鈴木克明(1995)『放送利用からの授業デザイナー入門〜若い先生へのメッセージ〜』財団法人 日本放送教育協会



第1章 個人差への対応を整理する枠組み


メッセージ
教師が教えようとすることを、それを学ぶために必要な時間をかけて学ぶかどうかを選択するのは、教師ではなく子ども自身である。


はじめに
1 キャロルの時間モデルとの出会い
2 成績の差はどこから来るのか〜能力差から時間差へのパラダイムシフト〜
3 学習に必要な時間を左右する要因
4 学習に費やされる時間を左右する要因
5 個人差への対応を整理する
6 自分の人生設計ができる子どもを育てる〜時間をどう使うかを決めるのはだれ?〜


■チェックポイント■

1 自分の授業を反省する材料としてふだんどんな手だてを使っていますか。     




 
2 自分が理想とする授業とはどんな授業ですか。また、それを最近考えていますか。 
「メモ」
(本文を読む前に、チェックをしてみての感想などを書き残しておいてください)


はじめに キャロルの時間モデル

放送番組を「助っ人」として使いこなす力量をつけるという観点から役立つと思われる事柄の第一弾として取り上げるのは、B・S・ブルーム(Bloom)らの完全習得学習(マスタリーラーニング) の理論的根拠となったJ・B・キャロル(Carroll)の学校学習モデル(時間モデル)である。キャロルのモデルが広く発表されたのは一九六三年 ! 、今から約三〇年前になる。それ以来、米国を中心に学校教育のあり方に大きな影響を与え続けてきた。

一九八八年ニューオリンズで開催された米国教育研究学会(AERA)で、「キャロルの学校学習モデル:二五年間を振り返って」と題する招待講演が行われた。キャロル教授自身による講演テープ " を入手してその肉声に触れたことが、筆者にとっては文献以外での唯一の接触である。

1 キャロルの時間モデルとの出会い

筆者は、米国留学での最初の学期に履修した「メディア制作過程入門」の最初の時間にこのモデルに出会った。その時の感動は、日本語まじりのつたない英語のノートと共に、今でも脳裏に焼きついて残っている。今思い起こしてみると、「この講義はメディアの制作過程を扱う技術的な内容で実習中心だから語学のハンディの影響も少なく履修しやすいだろう」という安易な気持ちで臨んだ筆者にとって、冒頭からメディア利用の真髄に触れたと感じるショックを与えるものだった。

「メディア制作過程入門」は、修士課程の必修講義の一つで、後に筆者の博士論文の主任指導教授になるウェージャー(Wager, W.W.)が担当していた。講義といっても、実技を通して学ぶ形式で、簡単なCAI教材、音声説明つきのスライドシリーズ、ビデオ教材の自作実習を通してメディアの特性、制作過程、用語などを扱うものであった。講義の目的は、授業設計の専門家としてメディアを有効に駆使できるように、またメディア制作の専門家とコミュニケーションがとれ共同作業ができるように、制作過程に親しむことにあった。

講義の冒頭で、シラバス(講義の目的、内容、スケジュール、評価方法などが記された概要説明書)を配付しての説明があり、メディア制作過程に関する九九の用語などについての受講生の既有知識を調査する事前テストが行われたあと、学習目標リストと課題が配付された。第一週はメディア選択にかかわる一般的な問題を扱うので、教科書の約半分と二つの論文を読んでこいと言われ、大いに慌てたことを思い出す。

第一週の学習目標には「授業とは何かを定義せよ」「メディア選択にかかわる主要3要因を説明せよ」「デールの経験の円錐の理論的根拠を説明せよ」「学習効率と学習効果の関係をメディア選択に関連させて説明せよ」などがあり、最後の項目が、キャロルのモデルに関する次のものだった。

 生起する学習の度合いを高めるためにメディアをどのように活用できるかを、キャロルのモデルに含まれている変数にしたがって簡潔にまとめよ

2 成績の差はどこから来るのか〜能力差から時間差へのパラダイムシフト〜

キャロルの学校学習モデル # は、学校で授業を受ける中で、ある子どもは成功しある子どもは失敗を重ねていく現象がなぜ起きているのかを説明し、失敗を防いだり立ち直らせるための手だてを提供するにはどう考えたらよいかを模索した結果として生まれたものである。それは、「能力の差から時間の差へのパラダイムシフト(発想の転換)」であった。

