講義を双方向にするための紙(受講者→鈴木克明)集計結果 初任研98.10.27   


※注意 :この集計結果は、1998年10月27日に宮城県教育研修センターでの講義「教材の構成と授業設計について〜教え方がうまく、これからの時代にふさわしい教師であるために〜」にあたって講義担当者が個人的に実施した無記名アンケート(回答者は高等学校初任者研修受講者106名)をまとめたものです。研修主催者に無断でWeb上に掲載していますので、転載・引用などはご遠慮ください。
この件のお問い合わせは、ksuzuki@soft.iwate-pu.ac.jpにお願いします。

0.あなたは?


1.お元気ですか?

2.持ってますか?




3.授業に使ってますか?

↑プリントはあらゆる教科でよく使われている。OHP利用者は英語2人と工業1人の3人だけ。ビデオは音楽、理科、公民、パソコンは商業での利用が多い。インターネット利用経験者は、英語、音楽、商業、工業、理科。新聞は、地歴公民、商業、理科の順。


↑総合的にあまりメディアを使わない教科は、数学、国語、美術、地歴。授業の目先を変えるためにも、授業と世の中とを橋渡しするためにも、メディアを活用しましょう!


4.この言葉、聞いたことありますか?


5.あなたの経験、教師になった理由


6.授業の常識・非常識:どの意見を支持しますか?

 講義を双方向にするための紙(受講者→鈴木克明)集計結果をお届けするにあたり 


「初任研」を修了されようとしている皆さまへ

 東北学院大学の鈴木克明です。先日(98.10.27)は、「挑発的で」「言葉使いがあまりよくない」講義を受けていただきました(「」はアンケートの自由記述より簡略化して引用)。[講義を双方向にするための紙(受講者→鈴木克明)] を記入してもらったにもかかわらず集計する時間がとれず、また[返事が欲しい人は連絡先と氏名を明記すること]と注文したにもかかわらず、返事も出さずに時ばかりが経過して、とても気になっていました。このたび、集計結果がまとまりましたので、それをお届けします。4ヶ月ほど前に初任研を受けている<同期>の仲間達がどんな回答をしたのか見てください。また、自分がどんな気持ちでアンケートに記入したかを思い出し、その後の教員生活を振り返っていただく契機になれば幸いです。

 アンケートの集計結果をご覧になって、あのときの私の話が少しでも思い出せたでしょうか。一度聞いただけでは身に付かないのは当たり前(人間は忘れる動物だから)。「資料は今後の参考にさせていただく」と書いた人も書かなかった人も、ぜひご活用ください。応用してみることで、身に付くわけですから。

 直後のコメントの中には、「話を聞いて共感し、自分の実践に自信が持てた」「今までの考えを覆されたけど、納得してしまった」「場当たり的な授業の連続で反省していたので、とてもタイムリーだった」という人から、「一つの考えとして聞いておく。一般的妥当性に欠けると思われるところもあった」「アメリカ帰りによくある楽観主義」「底辺校の実情には当てはまらない話」という印象を持った人まで、様々でした。アンケートを取ると、同じ話を聞いても実にさまざまな反応があることがよくわかります。自分の授業に生徒が何を感じているのか、生徒から聞いてますか?

 宮城教育大学や東北学院大学の出身で私の講義を受けたことがある人がずいぶん多かったことに驚きました。「学生の時に講義を受けたが、自分が教える立場になって聞いてみると全然印象が違う。」というコメントがありましたが、どっちがどうだったんでしょうね。少し気になります。私が最もうれしかったコメントを、少し長くなりますが、紹介します。「大学教授がどんなに偉いか知りませんが」と書いた人、私は、大学生を相手にしている教師の一人として、こういう出会いが一番うれしい。「息が詰まりそうで、やめたい」と書いた人、教師って、いい仕事ですよ。

大学の時、受講させていただきました。お陰様で今高校の教諭として教壇に立っているわけですが、なにせ全くの素人からのスタートということでバックボーンになるものが何もなく、年度初めは本当に困ってました。そんな時、大学時代に勉強したファイルから先生の講義で頂いたプリントを見つけ出し、自分でできる範囲ではありますが、参考にさせていただいております。試験問題も単元の教材研究をするときに作っていますし、その時限の目標も(生徒に)知らせるように心掛けています。これからも可能なかぎり頑張っていきたいと思っています。先生も体に気をつけて。(担当教科:国語)

 この集計結果を届けられて、ようやく肩の荷が下りました。これからの長い教員生活を、大いにエンジョイして、生徒との思い出をたくさんつくってください。少しずつ、授業の方も、向上していくことをお祈り申し上げます。私事ながら、今年度末をもって現職を去り、来る4月からは岩手県立大学ソフトウェア情報学部に赴任します。教職課程がない学部なので、少し寂しい面もありますが、与えられた仕事に精一杯、精進しようと思っています。どこかでまた、出会ったならば、声をかけてください。何か私で役に立つことがあったら、遠慮なく使ってください。少しでも「教え子」の役に立ちたいと思っていますし、私の信条は、「来るものは拒まず、去るものは追わず」ですから。電子メールは暫く、suzuki@izcc.tohoku-gakuin.ac.jpが使えます。使えなくなったら、インターネット上で「岩手県立大学」と「鈴木克明」をキーワードに検索(たとえばgooで)すれば、連絡先がわかります(岩手県立大学の個別郵便番号は、〒020-0193)。

 では、その時まで。

1999.2.22. 鈴木克明  


個別の質問へのQ&A

[Q]カウンセラーになりたいと思っていますが、教員とカウンセラーはどう違うと思いますか?

