件名:系統主義:伝統的なカリキュラム(全員分)
作成者: 教授システム学 アシスタント
件名:Kさん
作成者: 教授システム学 アシスタント
「他方、教師は、生徒を過去から伝わる教材に効率よく結びつかせるための代理人であるにすぎない。」P18 12行目
→デューイが、私の様な読解力のない人のために、系統主義をわかりやすく文字にしたのだと思いますが、「過去から伝わる教材」という部分は間違いだと思います。ワイドショー的に盛り上げているのか?
人はそこまで愚かではない。
件名:Bさん
作成者: 教授システム学 アシスタント
「学校の主要な任務は、それら過去からの知識や技能を新しい世代に伝達することにある。」(P.17)
「教育の主要な目標や目的は、教授することにさいしての教材を包含している知識の組織化された統一体と、あらかじめ用意された熟練様式を子どもたちに習得させることによって、子供たちに対する未来の責任と生活上の成功を準備してやることにほかならない。」
(P.18)
「教師は、知識や技能が伝達され、また行為の規則が強要されるさいの仲介者なのである。」(P.18)
「伝統的な教育は、その計画や過程が過去から手渡されたもので、方にはまった慣例的な事柄」(P.36)
「実際の指導は、(中略)慣習や既存の型にはまった事柄によってなされてきたのである。」(P.36)
「旧教育では教材や方法の選択や、その配列に人為的なものが多く入り込み、その人為性が常に不必要な複雑性を導き出している。」(P.39)→その前に「新教育が原理上、旧教育よりも単純であることを認めるものである。」とあるのですが、私には本当にそうなのかなと思えました。
件名:Jさん
作成者: 教授システム学 アシスタント
『教えられるものは完成された所産として教えられ、
教えられるものが最初に構築されるに至った筋道や、
あるいは間違いなく未来に起こるであろう変化については、
いささかも考慮されていないのである。』(p20 11行)
→完成された所産を学ぶことは大事だと思う。
でも、内容によっては、先生が直接教えてくれなくても、
本や、インターネットの情報で十分な場合もある。
今の時代だからこそ、この点は余計に検討しなければいけなくなっている。
でも、デューイのこの時代からこの事を議論されていたということに、
私は衝撃を受けた・・・
件名:Mさん
作成者: 教授システム学 アシスタント
早いもの勝ちというのがドキドキですね。後ろの方から、ピックアップしてみました。
「伝統的教育に伴う難点は、それが経験をコントロールするための外的条件を強調したことだけにあるのではなく、どのような種類の経験がなされたかを決定する上での、個人の内的要素にほとんど注意が払われなかったことにみられる。」(P.61)
→ 講師は「教えたい欲求」というのがあり、時々、受講生が知りたいことでないことを押し付けたりします。これに注意するというのが、私のポリシーです。技術的・学術的に長けている人ほど、これが難しい・・・。指導する際に頭の痛い問題です。しかし、この問題をクリアすれば、系統主義も捨てたものではないとも読み取れます。
「伝統的教育はつぎのような仮定のうえに立つ。そのことは、後に(中略)必要とされる一定の技能を獲得し、一定の教科を学ぶことによって、生徒は未来の必要や環境に対して準備するのは当然のことである、という仮定である。」(P.70)
→この仮定が間違っている(ないし押し付け)となると、一般的な教育の基礎が揺らいでしまいますね。仮定の修正によるより良い教育に変革していくべきと捉えてアプローチしてみると面白そうです。
件名:Mさん
作成者: 教授システム学 アシスタント
早速、被りましたね。2件アップしておいて良かったです。
同じカテゴリの前のものを見ないようにと、「系統主義」を読んでから「系統主義」を書き、その後、「経験主義」と進んだのが失敗でした。2つめを採用ください。
件名:Nさん
作成者: 教授システム学 アシスタント
Nです、以下、コメントです。
「伝統的教育を図式化すると、その本質は上からの、
また外部からの罰としての課題を押し付けるということになる。
それは成熟に向かってゆっくりと成長しつつあるにすぎないものに
対して、おとなの行為規準と教材と方法とを
押しつけていくことになるのであう。」(P.19)
⇒1回目に私がこの本を読んだとき、この明記した文章部分に対して、
その通りなのかもしれないが、このデューイのように言ってしまったら
現在の教育の在り方はどうなのだろうか…と思い、考えさせられました。
件名:Cさん
作成者: 教授システム学 アシスタント
Cです。自分の好みで4ブロックの学習から始めていましたが、相互コメントが必要なので、2ブロックに戻ってきました。
『経験と教育』は院試の直前に読んだ際、ちんぷんかんぷんで、正直まいったなー
と思った本ですが、今回読み直してみると、前回よりは理解が進んでいるように感じました。
---------以下はコメントです---------
「学校の主要な任務は、それら過去からの知識や技能を新しい世代に伝達することである。」(p17中央)
「教師は、生徒を過去から伝わる教材に効率よく結びつかせるための代理人であるにすぎない。」(p18後方)
⇒系統主義の良し悪しは別として、この意識だけでは、知識の継承は出来ても、新しい科学の発見・発展ができないように思います…。
「伝統的な教育の難点は、(中略)教育者が経験を創造するにさいしての他の要素、すなわち教育される者たちの能力や目的を考慮しなかったことにあった。」(p67)
⇒私が受けた教育が特殊なのではなく、伝統的な教育では一般的なことだったのかと、妙に納得してしまう文章でした。
件名:Fさん
作成者: 教授システム学 アシスタント
Fです。
本書を購入し書籍の薄さと文字の大きさから、通勤の途中に読み進めようと思いました。
なぜか第1章が無限に続いていた頃、タスク3の説明で、『あまり時間をかけ過ぎると読み進む前に
「眠っていた自分に気づく」ことになりかねません。』を読んで自分のことだと笑ってしまいました。
