渡部信一(編著)『障害児教育がITで変わる』コレール社
第7章 学校が変わる:ITは狼少年の再来か、それとも起爆剤か
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第7章
学校が変わる:ITは狼少年の再来か、それとも起爆剤か


岩手県立大学ソフトウェア情報学部教授 鈴木克明


1 ITは新しい学校を開くのか?


 新しいメディアが登場するたびに、その教育における可能性が大々的に宣伝され、巨額の資金で教育機器が導入され、指定校が設けられ,さまざまな研究が行われてきました。しかし,研究期間が終えるとそのメディアは忘れられ、次のメディアの波が来るまでもとの形に授業は修復されます。我々はいったい何回この波を経験してきたのでしょうか。ラジオとテレビ、プログラム学習とティーチングマシン、反応分析器、ビデオ、コンピュータ、マルチメディア、インターネット,そして今度はIT(情報技術)だ,と言います。

 「また新しいメディアの到来か。好きな奴にやらせておけ。そのうちホコリをかぶる日が来る。自分の授業は(少なくても公開授業のときを除いては)普段通りでいい。」そんな気分の先生にとっては、インターネットは「狼が来たぞ!」の連続で信用されなくなった狼少年の再来に見えるでしょう。様々な機器の利用が試みられ、少しずつ授業の選択肢を増やしてきたことは確かです。しかし、授業に用いられるダントツの日常三大メディアは、依然として、「黒板とチョーク」と「教科書」と「教師の肉声」であることは変わりません。

 専門の筆者は教育工学ですが、今度こそインターネットが新しい学校を開く、と主張するつもりはありません。インターネットも使い方次第で、古い授業スタイルのまま使うことが可能だからです。一方で、過去のどのメディアもそうであったように、インターネットもこれまでの授業の在り方を再検討し、変化させる起爆剤にすることは可能です。その主体となるのは、授業デザイナーとしての一人ひとりの教師だと考えています(鈴木、1995a)。

 インターネットを使うことを(検討することを,あるいは使わない決定をすることを)契機にして、教師が新しい学校を開いていく可能性は十分あると思います。また、インターネットを導入しなくても、インターネット社会に巣立っていく子どもたちに何を準備をさせたらいいのかを考えるだけでも、今の授業の在り方を考え直すきっかけになるでしょう。これが,本論の主張したいところなのです。


2 高度情報通信社会に対応する「新しい学校」

 第15期中央教育審議会は,平成8年6月「審議のまとめ」において、初等中等教育における情報化への対応が急務であることを指摘し,教育改革の方向性を示しました。すべての学校がインターネットに接続することを目指し、情報機器やネットワーク環境を整備し、積極的に活用すること。さらに、学校の施設・設備全体の高機能化・高度化を図って、学校自体を高度情報通信社会に対応する「新しい学校」にしていく必要があると提言しました。

 平成7・8年度に実施された文部・通産省(当時)による「ネットワーク利用環境提供事業(いわゆる100校プロジェクト)」では、インターネットへのアクセス(接続)を2年間無料で提供しました。この事業には十数倍の応募があったといわれていますから,当初から「インターネットを使った授業をしてみたい」と考えていた先生も少なからずいたことが伺えます。

 1995年9月現在で、日本全国の初等中等教育機関の名前でインターネット(ホームページ)を使って情報発信を実際に行っていた事例はわずか132校でしたが,その5年後の2000年には,8000校を越えたという調査結果が出ています(大阪教育大学越桐の調査による)。その中には盲・聾・養護学校が(全体の3割程度にあたる)300校近く含まれていました。着実に、インターネット導入が進んできたわけです。

 100校プロジェクト以後も様々なプロジェクトなどを通して、学校がインターネットに参加する機会は増えていきました。しかし、つながれてはきたものの,まだ誰もが簡単にインターネットの恩恵にあずかれるまでに利用技術が成熟したとは言い難い状況にあります。100校プロジェクトは相当の技術力とアイディア,実践力をもつ教員の献身的な努力によって支えられている実験的な試みでした。それを4万を越える全国の普通の学校の普通の授業すべてに拡大していくために越えなければならない壁は、まだまだ少なくありません。

