『教職研修』1995年9月号 80 - 83
連載特集 学校教育はどう変わるのか2
戦後50年から21世紀を展望して

マルチメディア時代に教育はどう対応していくか

マルチメディアとは

 マルチメディアとは、映像や音の出るパソコンのことを言う。ワープロの文字や表計算の数字が画面いっぱいに表示されるイメージがあるパソコンに、文字情報だけでなく、音楽やビデオ、写真などの多様な(マルチ)形態の(メディア)情報が表示できるようになった。一昔前は、黒板とチョークに加えて、VTRやスライドなど様々な(マルチ)教育機器(メディア)を使うことを指してマルチメディアと呼んでいた。現在では、世の中一般には、様々な機器が必要であったものがコンピュータ画面一つに統合・収束できたことを指して(「シングルメディア化」と言いたいところだが)マルチメディア化と言う。

 パソコンのマルチメディア化を支えているのは、コンピュータの高速化と情報のデジタル化である。映像や音を全てパソコンが扱えるデジタル情報(0と1)に置き換えて保存し、それをまた再現しながら画面に出すためには、相当のスピードが要求される。パソコンに表示されるマルチメディア情報が電話回線などを使って外部から入手されるものをネットワーク系、CD-ROMなどを使ってその場で再現できるものをパッケージ系のマルチメディアと言う。

放送・視聴覚教育とマルチメディアの融合

 マルチメディアの教育利用を考えるとき、従来からの放送・視聴覚教育の延長線上に捉えるとよい。視聴覚部会の実践報告の多くにパソコンが使われている実態を見ても、また、パソコンと映像の融合というマルチメディアの特徴を考えても、それは、自然な流れである。教育機器ごとに研究会を分断するという発想をやめなければいけないことを、マルチメディアは我々に示唆している。

 ラジオが音声情報だけだったことに対して、テレビはそれ自体でマルチメディア情報を提供してきた。映像あり、音あり、テロップ(文字)あり、である。パソコンのマルチメディア化は、見た目にはテレビ受像機がパソコンのモニタ画面に変わるだけのことである。スイッチ・ポンのテレビ並とまではいかなくても、買ったその日から電源を入れてマウスを動かせば使えるパソコンが、家電製品と同列に売り買いされるようになった。パソコンはマニアだけのものという時代は終わった。

 パソコンがマルチメディア化し、誰でも気軽に使えるものになると、学校で操作技術を教える手間がかからなくなる。ファミコン世代の子どもたちは、マウスやキーボード操作、CD-ROMやフロッピーディスクの扱い方などは放っておいても自然に習得する。しかし、マルチメディアをどう使っていったら役に立つのかという点は、慎重に教えていく必要がある。放送・視聴覚教育の実践では、テレビ=アニメとアイドルという固定観念から出発して、情報源としての役割、マスメディア、情報操作、コマーシャリズムなどを教える道具としてきた。パソコンもゲーム機と清書機としてだけでなく、情報発信源としての役割、情報産業、通信ネットワーク、著作権と情報モラルなどを教える絶好の教材となる。

 ところで、テレビとの比較において、マルチメディアの特徴は相互作用性(インタラクティビティ)にあると言われている。テレビは一方通行で情報をたれながす、あるいは送りっ放し(=放送)である。しかし、マルチメディアはこちらが情報を求めて働きかけないと何も与えてくれない。テレビが受動的であったのに比べて、マルチメディアには主体性が要求されるので新学力観にマッチする、というわけである。

 確かに、一般的な特徴としてはその通りである。しかし、それは使い方次第であるという点を忘れてはいけない。放送・視聴覚教育の実践では、たとえば、教師による情報提示の道具とみなされるOHPでも、子どもたちにシートを自作させ発表の道具としてきた。テレビ番組もただ一方的に情報を受け取るだけでなく、ビデオに録画して、自分の追及する課題に関連ある部分を必要なところだけ繰り返し選択視聴させたり、家庭用ビデオカメラを駆使して、自分たちの調査結果をまとめた映像を制作・発表させる実践も展開してきた。これらの研究資産を、マルチメディアの教育利用にも大いに生かして行くべきだろう。

 マルチメディアを使ったからといって、自動的に相互作用性が保証されるわけではない。マルチメディアも、教師が事前に取捨選択した情報を説明の中で子どもに見せるだけでは一方通行になる。相互作用性を生かす使い方の検討には、放送・視聴覚教育がたどってきた道が参考になる。子どもたちの感性に訴える情報に目や耳を傾かせて「受動的」にさせる瞬間と、そこから自分たちの発想を得て「能動的」な学習活動を展開することとを、バランス良く取り入れていきたいものである。

