『指導と評価』1988年11月号 (第34巻11号) 、43-47 

       連載「教師のためのコンピュ−タ・リテラシ−」第20回
          CAI入門−3 使い易いCAI教材の要件
                         鈴木 克明(東北学院大学講師)

             1.CAIの目指すもの
 CAIに関する実践報告を多く見かけるようになってきた。文部省の補助を受けてコン
ピュ−タを導入し、学習指導に何らかの形で使ってその成果を報告しなければならないと
いう事態に直面したとき、とにかくCAI教材を自作してみよう、ということになるらし
い。現在のCAI教材の開発環境を眺めてみると、ごく一般的な教師が自前のCAI教材
を、過剰な負担なく開発できるような状況からは程遠いものであることが分かる。それは
恐らく、今のどこでも誰でも写せる家庭用のビデオカメラが開発される以前に、貧弱な照
明設備しかないスタジオでビデオ教材を作るよりも大変なことのように思われる。授業で
使える教材にするまでに膨大な時間がかかることはもとより、機械操作の煩雑さに四苦八
苦して、とにかく「完成作品」にすることに追われてCAIの本来の可能性を追求する所
まで及ばないのは、無理もないことだと言いたくもなる。しかし、だからといって、「C
AIコ−スウエアを自作して、動いたので使ってみました。」とか、「子供たちはとても
喜んでCAIで勉強をしました。」という実践報告に満足していて良いのだろうか。
 嘆かわしい現実を一時離れて、理想のCAIについて思いを巡らせてみる。例えばNH
Kのような専門職の番組制作者が学校現場ではとても作れないような質の高い教材を無料
で提供してくれて、学校にはそれをビデオ・ライブラリ−として録画、保管してあり、授
業での要求にあわせて使うことができる。一般のテレビ番組も含めて、授業に使いたいシ
−ンをつないで教材にすることも容易である。ビデオを見せるためにわざわざ教室を移動
することもなく、各教室に備え付けのテレビを使っていつでも見せられる。地域に密着し
た番組を自作したい場合には、どこでも誰でも写せる家庭用のビデオカメラをかついで取
材にでかけ、簡易編集機能のついたビデオ録再機で教材を作成する。使ってみて直したい
と思えば、簡単に再編集できる。この程度の教材開発環境がCAIについてもそのうち整
わないとも限るまい。また、そう遠い将来とも限らないのではないだろうか(例えば島津
理科器械の「マッカル」ではこれまでにない操作性のよいCAI教材作成の環境が実現さ
れそうである)。
 開発環境が整わない限り、CAI教材を自作することは大変手間がかかることを覚悟す
る必要があるようだ。教育の現場を預かる者として、実践者の専門性とは無関係の技術的
な作業に多くの時間を浪費しないよう注意したい。しかし、たとえ操作性の優れた教材作
成支援の道具が用意されても、CAI教材の作成作業の肝心な部分は教材作成者の専門性
に委ねられる。どこでも誰でも写せるビデオカメラが開発されても、誰でも効果の高いビ
デオ教材が作れるとは限らないのと同じである。私はこの意味において、教育現場を熟知
している教師こそがCAIの可能性を現実のものとする中枢的な存在であるべきであると
思っている。それは、教育に資するあらゆる材料を吟味し、取捨選択・創造して子供たち
に与えるのは一人ひとりの教師の責務であり、実践者の専門性が発揮されるべき所である
と考えるからである。また同時に、CAIの導入を検討することで、学習指導の本質に関
わる多くの事柄を教師自らが学ぶ契機になると確信するからでもある。
 CAI教材の開発環境が不十分なためであろうか、その不十分な環境の中でCAI教材
の開発に疲れたためであろうか、「CAIが全てではない」とか、「CAIよりもLogoを
使わせて創造性を育てる方がよい」という形で、CAIに対する不信感が育ちつつあるの
は、とても残念なことである。開発環境の不備とCAIの限界とを見誤らないように心掛
けたい。また、現在出回っているCAIソフト(教材と呼べるものばかりではない)と、
(夢物語ではなく)これまでの研究成果を生かせば作成することが可能な質の高いCAI
教材とを混同しないようにしたい。「動いた使った」報告や珍しいので子供たちが喜んだ
ことを示す「スマイルテスト」の結果だけでCAIの可能性を評価しないで、教師にとっ
て強力な助っ人となるようなCAI教材かどうかを判断するために、少なくとも次のよう
な問いを投げ掛けてみるべきであると思う。
 1.もし使いたい時に使える場合、教師がCAIを選ぶであろうか、子供たちが自習時
   間にコンピュ−タが使えるという理由以外の理由によってCAIを使うであろうか
 2.CAIを使うことで子供たちに今以上の知識・技能をつけさせることができるのか
   、また勉強することをより好きにさせ、勉強の方法を学び、自分に自信をつけさせ
   る手助けになるのだろうか
 3.教師がCAIにできない事は何か、つまり自分が果たさなければならない役割は何
   かを問い直す契機になったであろうか(例えば、いつ誰にどのCAI教材を使わせ
   るかを判断する役割とか、学びあい、たかめあう集団学習を司る役割等)
 4.CAIに接することで、他の形態も含めて、授業という営みをより詳しく、科学的
   に検討する目は養われたであろうか(何を学ばせるためにどのような手段を用いど
   の程度成功したか、補足または改良する点は何か、予想しなかった成果は何か)
 コンピュ−タを学校に導入する理由については様々な立場があると思われるが、私は教
師の事務的な作業を軽減することと並行してCAIがその主な目的であって欲しいと願っ
ている。コンピュ−タを使うことで今まで教室では分からなかった問題が解けるようにな
ったとか、自分で学習の仕方を工夫して自分なりの勉強ができるようになって自信がつい
た(CAIのアドバイス機能が功を奏した)というような、質の高いCAI教材によって
実現できる学習環境が持つ意義は小さくない。そのような体験を通して「コンピュ−タは
とても便利な道具だ」と実感させることができたらどんなに素晴らしいであろうか。