 インターネットの普及のためには、今後とも技術開発によって,運用を簡便にすることや外部からの技術サポートを確保しやすくすることなどによって、できる教員への過度な負担を避けていく努力が必要です。また、学校間の情報格差を生じさせないためにも、早急にすべての学校を接続する努力も必要です。しかし、授業を担当する側,あるいは子どもを持つ親の立場からは,行政がインターネットへの接続を果たしてくれるまで,ただ指をくわえて待っているわけにはいきません。インターネットは確実に学校までは来ることになりますが,その後で,それをいかに使っていくべきか,インターネットで何をなすべきかを考えることこそが,すべての学校の普通の教師にとっての緊急の課題であると考えています。

3 2000年度の情報教育

 新教育課程実施に向けての移行措置開始を目前に,2000年度は情報教育にとって重要な年でした。高等学校普通科へは新しい教科「情報」が設けられることになり,教員養成が開始されました。また,中学校では技術家庭科の情報基礎を拡充して「情報とコンピュータ」という領域が必修扱いになることを受けて,準備が進みました。そして,小学校から高等学校までで新しく設けられる「総合的な学習の時間」においても,情報教育が重視されることになりました。どれをとっても,周到な準備が必要なことであり,学校においての重点課題になりました。

 コンピュータが導入されてから,新しい授業実践を創造していくこと,あるいは,教師の授業準備・校務処理を簡素化することなどが目指され,着実に教育の情報化が浸透してきています。今では,ほとんどの教師がワープロで文書を作成し,成績処理や調査書の作成がコンピュ ータ化されていますが,その昔,この事態をいったい誰が予想できたでしょうか。ワープロの次はパソコン,そして,情報通信ネットワークの活用。授業以外の利用から始まった情報化でしたが,いよいよ子どもとの直接接触を前提とした授業の「正面」に据えられることになります。今までの授業の常識を問い直すことを迫り,教師と子どもの新しい関係を予感させながら。

 文部省(当時)は,「21世紀を担う子どもたちに,情報の活用能力や国際性を養うため,すべての学校をインターネットに接続し,その積極的活用を推進する」として,平成13年度(2001年)までにすべての学校をインターネットに接続する計画を打ち出していました。

 当時の調査によれば,平成 12年3月31日現在で,インターネットへの接続校は22,449校(盲・聾・養護学校では554校)でした。この数字は,全国約4万校の57.4%(同59.9%)にあたり,平成10年度中には6,400余校が,また平成11年度中にはさらに8,500余校が新しく接続を果たしたと報告されています。残りの43%の学校で平成12・13年度中の接続が待たれていたことになり,情報教育の基盤づくりが急速に進んでいたことが数字で裏付けられています。


4 バーチャルエージェンシーが掲げた2001年以降の方向性

 文部省(当時)生涯学習局長をリーダーとした内閣総理大臣直轄の省庁連携タスクフォース(バーチャル・エージェンシー)「教育の情報化プロジェクト」は,教育委員会・学校現場・企業からのヒアリングを行いつつ検討を進めて,平成11年7月に総理に報告を行いました。学校を中心とした教育の情報化を推進するために,全国の小中学校等におけるコンピュータの整備充実,インターネットの活用,情報化に精通した人材の活用等を推進する方針として,2005年を目指して,次のような施策を総合的に推進することを提言したのです。2001年以降の方向性が示されており,一読に値すると思います(文部科学省ホームページhttp://www.mext.go.jp/に全文が公開されている)。

●教育の情報化によって目指すべき目標

【子どもたちが変わる】
主体的に学び考え,他者の意見を聞きつつ自分の意見を論理的に組み立て,積極的に表現・主張できる日本人を育てる。

【授業が変わる】
各教員がコンピュータ・インターネット等を積極的に活用することにより,子どもたちが興味・関心を持って主体的に参加する授業を実現することができ,日本の教育指導方法が根本的に変わる。

【学校が変わる】
学校における情報化の推進は,上記にあげた教育活動上の効果をもたらすだけでなく,学校運営の改善,学校・家庭・地域の密接な連携などを促進し,日本の学校のあり方そのものを変える。

●ハード面の施策
 全国の学校のすべての「教室」にコンピュータを整備し,すべての教室からインターネットにアクセスできるように,インターネットの高速化を図る。また,すべての教員が1台ずつのコンピュータを専用で利用できるようにする。

●ソフト面の施策
 平成13年度までにすべての教員が操作できるように研修の充実を図り,情報化担当の教員を明確にし,情報リテラシーを有する教員の採用を促進するなど,すべての教員がコンピュータを活用して指導できるような体制をつくる。「コーディネータ」や「ヘルプデスク」,あるいはボランティアなど,地域や民間の人材を活用して学校の情報化をサポートする。質の高い教育用コンテンツの開発を促進し,「教育情報ナショナルセンター」を整備する。


