件名:どういう意味で“良い先生”となるべきか
作成者:Eさん
学部時代に履修していたある科目で、ただひたすら教科書を読み続けるというスタイルで授業をしている某教員が居ました。その科目が「読経」でなかった事は確かです。
これは極端な例としても、授業の内容をいかに理解させ、自分のモノにしてもらうかが目的であるはずなのに、授業をする事自体が目的化してしまうことが往々にしてあると思います。(日々同じ事を繰り返していると、惰性になってしまうということでしょうか)
ちなみに当時の私は、「教え込みがあまりうまくいっていないからこそ救われている受講者」であり、読経のごとき教科書朗読のみで、小テストも出席確認もないこの授業をありがたく思っていたものです。
しかし「IDerのタマゴ」としては、こういう形で学生に「ラッキー」と思われてしまっては失格ですね。評価甘めの楽勝教師という意味での“良い先生”にはならないように心がけたいと思いました。
そのためにIDを学び、実践と伝道できるようにならねば、と改めて感じた次第です。(FD・SDは良く聞きますが、職場でIDという言葉はまだまだ周囲から聞こえてきません。まず自分が担当する科目では、少しでもIDの精神を取り入れて臨まなければ・・・)
件名: Re:どういう意味で“良い先生”となるべきか
作成者: Fさん
Eさん こんにちは。
イギリスの哲学者 ウィリアム・アーサー・ワード いわく
凡庸な教師はしゃべる。良い教師は説明する。優れた教師は示す。
偉大な教師は心に火をつける。
と。
確かに、これまでの学生時代を振り返り、自分の恩師は私の心に
火をつけたように思います。
件名: Re:どういう意味で“良い先生”となるべきか
作成者: Eさん
Fさん、こんばんわ。学ぶところの多い格言ですね。
リフレクションペーパーの中で
学習者としての原体験として、
>学校教育の中でモチベーションを刺激される機会が乏しかった
教える側になって
>…気持ちをかき立てる能力が、教育能力の基本と言えるのではない
>だろうか…自分の経験も糧にしつつ、こうした教育能力を培ってい
>きたいと考えている。
と書いたのですが、その方向性は間違ってないのだと確信できました。
とは言え、一足飛びにそのステージに登れるはずもありませんから、
せめて今年は「示す」ところまでは出来る教師でありたいと思います。
件名: Re:どういう意味で“良い先生”となるべきか
作成者: Kさん
Eさん、読ませていただきました。
私も仰るとおり、職場でIDという言葉を耳にしたことがありません。
集合研修であっても、eラーニングでの研修であっても同じです。
会社が一定の研修にeラーニングを採用しているのは単に
時間の融通が利き、コスト削減につながるからか、と思えてなりません。
それならば。
私が、この会社でIDを口にする最初の講師になってもよいのでは、
という気持ちになっています。
そのためにも、まずは私自身がインストラクショナル・デザイナー
の基礎くらいは、身に着けなくてはいけませんね。
「何じゃそりゃ?」という環境で何かを認識してもらうのは
結構大変ですが、ちょっとやりがいも感じたりしています。
件名: Re:どういう意味で“良い先生”となるべきか
作成者:E さん
Kさん、こんばんわ。
>会社が一定の研修にeラーニングを採用しているのは単に
>時間の融通が利き、コスト削減につながるからか、と思えてなりません。
コスト優先の観点で時間の融通が利くからとeラーニングを選ぶのか、
教授目標を達成するための最適解としてeラーニングを用いるのか、
では大きな違いがありますよね。
大学の場合、大教室に学生を集めての「講義」がスタンダードな手法ですが、
それは果たして最適解になっているのでしょうか。
少なくとも自分の勤め先の実情を見た場合、私はそうは思えません。
確かにコスト意識は重要ですが、目先の事に奪われて将来得られるはずの
ペイ(企業なら収益、大学なら存在価値?)が減るようなことはしたくないですね。
IDを現場に取り入れていくためには、荊の道に足を踏み入れる覚悟が必要かも
しれませんが、その道の先を見据えて足を踏み入れる勇気を私も持ちたいと思います。
件名: Re:どういう意味で“良い先生”となるべきか
作成者:L さん
Eさん、こんにちは。
コメント拝読させていただきました。
1つ質問させていただいてもよろしいでしょうか?
(期限日なのにすみません)
Eさんは「教え込みがあまりうまくいっていないからこそ救われている受講者であった」とおっしゃっていましたが、これはどういうことを意味しているのでしょうか。
教え込みがうまくいっていないということは、授業がうまくいっていなく、ご自身も(その授業に対しては)納得されていないということですが、そうすると私の立場では、「ぜんぜん救われなかった・・・」と思ってしまいます。
LMSの「はしがき」をよく理解していないため、このような質問をしてしまっているのですが、この点とても興味があります。
無知なためご面倒をおかけしますが、何かその理由みたいなものを教えていただければ幸
いです。よろしくお願いいたします。
件名: Re:どういう意味で“良い先生”となるべきか
作成者:E さん
Lさん、こんにちは。
>1つ質問させていただいてもよろしいでしょうか?
>Eさんは「教え込みがあまりうまくいっていないからこそ救われている
>受講者であった」とおっしゃっていましたが、これはどういうことを意味
>しているのでしょうか。
>教え込みがうまくいっていないということは、授業がうまくいっていなく、
>ご自身も(その授業に対しては)納得されていないということですが、
>そうすると私の立場では、「ぜんぜん救われなかった・・・」と思ってしまいます。
ハッキリ言うと、
授業に満足はできていない一方で、
毎回予習復習バリバリしないといけない授業だとしんどいと思うし、
単位はやはり欲しいですから
「座っているだけで単位がもらえるんなら、まぁいいか!」と
感じていた、
ということですね。
分かりにくい表現だったと思います。すみません。
件名: Re:どういう意味で“良い先生”となるべきか
作成者:L さん
Eさん、さっそくのご回答ありがとうございます。
質問内容解決しました。
わたしも、
①予習・復習バリバリはしんどい、
②単位はやはりほしい、
③座っているだけで単位がもらえるんなら、まぁいいか、
と思った授業、大学時代、確かにありました。
(ということは、わたしも救われた学生だったんですね・・・)
私の無知なための質問であるにもかかわらず、丁寧にお答えいただきありがとうございました。