『教育研究岩手』第87号原稿(脱稿2001.11.7.)
特集:生きる力をはぐくむための情報教育の在り方


生きる力をはぐくむ情報教育をデザインする


岩手県立大学ソフトウェア情報学部教授 鈴木克明


1.『生きる力』をWebで調べると


 『生きる力』の育成。懐かしい響きのことば である。少し前にブームになった『生きる力』 ということばだが、どんな使われ方をしてきた のだろうか。早速、Web上の情報を検索エンジ ン(google.com)を使って全文検索すると、 「約66,000件見つかりました」との答えが返っ てきた。たくさんある。少し調べてみた。

 生きる力。西尾佳雄監督,石山竜嗣ほか出演, 松竹キネマ(蒲田撮影所)製作、1930年2月 封切の白黒無声映画のタイトル。明治32年か ら平成12年までに製作された日本映画約3万 4千本を収録するデータベースで見つかった。 そんな古い時代から使われていたことばか。

 両手両足の切断という重い障害を抱えながら も、人生をたくましく生き抜いた1人の女性の 生涯をドキュメントしたビデオ『生きる力を求 めて』の紹介。氣(宇宙エネルギー)をどのよ うに生活の中に取り入れれば良いのかを扱った 著書『生きる力、生かす氣功』の紹介。自己を 癒すためのCGと詩の記憶:沖縄に住む3人の 人のアーチストが自分たちの作品を発表してい るサイトの名前が「生きる力」。あまり新学習 指導要領とは関係がなさそうだが、打ち克つ力、 たくましさ、エネルギー、あるいは、美しさ。 そんなイメージだろうか。

 学校教育に関連していると思われるサイトも たくさんあった。子どもの生きる力をテーマに して意見交換をしている会員360人のメーリ ングリスト。'98教育総合展テーマ:食と農で 「生きる力」を育む総合学習<食教育ゾーン> の展示レポート。生きる力を育てる教育ネット ワークOUT。OUTとは、「画一性に抵抗で きない無知さと脆弱さからの脱皮による“自由” の自己獲得」という意味を持つそうだ。学校の 教師によるエッセイ:「面白半分式生きる力テ スト」「子どもの願いをかなえることが生きる 力か?」。さらには、生きる力掘り起こす給食 へ:学校給食全国集会のテーマ。こうなってく ると、中教審答申と関係ありそうだ。

 兵庫県立教育研修所図書室所蔵「生きる力」 文献リスト(更新日 99/06/03)では、雑誌・ 資料・図書をあわせて554件の生きる力関連の 資料があるという(ほかに、「心の教育」文献 が268件、「総合的な学習の時間」文献が482 件ある)。こういうリストは情報検索には大変 ありがたいスタート地点になる。

 2000年 6月23日公開の「放送分野における青 少年とメディア・リテラシーに関する調査研究 会」報告書(総務省)では、青少年がメディア 社会を生きる力としてメディア・リテラシーを とらえ、施策の方向性を提言したとある。一度 目を通してみたい報告書だと思った。


2.中教審の『生きる力』


 『生きる力』を盛り込んだ中教審答申の全文 (平成8年7月の第一次答申)も、まだインタ ーネット上に公開されていた(http://www.  monbu.go.jp/singi/cyukyo/00000151/)。パン フレットには、次の説明が書かれている。

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これからの教育は[ゆとり]の中で[生きる力] を育成することを大切にします。これからの社 会は、変化の激しい、先行き不透明な、厳しい 時代と考えられます。そのような社会では、子 供たちに[生きる力]をはぐくむことが必要で す。[生きる力]とは?

◆自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、 主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解 決する能力

◆自らを律しつつ、他人と協調し、他人を思い やる心や感動する心など豊かな人間性とたく ましく生きるための健康や体力

中央教育審議会では、これらの力を[生きる力] ととらえました。

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 この答申を受けて、新学習指導要領の実施に 向けて、様々な学校で生きる力をめぐる実践的 研究が展開されてきた。その様子もやはり、イ ンターネット上で眺めることができる。生きる 力と体育,音楽,社会科,道徳など、教科ごと の研究領域と生きる力の育成を結びつけたもの が多い。最近では、総合的な学習の時間の試行 との関連で、生きる力とは何かということに再 び光が当てられている。