 すべての学校へのインターネット接続を果たす目標の2001年から,たった4年後を目標にして,すべての「教室」にインターネット整備を実現すべきとの提言でした。米国において達成が間近であった「2000年までにすべての教室にインターネットを」という国家目標に追従した形になっていましたが,本当に情報教育を実現するためには必要な目標でした。世の中の急速な変化にも負けないような変革が想定されていました。

 様々な問題で揺れる学校を生まれ変わらせる手段としても,教育の情報化が期待を集めていたと読むことができます。学校改革を担う現場サイドにも,用意周到に,しかし大胆に,改革の方策をリードしていくことが必要です。


5 情報教育環境のイメージ

 さて,ここで,教育の情報化によって変わっていく学校をイメージしてみましょう。ここで述べることは,筆者がこれまでに見聞してきた先進校の実情などに基づいています。筆者が親しんできたのは,盲・聾・養護学校よりは,一般の学校の方が多かったですが,盲・聾・養護学校においても,それぞれの学校の実情に合わせた形で,それほど遠くない将来に実現してもおかしくない学校像ではないかと思います。

●設備

 学校に初めてインターネットが接続された時,回線は学校図書室に引き込まれた。数台のパソコンでインターネット接続ができるようになり,同時にいくつかのCD-ROM教材で調べ学習ができるようになった。地域の協力によって校内ネットワーク(LAN)を張り巡らせた時,校長室や職員室でもインターネットが利用できるようになった。まだすべての教室にパソコンが配備されているところまでは至っていないが,必要な時はノート型パソコンを借り出せば,コンピュータ室に行かなくても教室からインターネットが使えるようになった。PTAや卒業生の寄付で,インターネットにつながるパソコンの台数も徐々に増えている。

●活動

 始めはパソコンの扱い方ばかりを指導していたが,最近ではみんな慣れてしまい,自在に使いこなすようになった。パソコンクラブの部員が率先して教えているからだろう。自分が得意なことを友達の前でできることがうれしいらしい。嫌がらずに,いつでも面倒を見てくれるので大助かりだ。先生方も最初はおそるおそるだったけど,慣れるにしたがって,自然体で使えるようになった。自分で全部把握してから子どもに教えるという癖も抜けて,分からないところを子どもに聞くことにも慣れてきた。

 情報教育の活動はパソコンの前に座って黙々と取り組むものかと思ったが,デジカメや取材道具を抱えて,よく動き回っている。インタビューの仕方や,集めた情報のまとめ方も身についてきたし,他の学校の子どもたちとも電子メールをやり取りして情報を集めている。

 ホームページも最初は見て回るだけだったが,最近では自分たちでつくったページをマナーを守って使いながら,交流の輪を広げている。「総合的な学習の時間」で始まった活動が,だんだん教科の時間にも影響を及ぼして,気がついたら子どもが黙って座って聞いているだけの授業時間がずいぶん短くなっている。

●カリキュラム

 最初はとにかく何かやってみましょう,という具合に始めた情報教育だったが,最近では,様々な活動が活発に行われる土台として,情報教育のカリキュラムが学年進行に従って,整ってきた。楽しんで活動しているうちに,子ども1人ひとりにしっかり実力がついている。

 最初は情報教育を意識して取り入れようと努力していたが,徐々に各教科の学びに溶け込んだ形になった。先生方も,積極的に研修に参加してきた成果だろうか,様々な形の授業が展開できるようになってきた。効率的に校務が処理できるので,子どもと過ごす時間や,授業の中身について考える余裕も出てきた。

 何といっても,決まりきったことを紋切り型の方法で教えていた頃と比べて,先生方もいろんな工夫ができるのが楽しいのだろう。ああでもない,こうでもないと,先生同士でアイディアを出し合って,楽しく授業の準備ができるようだ。学年合同の授業や,複数学年で協力する授業も,以前に比べて増えてきた。この学校らしさが,少しずつ形になってきたのかもしれない。いや,先生方の個性が光ってきたのだろう。


6 対応への具体策

 さて,教育の情報化が目指す方向に学校を徐々に向かわせるには,どうしたらよいのでしょうか。具体的な方策について,学校全体で取り組むための留意点をいくつか指摘しておきます。

