第3節 マルチメディア活用と教師の役割
マルチメディアには、どんな種類の活用法があるかだろうか。すぐれたマルチメディア教材の作成を支えているものは何だろうか。マルチメディアを活用した授業づくりをするために教師に求められていることは何か。ここでは、マルチメディアを活用する教師に必要な視点を整理し、「教師から子どもへの情報伝達からの脱却」が大切であることを確認する。マルチメディア導入で授業を変えるとすれば、それを支えるのは「授業デザイナーとしての教師」である。
マルチメディアは、学校教育にとどまらず社会的な現象として、さまざまな領域で活用されている。CD-ROMに代表的な作品のサンプルを満載してマルチメディアの実際を紹介した入門書(Tway,
1995)では、6つの応用領域を取り上げている。各領域における動向は、表3—4のとおりである。
マルチメディアの応用領域の筆頭に学校教育が挙げられていることからも、アメリカにおいて顕著な動きがみられることが読み取れる。さらに、情報アクセスや電子ブックなどの領域で開発された作品も、学校教育での活用が期待できるものである。商用に作られたマルチメディア作品が学校教育に影響を与えると同時に、学校教育向けの作品が家庭で直接用いられる動向もあり、学校が他の領域から隔離された無風地帯ではいられない状況がここでも浮き彫りにされている。
表3—4.マルチメディアの応用領域とその動向(Tway, 1995)
柔軟で多様なマルチメディアは、教育において様々な役割を果たすことができる。新しい学校像が模索されるなかで、学校そのものを変えていく手段として、マルチメディアを捉えることも有意義であろう。学校を変革するただ一つの道は、授業を変えることであり、そのためには教師自身が授業を見直すことが不可欠な要件であることは、言うまでもない。
一方で、マルチメディアの導入には危険性が伴う、との指摘もある。半田(1996)は、マルチメディア教材は情報の表出媒体としては有効かもしれないが、別の教育的効果を期待して安易に持ち込むならば厄介な問題が生じるとする。たとえば、マルチメディア教材を擬現実的なシミュレーションとして用いて実際の実験などを肩代りさせるのは、教師にとっても厄介な準備の必要もなく、安全かつ豊富な条件の下で体験させることができたと満足できるかもしれないが、それは「単なる情報伝達の授業に特別付録をつけるようなもので、そこに気をひかせることによって学びにおいて最も大切なところをますます見えにくくする(p.
196)」と警鐘を鳴らす。ビデオやテレビでは、なまじ双方向でないことの不完全さが見る者に適度の欲求不満を起こさせ、「自分でも試してみよう」という確認や完成への動機を導くことが期待できたが、マルチメディア技術が進めば進むほど、それだけで満足させてしまう危険性が増すとする。自分の目で現実を見極め確かめる態度を育てることを忘れないようにしなければならない。
ノーマン(1996)は、インタラクティブなマルチメディアのビデオコンピュータなどの凝ったテクノロジーを使って生徒を夢中にすることができたとしても、エンターテインメントは子どもたちをを賢くしてくれないと指摘する。マルチメディアを語るときによく使われる「のめり込ませる」「はまり込む」「創造的である」「魅了する」「フローさせる」などのことばは、悪くいえば「小利口なだけ」「頭を働かせるというより無為に時間を過ごすのに向いている」「退屈させてしまうことを恐れるあまり深みがない」ということになると注意を促している。世の中を変えようとしているだけの潜在性をもつ道具だけに、使い方によっては良くも悪くも多大な影響をもっているということだろうか。
さまざまな領域で活用され、また教育の場面でもさまざまな役割が期待されているマルチメディアであるが、一方で、危険性も指摘されている。それでは、どうすれば使い物になるマルチメディア教材ができるであろうか。すぐれたマルチメディア教材という条件は、マルチメディア時代のすぐれた授業をつくるという目的のためにも参考になる。マルチメディア教材を活用する場合もそうでない場合も、すぐれたマルチメディアの要件を満たすような授業を目指せばいい。
ガイエスキー(Gayeski, 1996)は、マルチメディアの利点と活用への障害として次の点を指摘している。マルチメディアの可能性が大きいにもかかわらず活用への障害が立ちはだかっているのならば、それを使いこなす教師の力量が問われることになる。
マルチメディアの利点の第1は、個別学習の支援である。学習者のレベル、ペース、スタイル、あるいは使用する言語など、多様なニーズにあわせられる。利点の第2は、学習と評価の統合化である。学習しながら履歴の記録と得点化ができることが挙げられている。第3は、能動的な学習方略が取り入れられること。受け身の記憶学習だけでなく、知識構築のプロセスに学習者を参加させられる。第4は、臨場感がある疑似体験を可能にすること。発見的・協調的学習の環境をリアルに提供でき、知的にも感性にも刺激が与えられる。利点の第5は、高密度なデータへの迅速なアクセスである。これまでは限られた場所にしかなかった多様な形態の大量なデータを安価に複製して教室に届けられるメリットがある。
一方で、マルチメディア活用への障害としては、質の悪いデザイン、ハード基準の欠如、教室の伝統、開発費用と教材作成に必要な時間、そして人間関係の希薄化への危惧が挙げられている。マルチメディアの開発はまだ日が浅く、経験不足から単に既存の教材を電子化しただけのものや使いづらい百科事典の域を超えないものが少なくない。MPC(マルチメディアパソコン)基準自体の度重なる改訂もあり、購入したいソフトが現有のハードで使えるかどうかが必ずしも明らかでない。最新機種ではWindows95またはMacintoshのいずれかに統一され、また両方のハードで動作するハイブリッド型CD-ROMも多く出回ってきたので問題は解消される方向にあるが、旧機種では依然として問題が残っている。
