教育機器の効果的な活用
—何ができたら効果的とするのか—


東北学院大学助教授 鈴木克明



教育機器は、使えばよいというものではない。優れた機器であればあるほど、使い方によってはマイナスの影響をもたらす可能性が増す。諸刃の刃(もろはのやいば)である。コンピュータを導入することで人間同士のコミュニケーションが減るのではないか、新たな落ちこぼしを生むのではないか、といった不安には、マイナスの影響への心配が表現されている。

一方で、いつの時代にも、授業に熱心な教師たちは、子どもの学習に役立つと思われる機器を取り入れてきた。新しい教育機器も、子どもの学習に役立つ可能性があれば早晩取り入れられるのは間違いない。沼野(1986)は、「このことは情報化時代の学校教育において『変えることのできない』ことの一つ」であり、「現代の教師に求められるのは、コンピュータやニューメディアの導入という『変えることのできない』ことを受け入れる心の落ちつきである」(p.29)と指摘する。危険を承知で、賢く使うことを考える。

教育機器を効果的に活用するためにはどうしたらよいか。この問いに答えるためには、まず教育機器ありきでそれをどうやって使ったらよいか(活用方法)を考えるだけでは不十分である。教育機器は必ず使わなくてはならないという訳ではない。使った方がよいと思えたときに、使う理由(活用目的)を明らかにして活用するのがよい。教育機器を使うことで何ができたら効果的とするのかについて、子どもの立場と教師の立場とから吟味する。

子どもの立場1:道具(方法)としての教育機器

 子どもにとって、教育機器は学習のための道具である。授業に教育機器が使われることで学習への手助けが増える効果を、次の点で期待したい。

●新鮮さを感じ、興味関心が湧くこと。(学習意欲)

 授業のマンネリ防止、ものめずらしさの効用のために、手を変え品を変え使う。ただし、めまぐるし過ぎて落ち着いた学習の妨げにならない程度に。学習意欲を高める要因は新鮮さだけではないことにも留意(鈴木、1994)。

●今までよりも、内容がよくわかるようになること。(学習効果)

 絵や写真、音やビデオなどで具体性、信憑性、現実味、親近感などを高め、学習内容をよりわかりやすくする。無味乾燥で他人事になりがちな教科内容の世界と子どもの世界との橋渡しにする。

●今までよりも、学習時間が節約できるようになること。(学習効率)

 つまづきに応じた練習とフィードバックなどで基礎的な知識技能の習得を速める。残った時間は、もっと詰め込むことにも使えるし、子どもの自由な活動の時間にあてることも可能。少ない授業時間の有効利用を。

●今までよりも、選択の幅が増えること。(制約の緩和)

 教師が用意した単一のメニューによる画一的な学習から、学習方法、学習内容、学習場所などについて選択の余地を増やす方向へ。教師の指示に従う素直な子どもから、自分の学習に責任がもてる自立した学習者へ。


子どもの立場2:目的としての教育機器

 子どもにとって、教育機器は学習内容(目的)でもある。たとえ教科内容の学習にとってプラスがないとしても、教育機器を使わせること自体に次の点で意義を見つけることができる。

●機器に触れ、慣れ、親しむことにより、機器アレルギーをなくすこと。

 教師が自分だけで占有するのでなく、できる限り子どもたちに使わせる。ビデオの課題別繰り返し視聴、グループ学習発表でのOHP利用など。

●機器の特性を知り、いつどんな目的で使えるかを把握すること。

 新聞や放送などのマスメディアの役割と活用方法から、制止画と動画、絵と文章の組み合わせ方などの表現方法まで。

●機器の操作方法を知り、使いたいときに効果的に使うことができること。

 子どもにとって意義感のもてる課題達成の手段として位置づけながら、道具として使いこなせるように導く。たとえばワープロの使い方を教えるときには、新聞記事を書いて推敲するといった課題に埋め込む。


