『教育科学』1996年11月号( 第39巻12号;No.481 )、 65-68
17字×22行×3段×4枚

5 インターネットが開く新しい学校像 

(2)インターネットは狼少年の再来か、それとも起爆剤か
   〜教師が直接教えてしまわない授業への転換〜



東北学院大学助教授 鈴木克明



インターネットは新しい学校を開くのか?

 新しいメディアが登場するたびに、その教育における可能性が大々的に宣伝され、巨額の資金で教育機器が導入され、指定校が設けられ研究が行われてきた。研究期間が終えるとそのメディアは忘れられ、次のメディアの波が来るまでもとの形に授業は修復される。我々はいったい何回この波を経験してきたのか。ラジオとテレビ、プログラム学習とティーチングマシン、反応分析器、ビデオ、コンピュータ、マルチメディア、そして今度はインターネットだ。

 また新しいメディアの到来か。好きな奴にやらせておけ。そのうちホコリをかぶる日が来る。自分の授業は(少なくても公開授業のときを除いては)普段通りでいい。そんな気分の先生にとっては、インターネットは「狼が来たぞ!」の連続で信用されなくなった狼少年の再来に見えるのだろう。様々な機器の利用が試みられ、少しずつ授業の選択肢を増やしてきた。しかし、授業に用いられるダントツの日常三大メディアは、依然として、「黒板とチョーク」と「教科書」と「教師の肉声」であることに変わりはない。

 教育工学が専門の筆者であるが、今度こそインターネットが新しい学校を開く、と主張するつもりはない。インターネットも使い方次第で、古い授業スタイルのまま使うことが可能だからである。一方で、過去のどのメディアもそうであったように、インターネットもこれまでの授業の在り方を再検討し、変化させる起爆剤とすることは可能である。その主体となるのは、授業デザイナーとしての一人ひとりの教師である(鈴木、1995a)。

 インターネットを使うことを(検討することを)契機にして、教師が新しい学校を開いていく可能性は十分ある。また、インターネットを導入しなくても、インターネット社会に巣立っていく子どもたちに何を準備をさせたらいいのかを考えるだけでも、今の授業の在り方を考え直すきっかけになる。これが本論の主張したいところである。

高度情報通信社会に対応する「新しい学校」

 中教審「審議のまとめ」では、初等中等教育における情報化への対応が急務であることを指摘している。全ての学校がインターネットに接続することを目指し、情報機器やネットワーク環境を整備し、積極的に活用すること。さらに、学校の施設・設備全体の高機能化・高度化を図り、学校自体を高度情報通信社会に対応する「新しい学校」にしていく必要があると提言している。

 平成7・8年度に実施中の文部・通産省によるネットワーク利用環境提供事業(100校プロジェクト)では、インターネットへのアクセス(接続)を2年間無料で提供している。この事業には十数倍の応募があったという。1996年8月現在で、日本全国の初等中等教育機関の名前でインターネット(ホームページ)を使って情報発信を実際に行っている事例は600を越えた。NTTの「こねっとプラン」では、募集対象の学校は1000校である。着実に、インターネット導入の実験的試みが展開している。

 今後も様々なプロジェクトを通して、学校がインターネットに参加する機会は増えていくだろう。しかし、まだ誰もが簡単にインターネットの恩恵にあずかれるまでに技術は成熟していない。100校プロジェクトは相当の技術力をもつ教員の献身的な努力によって支えられている実験的な試みである。それを4万を越える全国の「普通の学校」全てに拡大していくためには、まだまだ越えなければならない壁は少なくない。

 インターネットの普及のためには、今後とも技術開発による運用の簡便化や外部からの技術サポートの確保などによって、できる教員への過度な負担を避けていく努力が必要である。また、学校間の情報格差を生じさせないためにも、早急に全ての学校を接続する努力も必要である。しかし、インターネットへのアクセスを指をくわえて待っているわけにはいかない。インターネットへのアクセスが実現するまでに何をなすべきかを考えることこそが全ての学校における緊急の課題である。

 不特定多数の者が、世界的規模で双方向に文字・音声・画像等の情報を融合して交換することを可能とする社会がやってくる。今の子どもたちが巣立っていく高度情報通信社会では、マルチメディア情報をネットワークを介してお互いにやり取りすることが当り前になるという。しかし、そのような社会的・技術的な環境が整備されたとしても、必ずしも誰もが情報発信者に実際になる、あるいはなることができる、ということを意味するわけではない。