3.教育の情報化をめぐる動き


 平成11年12月に小渕総理に提出されたバー チャルエージェンシー最終報告では,教育の情 報化によって,子どもを変え,授業を変え,学 校を変えるという指針が出された。高度情報通 信社会を生きるたくましい子どもを育てるとい う新しい教育目標の実現には,それにふさわし い「新しい革袋」となるように学校を変えてい く必要があることを力説している。

 教育の情報化を推進するために,「平成13年 度までには,すべての学校をインターネットに 接続する。また、すべての教員がコンピュータ を活用して指導できる体制をつくる」との目標 を設定した。いよいよわが身にも情報化の波が 押し寄せるのか、という感じをもたれている先 生方が岩手県にどのぐらいの割合でおられるか はわからないが、設定された目標年度は、他な らぬ今年度である。

 加えて、ミレニアム・プロジェクト(平成11 年10月19日,内閣総理大臣決定)では,「2005 年度を目標に,全ての小中高校等からインター ネットにアクセスでき,全ての学級のあらゆる 授業において教員及び生徒がコンピュータを活 用できる環境を整備する」とした。新学習指導 要領が高校でも開始される時期であり、それま でに何とか準備を整えていきたいという方針で ある。具体的には、各教室にインターネットに 接続したパソコンを2台ずつと画面をクラス全 員に見せるためのプロジェクタとスクリーンを 配置するという姿が描かれている。

 地方交付税扱いながらも積算額は十分に予算 化されているとのことで、「あとは、それぞれ 地方自治体で声をあげて要求してください」と なるわけである。期限付きの具体的な目標を掲 げて積極的に施策を展開していくことで,学校 が変わり,授業が変わり,子どもが変わってい くことを期待したいものである。そのためには, 教師も変わらなければなるまい。

 筆者は,ここ数年来,いくつかの教育の情報 化推進プロジェクトに参画してきた。一つは, (財)コンピュータ教育開発センター(CEC) が受託した「教員研修カリキュラム・教材開発」 (分科会主査:平沢茂文教大学教授)である。 コンピュータ教材を活用した授業づくりにむけ ての校内研修を自分たちで進めることができる ように、研修プログラム案やビデオが満載され たCD-ROMを,全国の教育委員会経由で4万の 公立学校に配付した。先生方の学校にも、ピン ク色の紙カバーに入ったCD-ROMが教育委員会 経由で配布されたはずであるが、ご覧になられ たであろうか。

 もう一つは,(社)日本教育工学振興会(J APET)が受託した「情報化推進リーダ養成 のための研修システム開発」(主査:赤堀侃司 東工大教授)である。このプロジェクトで開発 された5枚組のCD-ROMが、平成12年度から3年 計画で実施されている「教育情報化推進指導者 養成研修」で活用されている。筆者は、この研 修システムがどの程度の効果をあげているかを 調査し、CD-ROMを改訂するための提案をする評 価部会のメンバーとして加わり、貴重な経験を した。さらに、全国で実施されている指導者養 成講座の講師も何度か担当し、各県の推進リー ダとして活躍が期待されている先生方とともに、 教育の情報化の問題を考えてきた。

 この2つのプロジェクトでは,筆者のこれま での研究や研修講師の体験などを踏まえて,研 修方法を意識化することを提案してきた。「こ の研修を受けることで,新しいことを学ぶとき (教師には研修,子どもには授業)には,こん なやり方もあるんだということを体験して欲し い」という考え方である。もし我々が,バーチャ ルエージェンシーが示すように、子どもの学び を変え,授業を変え,学校を変えることを目指 すのであれば,新しい学び方を取り入れた研修 方法を創造していく必要がある。

 情報教育の研修にこそ,情報教育の未来が写 し出されているべきだという論考は、情報教育 の未来を特集した文部科学省発行の『教育と情 報』2000年4月号に掲載していただいたので、 参考にしていただきたい(鈴木、2000)。


4.ボトムアップねらいか高校新教科「情報」


 教育の情報化をめぐるもう一つの動きは、普 通科高校に必修の新教科「情報」がスタートす ることである。情報教育の総仕上げはやはり高 校で、ということであろうが、最も情報化が遅 れている普通科高校に、最も大きな変化を期待 するという点を問題視する方も少なくない。