           2.質の高いCAIを見極める目
 CAI教材の質を高める方法の一つに、システム的な授業設計の技法を応用することが
挙げられる。CAI教材には、これまでの教材では実現できなかったレベルで学習を助け
ることが期待されており、そのためには、教材作成の方法も改めなくてはならない。質の
高い教材が備えているべき特徴や、そのような教材を作成する手順などが、授業設計理論
の研究として行われて来ているが、その研究成果は広く一般のCAI教材作成に応用され
ていないのが現状である。米国はCAI研究のメッカであるが、フロリダ州で活躍する授
業設計の研究者ロブリヤ−の次の指摘を読者の皆様はどう思うであろうか。
+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+
| もしCAIに対する教師のイメ−ジやCAI研究の成果を本質的に向上させる事を|
|意図するならば、コ−スウエアの質を高めることをこの分野〔CAI研究〕に於ける|
|中心的な課題とする必要がある。...恐らくシステム的な設計方法の採用を妨げて|
|いる第一の障害は、コ−スウエアはその効果の如何に関わらず(少なくとも一時的に|
|は)売れるという事実であろう。このことはコ−スウエア開発業者の多くには、「教|
|育者にとってコ−スウエアが良く設計されているかどうかはさして重要ではない」と|
|いうメッセ−ジとして受け止められてきたかも知れないのである。        |
+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+
 もし、現状でのCAI教材の自作を見送るとして他にすることがあるとしたら、それは
まず、質の高いCAI教材を見極める目を養うことではないだろうか。そして、どのよう
な効果があるかもわからないような不確かなCAI教材を不用意に与えて、子供たちにコ
ンピュ−タに対する悪いイメ−ジを持たせないように配慮したい。「CAIの授業はめず
らしくて楽しいけれど、何もできるようにならなかった」という感想は、長い目で見ると
悪いイメ−ジの範疇に入るであろう。CAI教材を購入するならばこんなものを、あるい
は開発環境が整った折には是非このようなCAI教材を作りたい、という理想のCAIに
ついて考えてみて頂きたい。それは、日常の一斉指導を補うために、あるいは現実の制約
を離れて、システム的に授業の設計を考察することに外ならないのである。