例えば、ある教科のテストで九〇点を取ったA子と四〇点を取ったB子がいたとしたら、その差は何が原因だったと考えるだろうか。A子は頭がいい子でB子はそうでない子、あるいはA子は真面目に努力したがB子はさぼった。あるいはその両方だった。少しひねくれれば、A子のヤマがあたってB子のははずれただけとも考えられる。教え方の反省をする先生ならば、自分の授業がA子には適していたがB子には合わなかったと考えるかもしれない。実際にはどの場合もありうるが、どの点を考えるかで、その後の対処のしかたも変わってくる。

キャロルは、成績の差が子ども個人の資質(生得的能力、知能指数など)に起因するものだと考えずに、「良い成績をおさめるために必要な時間を使わなかったこと」が原因だと考えることで授業改善の道を模索した。どのテスト結果を見ても歴然とあらわれる個人差を固定的な能力差とみなすと、それで工夫の余地が閉ざされる。どんなに頑張ってもできない子には難しすぎてだめだと思うよりも、「大抵の子どもは、その子に必要な時間さえかければ、大抵の学習課題を達成することができる」という視点に立つのはどうか。そうすれば、その子にとって課題達成に必要な時間をどう確保し、どんな援助(環境、問題、助言など)を工夫したらもっと短い時間で良い成績がおさめられるような授業になるのかを検討できるのではないかと考えた。

確かに、ある学習課題を短時間で達成してしまう子と、じっくりと時間をかけて取り組む必要がある子がいる。それを同じような授業を同じ時間だけやって、同じテストをすれば差がでるのは当たり前である。「頭の悪い子」とレッテルをはるよりも、「時間をかけて勉強する必要がある子ども」、あるいは「援助が余分に必要な子ども」と考えれば工夫の余地が生まれてくる。能力差から時間差への発想の転換が提案され、多数の教育実践者は自らの努力を支える理論を得た。

キャロルは、課題達成の度合い(テストでの成績)は、ある子がその課題を達成するのに必要な時間に対して、実際にどれだけ勉強に時間を使ったかの割合で表現できるとして、次の学習率の式にモデル化した。

     学習に費やされた時間(time spent)
学習率= ————————————————
      学習に必要な時間(time needed)

キャロルの時間モデル

例えば、C子がマスターするのに二時間必要な課題に対して一時間しか勉強しなければ二分の一(五〇%)のできになるのはしかたない。これは十分に時間を使わなかった結果であり、二時間勉強すれば一〇〇%達成可能であると考える(二分の二)。同じ課題がD子にとっては一時間でマスターできる内容であって、一時間の勉強で一〇〇%達成できることも当然ある得ることになる。

次にキャロルは、学習率の式に影響を与える変数を五つ挙げている。学習に必要な時間を左右する要因三つと、学習に費やされる時間を左右する要因二つを順次説明していく。

3 学習に必要な時間を左右する要因


⑴ 課題への適性
ある子どもにとって理想の授業が行われた時、ある課題を達成するのに必要な時間の長短によって表される学習者の特性を課題への適性という。つまり、理想的な学習環境においての課題達成の所要時間が短ければ短いほどその課題への適性が高いとみなす。

課題への適性は、課題ごとに異なると考える。ある特定の課題を学ぶのに要する時間の長短は、その子のもつ天性の才能やこれまでの学習経験によって積み重ねてきた学習技能や既存の知識全体に影響を受ける。しかし、同時に、その特定の課題を学ぶために直接必要な前提事項や関連事項を前もってどの程度学んできたのかによっても影響を受ける。言いかえれば、何でもスイスイこなす天才も、ある課題にコツコツ取り組んできた努力家も、課題達成に必要な時間が同じならば、その課題に対する適性は同じだと考える。

⑵ 授業の質
子どもの課題への適性が許すかぎりにおいて短時間のうちにある課題を学べる授業かどうかを授業の質としてとらえる。質の低い授業の場合、最適な援助が与えられない分だけ課題達成に余分な時間がかかってしまうことになる。同じ時間をかけてもクラスごとに差がでる原因のひとつである。

質の高い授業の要件としては、少なくとも何をどう学習するかが子どもに伝わっていて、はっきりとした形で材料が提示され、授業同士が有機的に次につながっていて、授業を受ける子どもの特性に応じた配慮がなされていることが挙げれられている。言うまでもなく、ここに述べた授業の質は、教師自身が実施する授業だけでなく、教科書、問題集、放送番組、コンピュータ教材などにも等しくあてはめられるべき基準である。