 普通教科「情報」が目指すところの、いわゆ る市民教育としての(職業教育としてではない) 情報教育がなんとか根付いて欲しい。それによ って、情報詰め込みに偏りがちな高校教育に一 石を投じ、自分の頭で考えることの楽しさが体 験できる時間に、そして情報過多の世の中で自 分の道を自分で歩いていける人を育てる時間に なって欲しい、という期待は大きい。だが、現 実は波乱含みのようである。

 筆者は、文部省(当時)教科「情報」に係る 現職教員等講習に関する調査研究協力者会議の 委員を委嘱され、高校の先生方が夏休みに3週 間集中で講習を受けて教科「情報」の免許を取 得する、いわゆる免許講習のテキスト執筆陣の 一員となった。「コミュニケーションの基礎」 を担当した。免許講習の講師陣のための指導者 研究協議会の講師をつとめたり、また、各県の 免許講習で使われている(はずの)衛星配信ビ デオの講師もつとめたりした。

 この経験から学んだことは多かったが、「こ の新しい教科には、様々な課題があるなぁ」と いうのが率直な気持ちである。昨年8月盛岡白 百合学園高校で開かれた第27回岩手県私学教育 研修会情報処理分科会に引き続き、今年の8月 に仙台で開かれた第41回東北地区私学教育研 修会情報部会でも、高校の情報教育の現状に接 することができ、また筆者も新教科の新設に立 ち合って思うことなどを述べる機会があった。

 新教科「情報」の今後を左右する問題は様々 であるが、なかでも、大学入試センター試験に 採用されるのか、操作技術(ノウハウ)の修得 に終始しないですむのか、中学校での基礎技能 の修得度の格差にどう対処するのか、良い教科 書が出るのか、情報教育研究会はどう位置づく のかなどが、特に気になるところである。

 市民教育としての普通教科情報と職業教育と しての専門教科情報の両方が担当できる免許に 一本化されたことや、免許講習受講の基礎資格 となる免許教科が限定されたことも、今後に少 なからぬ問題を残したのではないかと危惧され る。各県ごとの教員配置・採用計画における情 報科の扱いも、今後注目されることである。

 この経験は、筆者が勤務する岩手県立大学ソ フトウェア情報学部に教員養成課程を申請し認 可される上で、大いに役立った。県教育委員会 のご理解もいただき、文部科学省の特例措置に よる在学生への適用も可能になり、現在の3年 生約20名が、平成15年度新採用を目指して履修 をスタートしている。異例のスピードで設置へ 動くことができたのも、情報を専門に扱う学部 を持つ県立大学として、県内高校に情報科教員 を輩出することは直接的な貢献ができる道だと の学内合意が得られたからである。

 筆者自身も今年度から情報科教育法(4単位) を担当し、将来の職業として高校教員を真剣に 考えている学生諸君とのつきあいが始まった。 来年度はこれに教育実習の事前事後指導が加わ ることになる。赴任時には予定していなかった 仕事が増えたことになるが、自分の弟子が一人 でも岩手県の情報教育のお役に立てる日を夢見 て、様々な工夫を重ねている。さらに、来春の スタートを目指して、大学院ソフトウェア情報 学研究科に情報科専修免許課程も申請中である。 ともに岩手県の情報教育について考える仲間が 増えることを大いに期待したい。


5.情報教育はパソコンなしでもできる*1

 さて、これほど重要視されている情報教育と は何かを考えてみよう。文部科学省的に言えば, 情報教育とは,情報活用能力を育成することを 指す。情報活用能力とは,情報活用の実践力と 科学的な理解,それに社会に参画する態度であ る。小学校段階から「総合的な学習の時間」な どで実践力を中心に始め、中学校では各教科等 の中で扱うとともに技術家庭科に拡充・必修化 した領域「情報とコンピュータ」で深める。仕 上げは高校の新教科「情報」となる。

 ところで、情報教育と言えば,パソコンを使 えるようにすることだと考えている人が多い。 これは誤解である。情報教育といえば,ホーム ページで調べたり電子メールを使わせたりする ことだと思っている人も最近は増えている。こ れも誤解である。もちろん,そういう道具を使 って情報教育をやってもいい。でも使わなけれ ばできない,ということではない。情報活用能 力の3つの柱には、パソコンの「パ」の字も出 てこない。機械なしでも情報教育は可能である。 少なくとも、職業教育ではなく市民教育の文脈 では、使うべきかどうかの判断も求められる。