集中して読んだところで、まずは最初の書き込みをさせていただきます。
○系統主義:伝統的なカリキュラム
「教育における教材は、過去につくり出された知識や技能から構成される集合体から成る。
したがって、学校の主要な任務は、それら過去からの知識や技能を新しい世代に伝達する。
過去においてもまた、行為の基準や規則は発展してきたものである。したがって、そこでの
道徳的訓練は、それら基準や規則に適合するように、行為についての習慣を形成することによって
成り立っていたのである。結局、学校組織の一般的な類型をいうものは(中略)、他の社会制度から
截然と区別される一種の制度を構成することになる。」
→基礎となっている考え方を、大まかな定式化で読むと、なるほど大切な考え方だなと思います。
(後に読み進むといろいろ思いますが・・)
件名:Fさん
作成者: 教授システム学 アシスタント
すみません。ページ記載忘れました。
P17です。
件名:Gさん
作成者: 教授システム学 アシスタント
伝統的教育は、このような問題に直面する必要はなかった。というのは、伝統的教育はすでに述べたような教育者の寄与すべき責任を旧教育の組織をあげて理路整然と言い逃れることができたからである。伝統的学校の教師には地域社会の自然的、歴史的、経済的、職業的などの諸条件などの諸条件を教育的資源として活用するため、それらに親しく精通していなければならないといった要請はされなかったのである(P57 7行目より)
----------------------------------------
教師に 上記について精通しなければならないという要請は確かに重い。
後になったので マーカーで色々な方のご意見に色づけしてみたら、なかなか多少?!読みやすくなったような気がします
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
件名:Pさん
作成者: 教授システム学 アシスタント
「教育的価値というものは、抽象的な事物としては存在しない。」p.69 l.1
→伝統的教育に対するデューイの強烈な批判。形而上学への批判ともとれ、プラグマティストとしての面目躍如といったところでしょうか。
「そこにみられる難点は、問題の教科が孤立したかたちで学ばれたということである。」p.71 l.13
→部分が先か、全体が先か。難しい問題ですね。
件名:Rさん
作成者: 教授システム学 アシスタント
「外部からの訓練は、自由な活動を阻止することになる」(P21)
「伝統的学校では、極めて普通のこととされた外部からの押し付けというものは、年少者の知的・道徳的発達を促進するというよりは、むしろそれを制限したと言わざるをえない」(P27)
→ 批判的の文章であるが、教材が間違っていなければ、家庭教育とのシェアがあった場合は、どうだったのか。学習者にはいろんな環境があるので、教育は学校教育だけではない。学校で伝統的カリキュラムでも家庭で自由な活動を促進する教育との組み合わせはどうなのか気になるところだ。
件名:Iさん
作成者: 教授システム学 アシスタント
既に記載されているところを避けながら記載します。
「外部からの形成であるという考え方」(P16 8行)
「教育は自然の性向を克服し、その代わりに外部からの圧力によって習得された習慣に置き換えられる過程である。」(P16 9行)
→外から教える事で変えられる
「教育における教材は、過去につくり出された知識や技能から構成される集合体から成る。」(P17 4行)
「生徒たちの役割は「為すべきことは学ぶべきこと」であるといのみである。ここに言われている学ということは、すでに書物や年長者の頭のなかに組み込まれているものを習得することにほかならないのである。」(P20 7行途中)
「必要とされる一定の技能を獲得し、一定の教材を学ぶことによって、生徒は未来の必要性や環境に対して準備するのは当然のことである。」
→ 「学ぶ事」=あらかじめ決められた「過去の知識を習得すること」という図式は、我々が小学生から大学までに学んできたやり方にほかならない。また、あらかじめ決められたものが教科書なのですね。そして、生徒はそれを学ばなければならないということになる。まさに、私が受けてきた苦手な教育に他ならない。
「生徒の学習態度は、概しておとなしく受身で従順でなければならないことになる。」(P18 10行)
→全くその通りです。
「伝統的教育をして、教育の材料の大部分を消化しやすい規定食に還元してしまうことの理由となっているのである。 途中略 それだけで十分であるということになる。」(p69 5行から8行)
→これが、我々が受けてきた学習指導要綱なのか?と・・・。
「またもし身体的に骨惜しみをしたり、心情的にさまよい歩き、精神的に道草を食ったりして、結局は教科に対して嫌悪感をもつようになると、それは生徒がまちがっているからである。」(P69 9行)
→私の小学生の頃は、こんな経験ばかりでした。本当に面白くなかった。小学校は楽しいところというよりはつまらないところという記憶が鮮明に残っています。この段階で、世間で言う「落ちこぼれ」だったのだと再認識します。
件名:Dさん
作成者: 教授システム学 アシスタント
系統主義(伝統的なカリキュラム)
「旧教育が成熟したおとなの知識や方法、そして行動規範を年少者に
押しつけるからといって、 (中略) 成人の知識や技能は未成熟な
年少者の経験に対して、指導的な価値をもたないということにはなら
ない」(p.24)
→ 伝統的なカリキュラムでも「経験」の観点が全くないわけでは
ないのですね。年長者の経験は指導面において価値がある場合も
あるという点で少し安心しました。
件名:Eさん
作成者: 教授システム学 アシスタント
「伝統的学校は、首尾一貫して発展してきたような教育の哲学をもたずにやってこられた。そのような路線のもとで伝統的学校が要求してきたすべてのものは、教養とか学問とかわれわれの偉大なる文化遺産といった抽象的な一組の言葉であって、しかも実際の指導は、それらによってではなく、慣習や既存の型にはまった事柄によってなされてきたのである。」(p.36)