『現代学校教育大事典』ぎょうせい、分担執筆(項目:映像文化(TV含む)) 脱稿:2001.8.26.

■映像文化(TV含む)

◆定義 映画やテレビなどを視聴する体験を通して、映像を読み取る力や感覚的に体 験する力を人々が身につけ、その結果として多数の人々が同じ趣味やトレンドなどを 共有している現代人の生活様式、あるいは、それを生み出した映画・テレビの実態と、制作サイドに培われている伝統などを指す。

 国民生活時間調査によれば、1960年代半ば頃から40年の長きにわたり、国民ひとり あたり一日平均3〜3.5時間テレビを見続けている。映像が身近でなかった活字文化の伝統の下に生活してきた世代に比べて、「テレビ世代」は無意識のうちに映像文化の 強い影響を受けている。テレビ世代からテレビゲーム世代に移行する中にあって、教師と子どもの生育環境の違いを踏まえ、教育的な視点から映像文化を捉え直す必要がある。

◆映画文化 1930年代から大衆娯楽の王者であった映画は、思想統制・戦意高揚の時代やポルノ・やくざ路線時代を経て、近年ではアイドルとアニメと外国映画の人気で 支えられている。時代劇、青春もの、アクション、喜劇などの定番を確立し、数々のテーマを鋭くかつ感動的に描いてきた。大型スクリーンの迫力と没入感を特徴とする映画館上映だけでなく、テレビ放映やビデオなどの形で新旧の映画作品が今日でも親しまれている。

◆テレビ文化 「街頭テレビ」から家庭へ普及したテレビは、映像を誰でも家庭で見ることを可能にした。テレビで国民が揃ってダメになると説いた「一億総白痴化」論 などのテレビ低俗論を経て、1959年の皇太子(当時)ご成婚パレード中継、1963年の米国ケネディ大統領暗殺ニュース、翌年の東京オリンピックなどを契機に、誰もがテレビを毎日見る「テレビ時代」を迎える。

 1989年昭和天皇崩御ニュース一色に染まるテレビを尻目にレンタルビデオ屋に殺到する若者を新聞は報じ、また、翌年の「紅白歌合戦」の視聴率が50%を割り込み、テレビが国民統合のマスメディアである時代は昭和とともに去り、個人映像端末化時代 を迎える。一方で、1980年代後半から、ベルリンの壁崩壊や湾岸戦争、阪神・淡路大震災やオウム真理教事件などがあり、人々のテレビ報道への関心を集めた。報道の娯 楽番組化も指摘されたが、テレビの「現在」を伝える機能と娯楽機能が効果を発揮するスタイルを確立した。

 テレビは、情報の共有、情報格差の是正、地方文化の伝播、民主主義形成への寄与 など多くの役割を果たしてきた。一方で、やらせ問題、過熱報道と人権問題、アニメ番組が発作症状を起こさせた事件、あるいはワードショーの横並び・マンネリ化批判などがあった。デジタル・多チャンネル・双方向時代へ移行する今日、公共性の問題、事業の展望、コンテンツの行方などが議論されている。視聴者もより能動的にな ると予想され、見たい番組の選択だけでなく、データ放送から知りたい情報を引き出したり、自ら番組を制作・送出する市民像などが描かれている。

◆広告が担う映像文化 視聴者にとって広告(コマーシャル)は見たい番組に付随する邪魔なものである。一方で、民放局の経営基盤として映像文化の創出を支えている。また、広告自体が、消費者の需要を高めて企業間の健全な競争を促す経済的役割 に加えて、世論を喚起し方向づける政治的な役割や、NPOなどの主張を伝達する社会的役割、あるいは、新しいキャッチフレーズや生活スタイルなどを創り出す「世相を写 す鏡」としての文化的役割も持っている。1975年以来、日本の広告費が最も多く投入されているのはテレビであり、広告とテレビの密接な関係が視聴率競争の原因ともなっている。メディアリテラシー教育では、広告は重要な要素である。

◆写実性と物語性 人類は長い間、現実をありのまま映し出すことを夢見て、19世紀に写真術を生み出した。カラー化し、動きが加わり、より精細で高品質な映像になる ことで、写実性が高まった。一方で、現実のどの部分に焦点を当ててクローズアップ し、どの時間を映像化するかは制作者の意図を反映する。映像素材をつなぐ順序や音響効果、あるいはナレーションなどの編集も加わる。制作者の内面にあるイメージを 表現していくことで、映像の物語性が生まれる。

 芸術作品として映像を捉えた場合、物語性の高さを味わうことになる。一方で、時 空を超えて世界の「ありのまま」をお茶の間に伝えるとされる映像にも、物語性が潜んでいる。制作者の意図はもとより、番組制作を取り巻く政治的・社会的・産業構造 的な影響が、「客観的」映像にも直接的・間接的に及んでいるからである。映像を読み解く力を育成するときに大切な視点となる。  <鈴木克明>

[参考文献]

藤竹曉「図説 日本のマスメディア」NHKブックス897 2000年