            3.質の高いCAI教材の要件
 CAI教材が一つあったとして、それが、どのような学習者を対象にして、どのような
目的の為に提供されていて、どのような構成になっていて、それをどのようにして使うこ
とができて、どの程度の効果が期待できるものなのか。CAI教材のパッケ−ジを開ける
前にこのような点が分かるようになっていることが質の高いCAI教材への第一歩である
。この当たり前と思われることが市販のCAI教材の常識にはなっていないのが、現実、
である。「目標が妥当かどうか、方法が適切かどうかは、先生が使ってみて判断して下さ
い」と言われるかも知れないが、それは、余りにも不親切というものではないだろうか。
このCAI教材はこんなものです、とはっきりと記述できるのは、単に利用者への便宜と
いうだけでなく、その教材が確かなものであることの現れでもある。使う側も、教材開発
者の作成の意図を念頭に置いて使うことで、CAI教材そのものが悪いのか、それとも使
い方が悪いかの判断がつき易くなる。
 印刷教材は斜め読みをして内容を確かめることができるが、CAI教材にはその簡便さ
はない。その短所を補うのがCAI教材に添付される「説明書」の役割である。「説明書
」を見ただけで、そのCAI教材が自分の求めているものに近いか、また、どのように利
用することが考えられるかが大体わかるようになっていることが求められよう。質の高い
CAI教材の「説明書」には、次のような項目を期待してよいと思われる。
+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+
|  ア、教材の目的(何のためのCAIか)                  |
|  イ、学習目標(どんな条件で何をすることができるようになるのか)     |
|  ウ、評価問題例(テストが教材に含まれているかどうかも明記)       |
|  エ、対象者(学年、前提となる具体的な知識・技能と一般的特性)      |
|  オ、必要な機器、教材                          |
|  カ、使用場面(利用環境、利用形態、教師の一斉指導との関係)       |
|  キ、実施についての提案(望まれる事前・事後の学習活動や指導の実例)   |
|  ク、教材の構造と部分的な利用の方法(各部の目標、評価問題例を含む)   |
|  ケ、指導の方法と画面例                         |
|  コ、教材開発の経緯と実地テストの結果および改良した箇所         |
|  サ、教材の内容変更の可能性と手順                    |
+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+
 これまでの教材に比べて、「説明書」に要求されている事柄が、かなり厳しいものであ
ることを気づいたと思う。CAI教材に求められる質的な水準が高いことを意味しており
、それは、CAIの可能性が高いことに外ならない。端的に言えば、CAIには、ある事
柄をできるようにさせることが求められている。対象となる子供は何ができて何ができな
い者で、学習目標は何で、それを確かめる評価問題は何で、実際にこのCAI教材を実地
テストした結果どの位の子供がどの程度目標に近づいたのか等々が問題にされるのも、こ
のCAI教材で学習することで何ができるようになるのか、を明らかにするためである。
 例えば、教科書に準拠したワ−クブックの場合はどうであろうか。質の高いワ−クブッ
クかどうかを吟味する際に問題とされているのは、恐らく、教科書の内容にあっているか
という点と、ワ−クブックを使う子供の状態に適しているかどうかの2点と言って差し支
えないであろう。従って、「このワ−クブックで勉強した子供は、最後の総合問題で何点
をとれるのか」のような疑問は持たれないし、テストの成績が悪くてもそれはその子供の
能力が及ばなかったり勉強をさぼったからかも知れないが、ワ−クブックの問題の並べ方
が悪かったからだとは考えない。つまり、ワ−クブックをやったからといって、それだけ
で教科書の内容が理解できたり、学習指導要領に示される学習の目標を達成できるとは、
期待されていないからであろう。
 CAI教材にはより確かな効果を期待できる。従って、どんな目標を実現するために作
られているのかを明確に記述してあることが何よりも重要である。この点が曖昧だと、C
AIを用いた学習を体験させること自体が目標になってしまう危険が高い。番組は何でも
いいからテレビを用いた学習を体験させることが学校教育に相応しい目標とは誰も言うま
い。コンピュ−タも然り、であろう。一方、CAI教材に目標が明確に示されているから
と言って、記述されている目標が唯一無二のものとなるわけではない。示された目標に到
達することのみを目指す「訓練」の場合と異なり、「教育」には何段階もの目標、目的、
狙い、願い、或いはそのための手段や下位の目標が交錯しているからである。例えば、「
与えられた職業名を第1次、2次、3次産業に分類することができる」ことを学習目標と
したCAIを使わせて、「社会科に興味を持たせる」ことを意図することがあるかも知れ
ない。この場合重要なのは、CAI教材が責任を持つ「分類する」能力が確かに身につく
のであれば、それを前提にして、これまで社会科を不得意としていた生徒にCAI学習を
体験させて、「分類する」ことができるようになることを通して当該教科に「興味を持た
せる」ことを狙うことが初めて可能となる点である。使い方は利用者が決めることである
が、目標がはっきりしていないと有効な手段となり得るかどうかの判断はできない。CA
Iを選ぶ理由には具体的な何かをできるようにさせたいとの思いがあり、それを達成する
為に役立つかどうかがCAI教材の質の高さを判断する重要な視点である。
 目標がはっきりしていて有効な手段となり得る場合、CAI教材がその目標に対してど
の程度効果的であるかが次の問題となる。この問題は、理論的なレベルと実証的なレベル
で検討することができる。理論的なレベルでは、「説明書」の内容をシステム的な授業設
計理論や実践的な経験に照らして、これまでに蓄積されている学習指導のノウハウを生か
しているかをチェックする。目標と評価問題、教材の内容が互いに整合しているかという
妥当性の問題や、目標に到達させる為に効果的な教材の構造や学習指導の方法を用いてい
るかという最適性の問題を調べ、CAI教材の効果を予想することができよう。
 しかし、最も肝心なのは、教材の使用者から直接デ−タを集めて効果を確かめる実証的
なレベルでの検討である。ある事柄をできるようにさせることが可能かどうかは、実地テ
ストによってのみ確実に判明する。この点でCAI教材の形成的評価は不可欠であり、実
地テストの結果を受けて教材のどの部分をどのように改良したかを「説明書」に明記する
ことが求められている。CAI教材は教師の手を離れて使用に供されるのであるから、事
前にその効果を確認することが必要となるのである。形成的評価の過程は、システム的な
教材開発過程の中の鍵となるステップである一方、教材の効果に関心が薄ければ真先に省
略されるコストのかかる手続きでもある。従って、形成的評価の報告が「説明書」に含ま
れているかどうかは、CAI教材の質の高さを見極めることのみならず、CAI教材開発
者がどの程度教材の質に配慮しているかという姿勢を読み取るのにも好都合であろう。

