない暗い部屋で子どもが一人で見ているのでは,問題があるのかもしれな い。
 この番組が日本賞に輝いたのは,日本賞の評価基準に「斬新さ(Novelty)」が含 まれていることと無関係ではないだろう。斬新さは,議論が白熱した理由にもなって いたと思われる。教育番組の制作者が,次の時代を担う新しい番組の在り方を模索し ている中で,この番組が今後どのような評価を受けていくのか,楽しみにしたいとこ ろである。

6.韓国教育放送制作
  『かけがいのない地球〜喪失:学校も家もそして希望も…〜』
  (成人教育部門;ユニセフ賞受賞)

 地球環境について考えるシリーズ番組の一本。廃校に追い込まれた小学校の様子を 軸に,強制移住を迫られた住民が土地へ寄せる想いなどを描きながら,野放図な開発 がもたらす深刻な結果について問題提起したもの。
 『かけがいのない地球』シリーズの中で,この番組は,485回目の作品にあたる。 毎週放送されるこの長寿番組では,ドキュメンタリーを中心に据え,環境問題の深刻 さを訴える内容となっている。EBSのパク氏がワークショップに参加していること もあって,制作意図や韓国での受け止められ方について,詳しく事情を伺うことがで きた。
 この番組については構成についての話題が主となった。問題摘発型の構成がとられ ている番組であり,市民運動を啓蒙するなどの効果が期待できることや,失敗例をあ えて取り上げた制作者の勇気と責任ある態度が肯定的に受け止められた。一方で,解 決への道筋を示していないことへの不満や,人物設定にわかりにくいところがあるな ど,構成への否定的な見解も出された。
 議論は,成人部門で一位となったニュージーランドからの作品にも及んだ。海外か らのワークショップ参加者が,オブザーバとして視聴していたためである。インドか らの移民の見合い結婚とその挫折を描いたもので,文化間の葛藤や,女性の扱われ方 などを詳細に追いかけたものだから,是非視聴するように,と強く勧められた。少な からず移民の問題を抱えているアジア諸国の放送関係者に与えたインパクトが強かっ たようである。

7.各国の教育放送事情

 視聴した番組の受けとめ方の違いは,ワークショップ参加者個々の経験や主義の違 いを反映しているばかりではなく,各国における教育放送事情も反映しているようで あった。そこで,各国の教育放送の事情を紹介してもらった。その要約は,次のよう であった。
 ベトナム国営放送は,4つのチャンネルでテレビ番組を放送しており,教育番組は ,チャンネル2「教育と科学」で,主に中学生までを対象にした番組を放送している 。マレーシアには2つのチャンネルがあり,教育放送は,チャンネル2の午前中を間 借りした形で放送している。放送局は,本年4月よりマルチメディア省に移管される 予定になっている。パキスタンでは,公共放送の第2チャンネルが日本の開発援助に よって1993年に放送を開始し,首都イスラマバード圏内で政府広報や放送大学などを 含めた番組を展開している。韓国では,地上波1チャンネルに加えて,1997年に教育 番組専用の衛星放送2チャンネルを開始し,学習塾通いを減らす目的で,受験関連の 番組に力を入れている。

8.相互理解・共同作業へ向けて

 一口にアジアの教育放送といっても,これまでの経緯や現在置かれている状況は著 しく異なっている。しかし,今後に向けて,同じ教育放送に携わる者として,何かで きることはないだろうか。締めくくりに,今後の共同作業に向けてのアイディアを交 換した。
 韓国教育放送のパク氏からは,将来に向けて,アジア全体で取り組んでみたい4つ の共同テーマの提示があった。第1は,創造力開発に資する番組,第2は,教育改革 の紹介,第3は各国の文化などを紹介するシリーズ「これがアジアのナンバーワン」 ,そして第4は,初等教育向けの英語番組である。
 それぞれのテーマについて,放送教育関係者が英知を出し合って,番組制作に当た っていきたいという夢が語られた。韓国では,大学受験制度が大幅に見直される中で ,受験に直結した番組の放送も見直しの時期に来ている。EBSがこれからどのよう な番組の制作に力を注ぐべきかについて,真剣に模索している様子が読み取れる発言 であった。
 それぞれのお国事情が異なる中で,お互いを理解し合うためにも,共通のテーマを 設けた取り組みができれば有意義である。実現に向けて,サポート体制や人的交流な どの条件整備が必要であることが改めて確認された。また,基礎研究レベルでの交流 を持ち,その成果を各国の制作に活かしていくスタンスも必要ではないか,との意見 も出された。
 一方で,すぐ役立つ番組そのものの交流について,ハシュミ女史とチア女史から, 「子ども番組交換プロジェクト」の活動が,7年も続いていることが紹介された。ア ジア放送ユニオンの中に設置されているこのプロジェクトでは,毎年夏に会議を開き ,毎年設定するテーマについて制作した7分以内の番組を各国から持ちより,お互い の国で放送していると言う。予算や設備,スタッフなどが限られた条件の下で,少し でも質のよい教育番組を放送したいという熱意から,お互いの番組を交換して使うこ とが発想されたとのことである。今年はマレーシアの首都クアラルンプールで開くか ら,是非日本からも参加して欲しい,という要望が出された。
 国の壁を超えて,お互いに制作した番組を提供しあっていこうとするこの試みで, どのような番組が交換され,どのように活用されているのか,とても興味深い。自国 以外での利用を念頭に置いた場合,何が共有できるのか,交換しやすい番組はどう制 作すればいいのかなどといった検討も必要になるだろう。
 とりわけ,デジタル・多チャンネル時代には,交換するための手法や時間枠は拡大 されることが予想されている。コンテンツがいかにあるべきかという議論にこそ,こ れまでの教育放送での経験が活かされるべきであろう。豊富な映像資料の蓄積を持つ 日本の教育放送が,この国際的な共同作業にどのように関わっていけるのか,今後の 展開に期待したいところである。