(1) 校内ネットワーク整備計画と施設利用計画をつくる:

 現在の校内の情報教育関連機器及びネットワークの整備状況を踏まえ,整備計画を立案します。その際に,すべての教室へのネットワーク整備を最終目標として,段階的に実現するための方策を考えるとよいでしょう。また,既存の施設設備の利用状況を踏まえて,施設の利用割り当てを大筋で計画し,全校が何らかの形で関与できるように工夫します。

(2) 情報教育カリキュラムを作成する:

 学年進行と教科の関連を念頭に,学校の状況に合わせた情報教育のカリキュラムを学校単位で立案します。パソコンやネットワーク関連の実践力に留まらずに,情報収集・活用・発信のための基礎技能や行動力を総合的に育成することを目指して,インタビューやプレゼンテーション技術,取材や作品構成のノウハウなど,(コンピュータ教育ではなく)情報教育の観点から既存のカリキュラムを総ざらいすることから始めるのが良いでしょう。

(3) インターネット利用ガイドラインを整備する:

 ガイドラインとは、都道府県、市町村、学校等がインターネットの利用や、個人情報の取り扱いに関して策定したものなどを言います。インターネットを利用する際には,学校経営の観点からガイドラインにしたがった利用を徹底させる必要があると指摘されています。文部科学省調査によると,9,477校(インターネット接続学校の 42.2%にあたる)が,ガイドラインを設定しています(平成12年3月現在)。

 ガイドライン項目を明示して,それを指導に生かすことによって,情報教育の重要な内容を整理することができます。情報公開にあたっては,保護者からの同意を得ることなど,制度的な整備を徹底すべきです。また,そのプロセスを通じて,情報教育を始めとする学校の諸活動に対する保護者の理解を深めることにもつなげましょう。

(4) 情報教育研修計画をつくる:

 情報教育の研修は,開始当初は操作技能の研修の域に留まっていました。しかし,新しい授業をつくり出していくための具体的なノウハウと,新しい形の学習スタイルを経験できる場に脱皮しつつあります。教育の情報化関連で,各種の研修カリキュラムが整備されて,研修用の教材も開発されています。それらを積極的に取り入れて,校内のリーダー的人材を育成することが各学校に求められています。また,校内組織を整備し,全教員を対象にした情報教育研修を計画し推進する必要があります。地域に配備される予定の情報教育推進コーディネータやSE派遣事業などとの連携も視野に入れると良いでしょう。


7 教師が権威的な情報源でなくなること

 インターネットで提供される情報は、必ずしも「正しい」情報ばかりではありません。誰もが情報の発信者になれるので、それだけ誤った情報や偏った情報が提供される可能性があります。インターネット上には子どもにとって好ましくない情報が氾濫していると言われています。好ましくなくはないとしてもまだ早すぎる情報、詳しすぎる情報、無駄な情報、まさに情報の洪水です。だとすると、インターネットを利用することは、他方で求められている教育内容の厳選や学校のスリム化に逆行するのでしょうか。

 不特定多数の者が、世界的規模で双方向に文字・音声・画像等の情報を融合して交換することを可能とする社会がやってきます。いわゆる高度情報通信社会です。子どもたちがこれから巣立っていく高度情報通信社会では、マルチメディア情報をネットワークを介してお互いにやり取りすることが当り前になるでしょう。生活空間にも新たな可能性が出てくるでしょう。しかし、そのような社会的・技術的な環境が整備されたとしても、必ずしも誰もが情報発信者に実際になる、あるいはなることができる、ということを意味するわけではないという指摘も,一方であります。

 西垣通がその著書『マルチメディア』(岩波新書)で主張したのはこのことでした。つまり,映像や音声を完全に受け身で消費する形に馴染んでしまっているテレビ漬けの我々の習慣を変えることは難しい,と言うのです。知的好奇心が旺盛で、積極的に世界と関わっていく姿勢をもつ高度情報通信社会の形成者を育てるのは、他ならぬ学校の役割として期待されています。学校にインターネットが導入されていようといまいと、子どもたちがそんな社会に巣立つために必要な素養を育てていくことが学校に課せられているのです。学校の中核である授業の常識を再点検するいいチャンスだと捉えるのはどうでしょうか。

