メディアと授業の改善 IMETS 第119号
特集「マルチメディアが迫る授業理念の転換とは?」


学校をどう変える?
環境教育とマルチメディア活用の接点


東北学院大学助教授
鈴木克明



問題提起(22x8)

 本稿では、仙台マルチメディア環境教育研究会が開発し、小中学校での授業実践を試みている環境教育ソフト「みちくさ」を紹介し、環境教育とマルチメディア活用の接点について考察したい。環境教育の導入も、マルチメディアの活用も、学校教育の内容や方法を再点検し、授業の在り方を見直していく契機として眺めると、同じように重要な意味をもっているのではないだろうか。


本文(23x40x11)


1.はじめに


 マルチメディアとは、映像と音が出るパソコンのことである(鈴木、1995a)。テレビやスライドなどの映像系とコンピュータ(プラス通信)技術とのドッキングが、マルチメディアと呼ばれるものの正体である。遅かれ早かれ視聴覚教材の延長線上に位置付けられ、図書室や教室にもたらされるだろう。

 本稿では、仙台マルチメディア環境教育研究会が開発し、小中学校での授業実践を試みている環境教育ソフト「みちくさ」を紹介し、環境教育とマルチメディア教材の接点について考察したい。筆者は、教育工学、とりわけ授業設計論の立場から、学校教育の内容や方法を再点検し、授業の在り方を見直していくためにマルチメディア等を活用する方法を研究している(鈴木、1995b)。環境教育を推進すること自体が今の学校の在り方を見直す契機になる可能性を秘めていることが、たいへん興味深い。「みちくさ」のソフトと授業実践の途中経過を報告したあとで、その点にも触れたいと思う。

2.「みちくさ」はどんなソフトか


(1)「みちくさ」への思い

 学校からの帰り道に、ふと何かを見つけて寄り道をしてしまう。そんなときに出会う素晴しい感動や新しい発見。子ども時代を振り返ると誰でもがもっている貴重な体験だ。いつも見ている広瀬川とは違う別の広瀬川を知る。地域の人々と川や水とのつきあい方に触れる。思いがけない出会いから、もっと調べてみたくなる気持ちが生まれる。

 小学校高学年における環境教育の入口は、ゴミ問題や水質汚染などの環境問題よりも、身近な「みちくさ」体験を取り上げよう。普段何気なく接している川をめぐって展開する様々な出来事を埋め込んだ空間をコンピュータ上に準備して、子どもたちの探究心を刺激したい。広瀬川を下流から上流に上っていく過程を迷路で表現してみよう。様々なな角度から広瀬川にせまる材料を、様々なところに隠しておこう。興味に応じて様々な道筋を通るうちに子どもたちは何を見つけ出すだろうか。コンピュータ上で出会った発見から、子どもたちは何を調べたいと思うだろうか。探索型環境教育ソフト「みちくさ」はこんな思いで構想された(菊地他、1995)。


(2)「みちくさ」の構成

 「みちくさ」は、イントロ、迷路インターフェイスと14のステージで構成されている。イントロでは、制限時間を選択することで、難易度を設定することができる。広瀬川を下流から上流にさかのぼっていく過程を示す迷路インターフェイス(写真1)では、道筋に広瀬川にまつわるクイズが埋め込まれており、14のステージを進むためのメニュー構造の中核的役割を果たしている。




5 写真1 <みちくさ>の画面例1
6      (迷路インターフェイス)




 14のステージでは、広瀬川の環境に関する情報を多角的に埋め込んだ画面が提供される。それぞれのステージには、地理的、歴史的、理科的な14のテーマが設けられている(映像による広瀬川全域の散策、仙台市内の全小学校127校分の学校別の水系めぐり、広瀬川の支流「新川」・「大倉川」散策、河岸段丘「竜ノ口」散策(写真2)、「蒲生干潟」散策、広瀬川下流での発見ノート(写真3)、浄水場のクイズ、広瀬川中流での発見ノート、ダムのクイズ、広瀬川の歴史500年、伊達政宗と広瀬川、広瀬川上流の森、ゴールとごほうび)。




5 写真2 <みちくさ>の画面例2
6       (ゲーム的導入)








5 写真3 <みちくさ>の画面例3
6     (マルチメディア素材の提示)





(3)「みちくさ」の制作

 探索型環境教育ソフト「みちくさ」をつくったのは、仙台市科学館に本部を置く仙台マルチメディア環境教育研究会である。仙台市科学館の指導主事、近隣の小・中・高等学校の教員、筆者を含む大学の研究者、地域の企業、ソフト制作会社のメンバーから構成されている。マルチメディアを利用した環境教育教材づくりとその活用を通して、これからの教育について議論してきた。これまでに、マルチメディア教材「環境問題よろづ覚え帳」を企画・開発し「マルチメディア環境教育シンポジウム」を主催する等、仙台市科学館を拠点に地域に密着した活動を展開してきている。「みちくさ」は、これまでの研究会の活動をもとに自作した第二作である。

 「みちくさ」制作においては、科学館に来訪した子どもたちが自由に使うことを想定するとともに、学校現場で活用されることを期待していた。しかしどのような使用環境で、またどのような授業場面・位置づけで利用されるかを限定することは避けた。むしろ、現在の学校のメディア環境やカリキュラムに縛られずに、子どもたちの興味を環境に向けさせるための発想を自由に展開することを重視した。