教師の立場1:助っ人を知る

 教育機器の活用は、教師にとっても未知への挑戦である。まずは、授業に使ってみることを(考えることを)通して、どんな可能性があるのかを見極めたい。教育機器を使いこなすために、どんな助っ人かを把握する。

●機器の特性を知り、いつどんな目的で使えるかを把握すること。

 提示できる情報の種類(文字、音声、画像など)や相互作用性の有無(誤りに応じた対応など)などの機器の特性を学び、どの授業のどのタイミング(導入、情報提示、練習定着、活動支援など)で活用するかを検討する。

●機器の操作方法を知り、使いたいときに効果的に使うことができること。

 操作の得意な子どもがいればその子にやってもらえばよい。しかし、いつ何をどう使えるかは実践例も参考にして把握しておく必要がある。


教師の立場2:自分より優れている点を利用する

 かつての教師が(黒板とチョークだけで)素手で戦いに挑んでいたことに比べれば、現代の教師には援軍が多い。教育機器のよいところを取り入れて自分だけでは実現できない授業にしたい。ゲスト講師としての機器である。

●やりたかったけれどできなかったことを見つけ出し、それを実現すること。

 よいものに出会ったら、それを積極的に授業に組み込む。同時に、自分のやりたいことは何かを問い、それを実現するための手段を探す。

●人間メディアの弱点を補うという意味で機器を使用すること。

 自分の立てた計画を実現する手段として最も頻繁に用いるのは自分自身(これを人間メディアとする)。人間メディアの弱点は、視覚的な表現力(もっぱら口で聴覚的に情報を伝えている)、感情的なところ(えこひいきや感情の起伏、辛抱のなさ)、そして時間不足(1対40、自作自演、授業以外の任務)。目に訴える黒板やスライド、冷静に怒らずに付き合えるコンピュータ、他にすることがなくほこりを被っている倉庫の機器を使う。


教師の立場3:自分の下請けをさせる

 今までできなかったことを機器を導入することで実現する。それは必ずしも機器がやるとは限らない。今までの仕事を機器に肩代わりさせて、今までできなかった仕事を自分でやるための時間をつくってもらうこともできる。機器にできる程度のことは機器にやらせる。助手としての機器である。

●機器でもできる部分の作業から解放されること。

 一斉ですむところは機器、個別の対応が必要なところは教師という分担の原則はどうか。教師の創造性を生かすための機器の活用という観点から、機器にできることは機器にやらせ、機器にできないことを人間が受け持つ。

●子どもと対話する時間が増えること。

 一方的に教科内容を説明することと個々の子どもと話すことを区別する。

●教材について研究する時間が増えること。

 雑用を機器に託すことによって、より専門性の高い課題に時間を使う。

●「直接教える」ことを避けること。

 手取り足取りから自立へ導くために、教え過ぎを克服する。機器との付き合い方を教師が教え、機器から直接学べる子どもを育てる。側面に回る。


教師の立場4:授業を知る

 選択肢が多いので使い手としての教師にそれらに振り回されることなく「使いこなす」ための力量が求められている。使い方を知っているとは操作方法の習得だけを意味しないことをもう一度確認したい。

●これまでの授業のよさや欠点が発見できること。

 新しい機器を導入すると、これまでの授業のあり方が比較の対象になり、授業方法をめぐっての議論が活発になることを期待したい。個別指導を可能にする機器によって、一斉指導の役割を再認識する。どんなに優れた機器があらわれても消えない人間教師の役割はいったい何かを、問い直す。

●子どもたちに何を教えたいのかを再検討する機会を得ること。

 機器が増えると、授業実施の選択肢(候補)が増え、その組み合わせ方を考えること必要が生じる。教育機器の効果的な活用を考える中で、何を教えるための教育機器の利用かを改めて考える契機としたいものである。


<参考文献>

鈴木克明「第8章 メディア教育への動機づけ」 子安・山田編著『ニュー メディア時代の子どもたち』 1994年 有斐閣教育選書
沼野一男『情報化社会と教師の仕事』 1986年  国土社教育選書