『放送教育』1999年7月号原稿
(特集:21世紀をつくる放送教育〜放送教育全国大会へのお誘い〜)


小学校「情報」部会で楽しみにしていること


岩手県立大学ソフトウェア情報学部教授 鈴木克明



 放送教育の実践者が,情報教育をどのように捉えて,どんな授業を創造したのか,今からとても楽しみにしている。

 小学校では,コンピュータに「触れ,慣れ,親しむ」をキーワードに,いわゆる教育の情報化が進められてきた。パソコンがマルチメディア対応になり,CD-ROMなどで提供される図鑑教材などを使った調べ学習が展開されてきた。あるいは,インターネットを用いて,学校の外に開かれた調べ学習や,他の学校との交流や共同学習などが注目を集めている。2001年までに全国の小学校にインターネット接続が目指され,新しい指導要領でも「総合的な学習の時間」に教師主導ではない児童の主体的な学習の展開が求められている。

 一方で,コンピュータとネットワークを活用することだけが情報教育なのか,という疑問が投げかけられている。機器操作よりも情報の扱い方を学ぶのが重要だとか,今こそ映像を駆使した表現活動に重点を置くべきだとか,放送メディアとコンピュータネットワークを有機的に統合していくべきだ,などの主張が見られる。これだけの急速な変化の中で,放送教育だけが何も変わらない,ということはできまい。様々なメディアの可能性が錯綜する中でこそ,放送の特色は何か,あるいは,今までの実践の積み重ねから何を踏襲し何を変えていくかが問われている。

 提案される実践に出会う中で,子どもにとって,あるいは教師にとって,どんな意義をもった授業だったのかに思いを巡らせてみたい。まずは,教師が何を目指していたのか,実践からどのような手ごたえを得たのかを尋ねてみようと思う。そして,子どもにとって何が新しかったのか,子どもに何が残ったのかに迫れたらと思っている。

 授業デザインの立場からは,どんなメディアを用いても,それで「何が変わったのか」を確かめてみたくなるものである。以下に,確かめてみたいことを列挙しておく。

1.子どもの道具として

2.学習目的として

3.教師の助っ人として

4.授業を知る道具として