 「審議のまとめ」は、「溢れる情報の中で、子供たちが誤った情報や不要な情報に惑わされることなく、真に必要な情報を取捨選択し、自らの情報を発信し得る能力を身に付けることは、子供たちにとってこれからますます重要なこととなっていく」と指摘しました。いわゆる情報活用能力の重要性を再確認したものです。先生あるいは教科書から「正しい」情報を与えられ続けることに慣れてしまっている子どもたちがそのまま社会に出れば、誤った情報に惑わされ、不要な情報の洪水に巻き込まれてしまうことになります。無駄な情報が授業に存在しなければ、情報を目的に応じて選択する力はつきません。教師から与えられてしまえば、子どもが情報を自分で探し出すことはできないのです。

 離乳食を与えられ続けた子どもに食物をかみ砕く力はつかないでしょう。母親から食物を与えられ続けた子どもには、自分で食物を見つけ出し、調理し、消化しやすくしかもオリジナリティに富んだ料理にしていく技能や工夫しようとする態度は身につかないでしょう。授業も同じです。なるべく子どもにわかりやすいような授業にする。教師が全てお膳立てを考え、それを教師が整理した形にして子どもに提供する。そんな親切すぎる「わかりやすい」授業だけでよいのだろうかを考えてみるのはどうでしょうか。

 教師が親切な情報源でなくなることによって子どもに情報活用能力が育つのだとしたら、教師が先頭に立って情報提供をしない授業、つまり「教えてしまわない」授業を考えなければなりません。パソコンを教室に導入したことで,子どもたちが自力で問題を解決していくようになったという事例が報告されています。子どもの適応力が教師のそれに勝るパソコンという題材を与え,教えないで勝手にやらせる指導法を採用することによって、先生に頼らない姿勢が育ったという事例もあります。またアメリカでは、算数の複雑な問題解決場面に無駄な情報をたくさん埋め込んだマルチメディア教材で、試行錯誤を繰り返しながら解決法を生成していく実践が報告されています。あまりにも複雑そうに見える課題なので,教師にも正解がすぐにはわからないと思わせる効果があったという報告や、複雑だからこそ,班ごとに協力することで,英知を結集する必要性が生じたという点が興味深いと思います(鈴木、1996)。

 インターネットにおいては、日々刻々と提供される情報が変化します。だから,事前に提供される情報の全てを教師が把握することは不可能になります。この予習が完璧にできないという事態は先生方にとっては不安に感じられるでしょう。しかしそれが,教師と子どもの関係を変える契機になるかも知れません。放送番組がかつて生放送しかない時代に、教師が知らない情報を教室にもたらすことが敬遠されたと言います。放送番組の直接教授性に主導権を奪われた教師からの抵抗でした。当時の番組制作者の思惑としては、権威者である教師から子どもへと情報が一方的に提供され、予定調和的に展開するようなそれまでの授業の在り方に一石を投じたいという、学校教育改革運動的な側面があったわけです。その観点からは,教師の抵抗はむしろ歓迎されるべきもので、そこから授業が変革していくことを期待していたのです(鈴木、1995b)。インターネットによってビデオ録画ができなかった時代の放送教育の事態が再現されることになります。これは大いなる変革のチャンスです。

 教師は、圧倒的な情報量とその「正しさ」という優位性で子どもの前に立つことをやめます。新出情報の何が有用かを判断し,子どもにアドバイスする人になります。調べたいことに一歩ずつ近づいていく方法を提案できる人になります。驚き、悩み、工夫し、解決に導く過程を子どもたちと共有する人になります。そんな一足先を行く学び手としての姿で子どもたちをリードしていく教師像が求められています。インターネットが新しい学校を開くとすれば、子どもと教師の関係を変える起爆剤となるときです。そのための準備は、インターネットなしでも始められます。


参考文献


鈴木克明(1995a)『放送利用からの授業デザイナー入門』日本放送教育協会

鈴木克明(1995b)「学校教育改革運動としてのメディア教育」日本教育方法学会(編)『教育方法研究24』明治図書、201〜209頁

鈴木克明(1996)「ビデオ冒険物語で問題解決能力を育てるジャスパー教材」『算数教育』1996年6・7月号、111〜115頁



注記:この章は,下記の2つの既発表論文に加筆訂正したものである。

鈴木克明「インターネットは狼少年の再来か、それとも起爆剤か〜教師が直接教えてしまわない授業への転換〜」『教育科学』1996年11月号 65-68

鈴木克明「情報教育充実のための環境整備と学校経営上の留意点」『教職研修』(特集:2000年の学校経営戦略)1999.12月号 66- 69