インターネットと図書室のマルチメディア化

 文部省(コンピュータ教育開発センター)と通産省(情報処理振興事業協会)の手によって、平成七、八年度の「ネットワーク利用環境提供事業」が始まった。いわゆる百校プロジェクトである。慶應大学湘南藤沢キャンパスの一角にオープン予定の「情報基盤センター(仮称)」の教育ソフト開発・利用促進プロジェクトの一環として、日本全国の小中高特殊学校約百校に、インターネットへのアクセス(接続)を無料で提供する。十数倍の応募があったというから、コンピュータネットワークを使った実践をしてみたい、と考える学校も少なくないということで、ネットワーク系マルチメディアの浸透(あるいは、それへの期待の高さ)を示している。

 インターネットとは、組織内ネットワークを相互に結ぶ全世界的なコンピュータ通信ネットワークの総称である。大学や研究機関を中心に、自分たちのネットワークを相互に連結させて行った結果として膨れ上がった網の目であり、運営はネットワーク管理者たちのボランティアに委ねられている。アメリカ政府が提唱する「情報スーパーハイウェイ構想」がインターネットの大動脈を提供し、近年では個人や企業にインターネットアクセスを有料で提供する会社も台頭してきた。新社会資本整備という観点から、情報のインフラとして注目されている。

 一度インターネットの網の目に入り込むことができると、世界中で無償で公開されている情報を入手することができる。たとえば、NASAが提供しているスペースシャトル関連の画像資料、連邦図書館の文献データベース、世界各地の気象データ、旅行情報、あるいは時事ニュース。レコードを出すかわりにインターネット上で新譜を発表する音楽グループや、通信教育をテレビのかわりにインターネット上で展開する大学もある。

 学校からインターネットへのアクセスが最も自然な形で行われるのは、図書室であろう。何かを調べようと図書室の本を探したこれまでの情報検索の延長として、図書室にパソコンを設置してインターネットが利用できるようにする。図書室のマルチメディア化である。これまでも図書だけでなく様々な視聴覚的資料を図書室に導入し、図書室から学習情報センターへの脱皮を試みてきた。CD-ROMも、インターネットへのアクセスも、その試みの延長線上に位置づけられる。パソコンについての学習をするためならばパソコン専用教室がよいだろうが、情報アクセスの道具として活用するならばやはり図書室が相応しい。

情報の受信と発信

 インターネットの可能性は、世界中からの情報の入手だけではない。自分たちの情報も、世界中の人に見てもらうことができる。つまり、情報の受信と同時に発信も可能なのである。情報発信では、電話や手紙の代用としてインターネットを利用して特定の相手にこちらから情報を送り付ける電子メールも便利だが、「どうぞ見たい人はご覧ください」という気持で情報を公開する情報提供サービスが面白い。自分が提供できる情報、たとえば地元の旅行案内や、学校の紹介、自分の研究成果や創作物(イラスト、ポエム、小説)などを、インターネットに直接つながっている自分のコンピュータ上に用意し、それを公開するだけでよい。見ず知らずの人が、世界中のどこからでも、自分が用意した情報を知らぬ間に見に来る。そして、意見や感想、お礼の言葉などを電子メールで寄せてくれる。世界を相手に自分から情報を発信できる。こんな胸踊る体験は、なかなかない。

 百校プロジェクトの参加校では、続々と自分たちからの情報発信を始めている。日本語だけでなく英語の情報も提供して、世界中からの参観者に備えているところも多い。百校プロジェクト参加校の一つである東北学院中学高校では、公開中の学校紹介や宮城歳時記に加えて、「バーチャル文化祭」(仮想文化祭)の公開を準備している。いつもだと年に一度の成果発表会、近隣からの参加者で盛り上がるが、展示はすぐに撤去される。それをインターネット上に常設して、世界中の人にいつでも見てもらおうという試みである。

 また、小学校では、各地の人々の暮らし(山梨大付属小)や全国お雑煮比較(キッズネット)などのように、自分たちの地域と他地域を比較するための情報をインターネットで募集して、自分たちがネットワークを通じて収集した情報をまとめて発信する実践も試みられている。また、世界一九カ国の二千校の合計百万人以上の子どもたちが参加して、最低三年間にわたって気象データを収集・報告することで環境問題に取り組む科学者に協力するというスケールの大きい試み(GLOBEプロジェクト)も、今秋から実施されると伝えられている。

学校再点検の契機に

 アメリカでは、二千十年までに全ての教室と図書館と病院をインターネットで結ぶという。日本でも、全ての教室とまではいかなくても、せめて図書室にだけでもインターネットの恩恵にあずかれる日が早晩来るだろう。マルチメディア時代を迎え、インターネットの普及を目前にして、情報の受信と発信という観点から学校を見直す契機としたい。

 与えられる情報と探し出す情報。授業中に飛び交う情報の総量と無駄な情報の割合。教師の「シャベリ」を三割以内に、あるいは教師の役割を情報の門番から黒子へ、というスローガン。学校の在り方、授業の進め方についての暗黙の了解を改めて吟味したい。

 本年十月二七日仙台一中の文部省指定教育機器利用研究公開授業と平成八年十月二四、二五両日の教育工学協会全国大会(宮城大会)に何がご覧いただけるか、ご期待願いたい。