⑶ 授業理解力
授業の質の低さを克服する力を授業理解力と呼び、これが第三の要因となる。一般的な知能と言語能力が高い子どもは、授業理解力も高い傾向がある。なぜならば、質の低い授業において、一般的な知能の高い子どもは、不親切な授業で丁寧に説明されてない事柄どうしの関連を、自分自身で推測する必要があっても補うことができ、言語能力の高い子どもは、知らない言葉が出てきてもその意味をつかむことができるからだ。よって、授業理解力の高い子どもは質の低い授業においても余計な時間を必要とせず課題をこなせるが、授業理解力に欠ける子どもは授業の質の低さの影響をまともに受けてしまい、それだけ学習に必要な時間が増加することになる。

4 学習に費やされる時間を左右する要因


⑴ 学習機会(許容された学習時間)
ある課題を学習するためにカリキュラムの中に用意されている授業時間を学習機会(許容された学習時間)と呼び、学習に費やされる時間を左右する第一の要因と考える。学校で多くの教科を教えることが期待され、さらに教科の中にカバーすべき内容が多く盛り込まれれば、その結果として、一つの課題に割り当てられる学習時間は少なくなる。その結果として、ある課題に時間をかけてじっくり取り組むことができなくなり、大多数の子どもにとって未消化のうちに次の学習課題へと進む授業が続く。これが次時における課題への適性を低下させる大きな原因となり、悪循環が続くことは想像に難くない。

⑵ 学習持続力(学習意欲)
与えられた学習機会のうち、子どもが実際に学ぼうと努力して、学習に使われた時間の割合を学習持続力と呼ぶ。使われた時間の割合が高ければ高いほど学習持続力が高いとみなす。授業の時間の半分しか集中しない学習持続力の低い子どもは、せっかく与えられた学習機会をフルに活用していないので、学習機会がそのまま学習に費やされる時間とはならない。同じ授業を受けていても(学習機会は均等でも)、学習持続力の差によって、学習に費やされる時間に個人差がでてしまう。

学習持続力はいろいろな原因に影響を受ける。その一つは学習への意欲、もう一つは授業への適応・不適応が挙げられている。

以上の五つの変数を学習率の式にあてはめると次のようになる。学習率を高めるためには、学習に必要な時間を分母の要因に注目して減らす工夫と、学習に費やされる時間を分子の要因に注目して増やす工夫ができる。

      学習機会・学習持続力
学習率=-----------------------------------------------
    課題への適性・授業の質・授業理解力

5 個人差への対応を整理する

キャロルの時間モデルに含まれている五つの変数は、教師として授業を工夫し、子ども一人ひとりが学習に費やす時間を確保し、また、学習に必要な時間を短縮していくためのチェックポイントと考えることができる。メディアの利用方法にしても、どの変数に働きかけるのかを考えると、発想が広くなる。特に放送の場合は、授業時間以外の利用によって、学習機会の拡大につながる可能性は大きいことがわかる。冒頭の「メディア制作過程入門」での学習課題への解答も含めて、キャロルのモデルに基づいて何ができるかを思いつくままに表にしてみた(表I-1参照)。何か他にアイディアがでてこないか、ご自身で空欄の表をつくって、試してみてはいかがだろうか。


表I−1.キャロルのモデルに基づく個人差への対応例 
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学習に必要な時間を減らす工夫
<課題への適性>
■子どものレディネスを把握し、実態に見合った授業の導入を計画する
■前提事項の学習が十分でない子どもには、授業前に復習の機会を与える
■特に適性不足の子どもの既有知識に関連した例を使って味つける
<授業の質>
■学ぶべきものへの手がかりは授業にすべて用意する
■本時の学習が次時の学習への導入になるように順序だてる
■授業の骨格を整理し、無関係な内容や理解の妨げになるものを排除する
■授業の内容を的確に表現するために良質の教材を使う
■授業を計画的に丁寧に準備しわかりやすさを追及する
<授業理解力>
■様々なメディアや体験学習を用いて、子どもの発達段階に応じた
 授業内容の具体性を実現する(デールの経験の円錐を参照)
■学習のゴールをまず理解させて、意識して目指させる
■授業の要点を際だたせて、課題への取り組み方を明確にする
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学習に費やされる時間を増やす工夫
<学習機会>
■個別学習を取り入れて、自分のペースで学習できるようにする
■授業以外に教師が不合格者への補習をする
■個別学習教材(例:CAI教材、解答付プリント)を希望者に使わせる
■授業の録画や放送番組を用意し、希望者にビデオ学習の機会をつくる
<学習持続力>
■学習意欲を喚起し、それを維持し、深めていく工夫をする
■子どもが授業に集中できる長さに応じて授業にリズム、メリハリをつける
■教師の授業を受身的に聞かせるだけでなく、子どもたちを活動的にする
■課題を達成していないうちに勘違いから努力を中断しないように配慮する
■子どもの心理状態に影響して学習への取り組みを阻害する要因を取り除く
■子どもが授業に集中できる長さをのばす訓練をする
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6 自分の人生設計ができる子どもを育てる〜時間をどう使うかを決めるのはだれ?〜