[A]教員は生徒のよきカウンセラーになることが期待されていることからも、共通点はありますね。しかし、違いも多いと思います。「自分がやりたいことをやって、社会に貢献できるのが一番」という国分康孝の言葉どおり、好きな道を選ぶのが一番です。私は、教師は人の道を直接説く仕事ではなく、自分の担当する教科の中身を通して人の道を説く仕事だと思っています。同時に、今まで人類が築いてきた英知を次の世代にどう伝えていくかを工夫する姿をもって、生徒に人の道を示す仕事だと思っています。そういう意味で、「教材構成」とか「授業設計」に興味が持てないのであれば、教師を続けるのは辛いかもしれません。惰性になると、自分自身がいやになるから。


[Q]いったい学校で英語を学ぶ意義は何か、そもそも勉強する意義は何か、勉強がなければ人間として豊かな成長はできないと思うが、もっと生徒にわかりやすい「勉強する意義」は?

[A]「人間だけが自分の生きる道を選択できる。向上心が人の本性である。」このことを小学生にも、そして夜間高校のいわゆる「不良」扱いされた生徒にも、わかりやすく解いたのが、林竹二先生の授業「人間について」であることは、あまりにも有名です(あれは一回限りのことで、毎日できる授業ではない、という批判ももっともなことですが)。点数を取ること、あるいは受験に勝つことが目標として強調される中で勉強してくると、いったいこの教科をどうして学ばなければならないのかを見失うことは簡単です。

「英語が話せると10億人と会話ができる」というコピーで英会話学校のコマーシャルが流れています。海外旅行にはとても便利ですし、洋楽に興味がある人にも英語を学ぶメリットがあるでしょう(山形の高校で、英語カラオケの実践で有名な先生がいます)。何かメリットを見つけられて、自分自身を納得させられる生徒が一人でも増えるように、英語と世界の橋渡しをしてください。それには、まず教師自身が、自分の教科を学ぶ意義を、見つめることから始めるしかないでしょうね。



[Q]勉強に時間を使うかどうかを決めるのは生徒だということですが、放っておいていいのでしょうか?

[A]前の質問との関連しますが、メリットが見つからなければ自分から勉強することはないでしょう。教師は、教える教科のセールスマンになって、生徒に売り込むわけですが(そうすべきだと私は思っています)、買うか買わないかを決めるのは生徒です。一方で、高校を卒業するためには単位を取得しなければならず、その意味で教師は自分の商品を買わせる強制力を持っています。そこで、単位取得の最低条件を明示し(そのためには予めテストと合格基準を決めておく必要が生じる)、それをクリアしたい生徒にはとことん付き合う。それ以上は、生徒の選択に委ねるというのが原則であろうと私は考えます。

退学を出さない方針で有名な北海余市学園では、「卒業までに自活できるようにすること」を目標に指導しているといいます。これは、学生になるよりも大変なことですが、働いて自分の生活費を稼ぐためには、最低限の約束を守って働かせてもらえるようになることが条件だから、それができる生徒にするために校則や単位取得の条件をきっちり守らせる方針です。自分で決めるということがそれなりの責任を伴うのだということは、学校で教えなければならない最重要課題です。それを教えるためには、生徒に選択させることが大前提となるわけです。



[Q]国語はさまざまな人間のものの考え方、心理の妙をしる絶好の教科だと思っている。テストだけでなく、人の気持ちを知り生徒の心の幅を広げたいというのが、目指しているものなのだが…。

[A]人の気持ちを知り生徒の心の幅を広げたいという目標にどれだけ近づいたかを知るためにはどうしたらいいかを考え、そのためのテストを作成・実施することです。テスト=暗記ではありません。



[Q]「試験に出るから覚えておけ」はなぜ禁句なのですか?動機づけの一つの方策だと思いますが…。

[A]確かに効果的な方策ですが、一方で、勉強を面白くなくしている元凶でもあります。そもそも覚えさせる試験がまずい。東大から国家公務員や検察官を目指す人ならば暗記力は重要ですが、やたら覚えなくても生きていけます。大学も2006年に全入時代を迎えます。公務員試験も、すでに暗記から思考力に変化しています。覚えるよりもわからないことを調べられるようになることを目指すことが重要です(例:辞書を調べながら手紙を書く)。



[Q]「部活の指導ができない教師には担任を回さない」「一に部活、二に部活、三四がなくて、五に部活」「教科は仕事ではない」という先輩教師がいるし、そういう体制です。専門外とは思いますが、俗に言う「生徒指導」についてどう思いますか?

[A]生徒指導は重要です。まず授業を成立させるためには、教師の側にリーダーシップ(集団をまとめる力)がどうしても求められます。しかし、生徒指導のゴールは、言いつけを守らせておとなしくさせて教師がやりやすいような言うことを聞く子にすることではないと思います。実はもっと厳しいゴールがあって、それは自分で自分の生き方を決められるようにさせることだと思います。全国大会をねらって練習に励むのもよし、楽しんでスポーツをしたいのならば違う道を探すのもよし、それは生徒一人ひとりに決めさせることです。違いを認めあうことが、自分らしく生きる第一歩ですからねえ。進路指導といったって、「お前は偏差値が高いから看護学校よりも国立大学へ行け」というのもねえ…。

先日の教育テレビ40周年特番「先生だって悩んでいる」では、佐藤学が「1980年代に中学校が荒れたときに、三つの指導---生活指導、部活指導、進路指導---で乗り切ってきたという事実がある。このことが先生をして、指導さえできればうまくいくという自信をつけさせてしまった」と指摘してました。指導というのは、生徒から自分で考えるチャンスを奪うことではありません。自分の頭で考えて、自分で選んで、自分で責任を取る。そういう練習をさせてあげることです。大人になる準備です。