                4.おわりに
 CAI教材の可能性は大きく、従って、質の高いCAI教材を見極めるためには学習指
導の何たるかを理解していることが求められる。これまでの研究を通して明らかになって
きた事柄と、教育現場での実践の中で積み重ねられてきた事柄を合わせて、CAI教材に
はこうあって欲しい、こうあるべきである、という厳しい注文をつけ続けなければならな
い。それが、CAIの可能性を最大限に引き出すことに通ずるのではないだろうか。次回
は、今回の注文を満足できるように、現場でのCAI教材開発の手順を提案したい。

                〔用語解説〕
「スマイル・テスト」−−−学習者が教材を好むかどうかを「おもしろかった」かどうか
             を質問して調査するテストのこと。必ずしも学習効果が高か
             ったことを示すものとは限らない。
「授業設計理論」−−−−−学習指導に関する研究を基にして、効果的な授業構成法(青
             写真)とその理論的裏付けを示唆するもの。

                〔参考文献〕
Gagne, Wager, Rojas 著、ivy 訳(1987) CAI学習教材の計画と開発(1、2、3)。
 「マイコン・レ−ダ−」1987年1月号−3月号:56-59

〔参考文献〕
Roblyer, M.D. (1987) Fundamental Problems and Principles of Designing Effective
Courseware. In D.H. Jonassen (Ed.), Instructional Designs for Microcomputer
Courseware. Lawrence Erlbaum Associates, U.S.A.