「時間がない、時間が足りない」このセリフをよく耳にする。時間が限られているからこそ、その貴重な時間をどう使うかの工夫が生まれるという答えはどうだろうか。同じことを教えてもらうのなら、だらだらといつ終わるともなく続く授業より、要点を的確にまとめて短時間に必要なことを身に付けさせてくれて、後は好きなことをやらせてくれる先生に教わりたいと思うし、そう心掛けて教壇に立ちたいと思う。また、時間を十分にかけて、全員にじっくり取り組ませるだけの価値があることを見いだして、それに時間を割けるようにあとのことをなるべく短時間で済ませたい。課題だけ与えておけば自力で進める子どもは自分で歩かせて、浮いた時間でもっと援助が必要な子どもたちのために時間を使いたい。限られた授業時数、限られた勤務時間だからこそいろんな工夫を重ねたいと思う。これはキャロルの時間モデルが筆者に教えてくれたことだ。

個人差を学習に必要な時間の差ととらえれば、「やる気と工夫次第で可能性はある」と思える。子どもたちが学びに使ってくれる時間が増えるように、そしてなるべく効果的に学べるような授業を用意するために工夫を重ねていきたいと思う。しかし、教える側がどんなに努力しても、どんなに工夫しても、キャロルの時間モデルが示唆するように、すべての子どもたちがすべての学習課題を達成するために必要な時間を確保しようとすることは現実的ではない。それは子どもの能力による限界があるというよりも、一人ひとりの人生に与えられた時間に限りがあるからにほかならない。

毎日の授業の中で、教えること一つ一つに全力投球するのは、すべての子どもたちにすべてのことを学んで欲しいと思うからではない。一人でも多くの子どもが、それを学ぶのに必要な時間と労力をかけても学んでみたいと思えることに出会ってほしいと願うからである。教師として出会いの場所は数多く用意したい。しかし、貴重な自分自身の人生の時間をかけてそれを学ぶかどうかを選択するのは、子どもたち一人ひとりだ。その意味で、自分の人生設計ができる子どもを育てたい。そう思えるようになったのが、筆者にとって、キャロルの時間モデルを学んだ一番の収穫であった。

キャロルの時間モデルに出会って、相応の時間をかけてそれを理解しようと費やした筆者の学習時間はとても充実していた。

〈注〉
完全習得学習(マスタリーラーニング)とは、学習者一人ひとりが基礎事項を完全にマスターできるまで時間をかけて取り組む授業の形式。ブルームの理論は、次の文献に詳しい。一読を勧める。
 ・梶田叡一(一九八六)『ブルーム理論に学ぶ』 明治図書(教育選書四)
 ・ブルーム著、梶田・松田訳(一九八〇)『個人特性と学校教育』 第一法規
! Carroll, J. B. (1963). A model of school learning. Teachers College Record, 64, 723 - 733.
" Carroll, J. B. (1988). The Carroll's model of school learning: A 25-year retrospective-prospective view. Paper presented at 1988 Annual Meeting of American Educational Research Association, New Orleans (Audio tape recorded by Teach'em Inc.)
# 訳語などは、梶田叡一(一九八三)『教育評価(第一版)』 有斐閣、一七八〜一八一頁の記述による。


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1 キャロルの時間モデルの変数にしたがって、整理してみてはいかがですか。
2 理想がなければ努力の方向が定まりません。昔は理想に燃えていたんだけど近ごろはなあ、という思いがあるのならば、あなたの「若さ」を呼び戻しましょう。一方で、不可能なことを理想として掲げたままだと、努力が長続きしないか、努力を続ける中で何らかの「ごまかし」をする危険性があります。あなたの理想の再確認を。