教室の伝統による障害としては、教師主導型・時間軸拘束型に慣れた教師が、マルチメディア教材の開発者・学習支援者への転換をはかれるだけの訓練・設備・報奨システムが用意されていないことを挙げている。費用面では、ハードウェアの価格低下に比べてソフトの設計・開発に必要な時間や労力・費用が下がらず、予算が限られている学校単位での開発が困難なことや、デモ版は派手に見える一方で実用に耐えられる教材の開発には時間がかかり、学習内容の急速な変化に教材作成が追い付かないことが指摘されている。また、教師や子ども同士のやりとりを妨げると恐れられるほど、教師の補佐役や協調学習の道具というよりも個別学習教材という先入観が強いために、「マルチメディアを使うと対人関係を学ぶ機会が少なくなるのではないか」との危惧を抱かせているとしている。
ホン(1993)は、マルチメディア教材の制作にたずさわってきた経験から、マルチメディア教材を制作するためには3つの全く異なる領域の専門性が要求され、その専門性がバランス良く発揮されることがすぐれたマルチメディア教材制作の鍵となると指摘している。ビジネス(教材設計)の専門性・芸術的な専門性・技術的な専門性として要求されることを、表3—5に示す。これらの要求事項は、(ア)時間やコストを削減し、(イ)学習経験を応用可能なものにするために、そして(ウ)学習効果を確かめながら学習が進められるようなマルチメディア教材にするために必要不可欠であるとする。マルチメディア時代の授業を創造する教師にも同じ資質が求められているということができよう。センス良く子どもの心を捉え、技術的な裏付けに支えられ、しかも子どもたちの学習を成立させるための緻密な計算ができる人が理想、ということになろうか。
表3—5.マルチメディア教材制作のための3領域の専門性(Hon, 1993)
\目的 専門性\ |
(ア) 時間やコストの削減 |
(イ) 応用可能な学習経験 |
(ウ) 評価を生かした学習 |
ビジネス(教材設計)の専門性 | コスト効果分析:マルチメディア教材と他の方法を比較して、時間とコストがどの程度削減できるかをはじき出すこと | 課題分析:マルチメディア教材を使ったことによる効果がどこに現われたかを判断するために、学習課題の分析ができること | フィードバック設計:マルチメディア教材の中に、学習効果を確かめ、より効果的な学習を促進するための評価メカニズムを埋め込む設計ができること |
芸術的な専門性 | 凝縮テクニック:イメージに訴えるテクニック(e.g.モンタージュ技法)と芸術的センスで、学習内容を限られた時間で効率的に表現すること | 利用者の心をつかむ:利用者の集中力を失わせない表現を実現するために、マルチメディアの最も強力な武器である「即時的な双方向性」を十分に活用できること | インタフェース設計:利用者が使いやすく心地よいシステムにするために、とくにマルチメディア要素を組み合わせる時のタイミングの調整ができること |
技術的な専門性 | システム構築と調整:ハード面とソフト面の選択と組み合わせによってシステムが構築でき、システム変更で実現できる機能向上に敏感であること | 高速化と信頼性向上:大容量の情報に高速にアクセスでき、複雑な学習過程を確実に制御できるようにシステムを維持管理できること | 評価情報の収集と分析:学習の進捗状況を把握して適応的な環境を実現し、同時に教材自体の出来具合を評価するためのメカニズムを埋め込めること |
前出のノーマン(1996)は、テレビゲームに子どもが興じる姿にこそ、生き生きとした学びが読み取れることを次のように述べている。
ノーマン(1996)の解決策は、教師とゲーム製作者それぞれが尽くせる最善のことを組み合わせることである。エンタテイメントの世界の表現技術やユーザーをのめりこませる技術と、教育者がもっている内省と深い分析のための技術とを合体させるところにその秘訣があるとする。「教育におけるマルチメディアは、余計なものを最少にし、ユーザーが、やらなければいけないからではなく、やりたいから一所懸命学べるようなものでなければならない。教育者は、生徒がいやいや苦労してやるような、融通のきかない、ペースの決まった、独善的な指導をやめなければならない。この両者が力を合わせて初めて、われわれは解決に近づくことができるに違いない。(ノーマン、1996、p.54)」
「ジャスパー」(前節参照)の研究者たちは、ジャスパーは使えばそれだけで自動的に授業がかわる(誰が使っても同じ結果がでる、いわゆるteacher
proofの)教材ではなく、変わる可能性を内に含んだ教材であるとする。したがって、教師がどのように使うかによって「ジャスパー」の効果が大幅に異なってくるとし、教師に突き付けられた課題として次の点を挙げている(鈴木、1995b)。
いずれの見方からも示唆されていることは、教師が自分自身の役割を捉え直すことの重要性である。教師の説明や指示がなくても成立する授業、子どもができる限り教師以外から直接学ぶことをまず試みる授業、あるいは教師が教えて過ぎてしまわない授業。教師が整理し、噛み砕いた情報を子どもに与える授業よりも、世の中に溢れる情報を子どもたちが集めてきて先生と一緒に整理する授業。それらの授業を周到な準備で実現し、子どもが主体的に学習できるような環境を整える。授業中は、目立たず、しかしツボを押さえた「間接的な助言」ができること。これが「授業デザイナーとしての教師(鈴木、1995c)」に求められている姿であろう。
授業デザイナーとして最も大切なことは、「何をもって効果ありとするのか」を明らかにできることである。このことの重要性は、マルチメディアを授業に用いたり、またマルチメディア的な学習環境を構築していこうとする場合にも同様に当てはまる。表3—6に、マルチメディア利用の効果を判断するためのチェックリストを提案する。マルチメディア利用を通して、新しい時代にふさわしい学校の原動力となる授業を創造していくための試金石としていただきたい。