 「今の子どもは情報教育が受けられるから幸 せ。私ももう少し遅く生まれてくれば大学生に なってからキーボードを初めて触ることにはな らなかった。将来,パソコンやインターネット が得意な後輩に囲まれても困らないようにと焦 りを感じています。」と,ある教員養成系大学 生がつぶやく。確かに今からでも遅くはないか ら,いろいろと挑戦してみることだ,と勧める。 生涯学習の時代だから。しかし,君たちが情報 教育を受けてこなかったというのは間違いだ, との指摘も忘れない。だって,情報教育はパソ コン教育とは違うのだから。

 そういうと,あっけにとられた顔をする。そ こで私,「情報とは暗記するものだ,とにかく 頭に叩き込め。多く情報を覚えているものが勝 つ。先生の言うことに間違いはないから信用し て良い。」これが我々が受けてきた情報教育だ。 今求められている情報教育は違う。情報とは絶 えず変化するもの。情報とは玉石混交で思惑含 みだから用心して必要なものだけを取捨選択し なければならない。いらない情報は捨てろ。偏っ た情報を見抜け。自分からも積極的に発信せよ。 子どもにはそう教えなさい。

 確かに「情報教育」という言葉は使わなかっ たかも知れないが,私たちの世代も,立派な情 報教育を受けてきた。護送船団方式で,上長の 命令を素直に受け入れて着実に作業をこなす人 間を育てるために都合が良い「情報」に対する 促え方に基づいて。ところが世の中が変わって しまった。そんなナイーブな感化されやすいま までは,変化の荒波の中に巣立っていくことは 難しい。そんな世の中になった。ただ覚えてき たことだけで生涯働くこともできず,絶えず新 しい何かを学び続ける必要がある。黙々と働き 続けるだけでなく,自己主張をしなければ自分 を守っていきにくい。

 そんなわけで,素直に覚えるだけの情報教育 から,活用能力が重視される情報教育になった と見れば良い。もっとも,心ある教師は,昔か ら「自分が教えることが絶対だ」とは言わなか ったし,「自分の目でしっかりと見て解釈する こと」の大切さを教えてきた。それが情報教育 という名の下に再認識されただけのことなので ある。筆者は、そう考えている。


6.総合的な学習の時間は腕のみせどころ

 さて,情報教育について述べるときに,昨今欠かせないのが,総合的な学習の時間である。総合的学習は、自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する力をつけるために導入されるという。情報を鵜呑みにせず自分の目的を意識して活用する力をつける,と言い換えれば,まさに情報教育そのものになる。もちろん,総合的な学習のテーマとなる国際理解教育や環境教育などを実施する際にも,最新情報をインターネットで収集したり,海外の子どもたちとの交流をテレビ会議で行ったりと,情報通信手段の活用が望まれている。何をやるにも情報教育の目的である「実践力育成」が副産物としてついてくることになろう。

 せっかく新しく始まる総合的な学習の時間を少しでも有意義に計画してもらおうという主旨で,(社)日本教育工学振興会がまとめた小冊子『先生のためのガイドブック みんなが生き生き総合的な学習の時間〜インターネットでひと工夫〜』がある。文部省(当時)委託事業として初心者にもわかりやすく,実践事例に即してつくられている。筆者も,中学校部会担当の副委員長として参画し,大変勉強になった。1冊700円という手頃な値段設定もあり,好評とのことだが,もうお手にとられただろうか。

 新しい道具をつかうことで,何か新しい学びが予感できるとすれば,それを利用するのも良い。インターネットは強力な道具だから,より豊かな学習環境として大いに期待できる。ただし,使えば良いというものではない。インターネットを使うことが情報教育の目的ではないのだから,この強力な道具に振り回されないよう,しっかりと使いこなす覚悟をして臨もう。

新しい道具をいかに使うか,授業づくりの腕の見せ所である。道具はインターネットに限らない。とにかく子どもたちに情報活用能力が身に付いてきたな,と実感できれば,総合的な学習の時間は大成功である。実践力を身につけ,科学的な理解を求め,そして社会に参画する態度を培えば,世界の難問にチャレンジしていくだけの勇気と知恵をもった子どもが育つであろうから。