 西垣通がその著書『マルチメディア』(岩波新書)で指摘するように、映像や音声を完全に受け身で消費する形に馴染んでしまっているテレビ漬けの我々の習慣を変えることは難しい。知的好奇心が旺盛で、積極的に世界と関わっていく姿勢をもつ高度情報通信社会の形成者を育てるのは、他ならぬ学校の役割として期待されている。学校にインターネットが導入されていようといまいと、子どもたちがそんな社会に巣立つために必要な素養を育てていくことが学校に課せられている。学校の中核である授業の常識を再点検するいいチャンスである。


教師が権威的な情報源でなくなること

 インターネットで提供される情報は、必ずしも「正しい」情報ばかりではない。誰もが情報の発信者になれるので、それだけ誤った情報や偏った情報が提供される。インターネット上には子どもにとって好ましくない情報が氾濫している。好ましくなくはないとしてもまだ早すぎる情報、詳しすぎる情報、無駄な情報、まさに情報の洪水である。だとすると、インターネットの利用は、教育内容の厳選や学校のスリム化に逆行するものなのであろうか。

 審議のまとめでは、「溢れる情報の中で、子供たちが誤った情報や不要な情報に惑わされることなく、真に必要な情報を取捨選択し、自らの情報を発信し得る能力を身に付けることは、子供たちにとってこれからますます重要なこととなっていく」としている。いわゆる情報活用能力の重要性を再確認したものである。先生あるいは教科書から「正しい」情報を与えられ続けることに慣れてしまっている子どもたちがそのまま社会に出れば、誤った情報に惑わされ、不要な情報の洪水に巻き込まれてしまうことは想像に難くない。無駄な情報が授業に存在しなければ、情報を目的に応じて選択する力はつかない。教師から与えられてしまえば、子どもが情報を自分で探し出すことはできない。

 離乳食を与えられ続けた子どもに食物をかみ砕く力はつかない。母親から食物を与えられ続けた子どもには、自分で食物を見つけ出し、調理し、消化しやすくしかもオリジナリティに富んだ料理にしていく技能や工夫しようとする態度は身につかない。授業も同じである。なるべく子どもにわかりやすいような授業にする。教師が全てお膳立てを考え、それを教師が整理した形にして子どもに提供する。そんな親切すぎる「わかりやすい」授業への警鐘である。

 教師が親切な情報源でなくなることで子どもに情報活用能力が育つのだとしたら、教師が先頭に立って情報提供をしない授業、つまり「教えてしまわない」授業を考えなければならない。パソコンを教室に導入した事例では、子どもたちが自力で問題を解決していく様子が報告されている。子どもの適応力が教師に勝るパソコンという題材と教えないで勝手にやらせる指導法によって、先生に頼らない姿勢が育ったという。またアメリカでは、算数の複雑な問題解決場面に無駄な情報をたくさん埋め込んだマルチメディア教材で、試行錯誤を繰り返しながら解決法を生成していく実践が報告されている。複雑さによって教師にも正解がすぐにはわからないと思わせる効果や、班ごとに協力する必要性が生じることが興味深い(鈴木、1996)。

 日々刻々と提供される情報が変化するインターネットにおいては、事前に提供される情報の全てを教師が把握することは不可能である。この予習が完璧にできない事態は教師に不安を与えるだろうが、教師と子どもの関係を変える契機とすることができる。放送番組がかつて生放送しかない時代に、教師が知らない情報を教室にもたらすことが敬遠されたという。放送番組の直接教授性に主導権を奪われた教師からの抵抗である。当時の番組制作者の思惑としては、権威者である教師から子どもへと情報が一方的に提供され、予定調和的に展開する授業の在り方に一石を投じたいという、学校教育改革運動的な側面があった。教師の抵抗はむしろ歓迎されるべきもので、そこから授業が変革していくことを期待していたのである(鈴木、1995b)。インターネットによってビデオ録画ができなかった時代の放送教育の事態が再現されることになる。

 教師は、圧倒的な情報量とその「正しさ」という優位性で子どもの前に立つのではない。新出情報の有用性を判断できること。調べたいことに一歩ずつ近づいていく方法を提案できること。驚き、悩み、工夫し、解決に導く過程を子どもたちと共有できること。そんな一足先を行く学び手としての姿で子どもたちをリードしていく教師像が求められている。インターネットが新しい学校を開くとすれば、子どもと教師の関係を変える起爆剤となるときである。そのための準備は、インターネットなしでも始められる。


<参考文献>
鈴木克明(1995a)『放送利用からの授業デザイナー入門』日本放送教育協会
鈴木克明(1995b)「学校教育改革運動としてのメディア教育」日本教育方法学会(編)『教育方法研究24』明治図書、201〜209頁
鈴木克明(1996)「ビデオ冒険物語で問題解決能力を育てるジャスパー教材」『算数教育』1996年6・7月号、111〜115頁