 ひるがえって,教科の学習は今までと同じで良いのだろうか。教科の学習がせっかく芽生えはじめる情報活用能力を押しつぶすことになっていないかどうか,確認したいものだと思う。教科学習の行き詰まりが,総合的な学習の時間の新設に踏み切らせたのかも知れない。しかし,そのことは,教科学習をおろそかにしてもいい,ということとは違う、と筆者は思っている。

 「各教科で目指してきた理想像は総合的学習の目的と相反するものなのであろうか。筆者の目には、そうは映らない。むしろ、各教科の理想像が置き去りにされている授業の現状が問題なのではないか。克服されるべきは教科主義ではなく、教科主義と言う名の『なぞり』、『丸暗記』、『あてもの学習』ではないか。」(鈴木,1999b)という思いは変わらない。

「なぞり」とは、マニュアル依存授業,「丸暗記」は、なるべく広範囲のことに触れたというアリバイづくり、「あてもの学習」とは、何が教師がここで望んでいる答えかをあてることに腐心する学習のことを指す。  教科学習の日常を,あらためて見直すことを忘れないようにしたい。総合的な学習の導入で一番試されているのは,教科学習における教師の腕だと思えば間違いない。


7.授業デザイナーになる

 情報教育や総合的な学習の時間を新たにつくっていく場合もさることながら,各教科の時間についても再検討を加えようとしたとき,役に立つのが「授業デザイナー」の視点である。我田引水であるが,これが筆者の専門なのでご勘弁願いたい。最もありがたいのは,拙著『放送利用からの授業デザイナー入門—若い先生へのメッセージ—』(日本放送教育協会刊,1995年)を読んでいただくことであるが,そのさわりを申し述べることにする。

 授業を設計(デザイン)する目的は授業をよりよくするためであるが,より良い授業にするとは,効果を高め,効率よく,魅力的な授業にすることだと考える。そのためには,多くの問題が山積している。



などである。それらの問題に対して,しろうとでもわかりやすく,様々な実践者の知恵と工夫を結集しやすい枠組みが提案されている。たとえば,失敗を次に生かすためのシステム的アプローチ,学びのプロセスを助ける作戦を整理したガニェの9教授事象,授業・教材を魅力あるものにするためのケラーのARCS動機づけモデル,教師主導の一斉授業を問い直すブランソンの情報技術型学校モデル,学習成果の個人差を説明するキャロルの学校学習モデルなどが,筆者お勧めの枠組みである。

 これらの枠組みを参照しながら,何を目指して,どんな学習環境の中でどんな学習活動を仕掛けるか,そして,成果がどの程度あったかをどう確かめ,何を直していくかを実践の中で意識的に考えて行く。これが授業デザイナーになる,ということである。

 なかなか魅力的だとは思いませんか?それが授業デザイナーであるとすれば,すでにもう自分も授業デザイナーだ,とは思いませんか?


8.おわりに

 筆者も大学教育の現場で教育実践に携わる 「授業デザイナー」でありたいと思っているの で,自分でもいろんな工夫を凝らしている。な にしろ旧態依然として「しゃべるだけ」の授業 をやっている総本山は大学だから,言うばかり で何もやらない人にならないように注意が必要 なのである。とりわけ、新しい教科の教育方法 を扱う「情報科教育法」自体の教育方法には神 経を使わざるを得ない。

 筆者の鈴木研究室は,いつでも訪問者を歓迎している。もしも滝沢までが遠い,というのであれば,ホームページ上で参観していただければ幸いです(http://www.et.soft.iwate-pu.ac.jp)。これまでに引用してきた拙著を含めて,筆者の書いたものは(この原稿も含めて)ホームページ上にあります(http://www.iwate-pu.ac.jp/home/ksuzuki/resume/)。ご活用ください。感想等は電子 メールで(ksuzuki@soft.iwate-pu.ac.jp)。


注 *1 この項以降は、次の拙稿をもとにした。

鈴木克明(2001)「迷うことなくしっかりとした 授業づくりを」『山形教育』2001年3月号 (第317号)、山形県教育センター

参考文献


鈴木克明(1999a)「情報教育を考える〜学校の情報化はどこへ向かっているのか〜」『放送教育』1999年6月号、 14- 18

鈴木克明(1999b)「総合的学習は様々な教科主義が出会う広場 〜エセ教科主義を克服して、教科主義の復活を〜」『現代教育科学』1999年8月号、 63- 65