3.「みちくさ」をどう活用したか


 学校の現状にしばられずに理想を追いかけた教材がつくられた。さて、この教材をなるべく理想に形で使えるようにするための条件は何だろうか。「みちくさ」の活用方法を調べるために、「みちくさ」の制作に直接かかわっていなかった二人の教師に実践授業を依頼した(青木・成田・鈴木、1995)。  実践を依頼した二人の教師は、いずれも「導入」の場面で「みちくさ」を活用したいと考えた。そうすると、クラス全員が一度にソフトに触れる場面をどうつくるかが問題となった。教師主導型の情報提示で使いたくはない。しかし、子どもたちがそれぞれ自由にゲーム感覚で「みちくさ」するためには、コンピュータの台数が多く必要になる。苦肉の策として、次の2つの実践を試みている。

(1)仙台市立東六番丁小学校青木学級での実践

 実践授業の一つ目は、仙台駅北側に位置する仙台市立東六番丁小学校6年青木学級で実施している。青木学級では、学区を流れる梅田川を調べる前の導入として「みちくさ」を使用し、広瀬川と梅田川のどこがちがうのかを探究の視点として設定する実践を計画した。青木学級には担任教師が使っているコンピュータがあり、日常的に子どもたちもそれに触れる機会を持っているものの、「みちくさ」の実践に十分な機器が揃っているわけではない。そこで、機器を借用・レンタルしてグループごとに1台の「みちくさ」を用意し、導入の時間に班ごとに自由探索させた(写真4)。




5 写真4 <みちくさ>利用の授業場面
6         (青木学級)




 「みちくさ」をゲーム感覚でたっぷりと体験した子どもたちは、川と環境のつながりの多様性を心に留めながら自分たちの川(梅田川)の調査計画を立て、実施し(写真5)、まとめていった。6年生でもあり導入で十分に自由探索しているので、ソフトの構造を把握することができていた。自分たちの調査には直接的に役に立つ情報が含まれているわけではないが、調査の各段階で、自分たちの調査の比較対象として使う姿が見られたと報告されている。




5 写真5 <みちくさ>からの発展活動
6         (青木学級)




 青木学級の実践では、この教材の最低利用条件を揃えるために機器を臨時に持ち込んだ。仙台マルチメディア環境教育研究会や財団からの補助があったからこそ実現できた、いわば実験的な試みであったといえよう。これが一般的な活用法であると現時点では言えないものの、機器が設置されたときに何が可能かを示していることだけは確かである。多くの学級でこのような実験的な試みができるような工夫(例えば、グループ1台の「みちくさ」を積み込んで1週間ごとに希望する学校に移動する「巡回パソコン号」)も、研究会の話題の一つになっている。

(2)仙台市立片平丁小学校成田学級での実践

 広瀬川が学区に流れる仙台市立片平丁小学校4年成田学級では、教室に1台あるパソコンを使った実践を計画した。地域の川に親しみをもたせることを目標にした単元「私たちの広瀬川」の導入として、3台のテレビモニターを接続した1台のパソコンを子どもの代表が操作しながら、クラスのみんなで「みちくさ」を共通体験させた(写真6)。




5 写真6 <みちくさ>利用の授業場面
6     (成田学級)




 「みちくさ」を使った導入とその後の展開を終えての印象を、担当教師は次のようにまとめている。

(ア)「みちくさ」ソフトについて

(イ)みちくさ後の学習の考察





5 写真7 <みちくさ>からの発展活動
6         (成田学級)





3.環境教育とマルチメディアの活用
     〜環境教育の何がおもしろいか〜


 マルチメディア等の活用を通して授業の在り方を考えようとする筆者の立場で見ると、マルチメディアは現在の授業に変革を迫っている。同時に、環境教育的な視点を授業に取り入れることも、それ自体として学校の在り方や授業の方法に変革を迫っているように思える。授業設計論の立場から、環境教育の何がおもしろいかを次に列挙してみたい。

(1)専門家不在の教科横断的な総合科目

 環境教育は、社会科や理科だけでなく全ての教科等で扱うべきであるとされる。例えば、中学校で大気汚染を扱う場合、社会科では生産消費等の活動とかかわらせ、理科では大気汚染が起こる気象学的要因を扱い、保健体育科では大気汚染と健康とのかかわりを、美術科や道徳では汚染度の低い大気環境下での自然の美しさを感得させるなど、教科間の連結が求められている(文部省、1991、p.11)。

 教科に分割して、それぞれの専門家によって教えるのがこれまでの授業の常識であるが、様々な専門家による授業を受けているのは同じ子どもである。「私は社会科ですから」というせりふを耳にしたとき、子どもが学ぶのは社会科だけではないんだよ、という思いに駆られる。特に小学校の先生に言われると、他の教科も教えているんでしょ、と言いたくなる。これは、言外に「だからこの教科は私の専門ではない」「研究しなくて当然」というニュアンスが感じ取られるからだと思う。

 環境教育には、「私の専門外だから」という言い逃れは通用しない。全ての教科に環境教育という視点から光を当てて、自分の教科にとって環境教育とは何か、どう実践すればよいかを考える努力が求められている。「学習指導要領に示された内容のなかには、一見、環境教育には関係がないように思えながら、扱う視点を変えてみると、環境教育に適切な教材になるものがある(文部省、1991、p.14)。」「教師全員が環境問題を強く意識し、教材化や指導法に関して論議を重ねて、共通理解に達する努力が必要である(文部省、1991、p.11)。」

 これはおもしろい。放送利用は自分の教科にとってどうか?視聴覚教育は?コンピュータ利用は?マルチメディアは?これまで教育メディア研究に求められてきた教科横断的な課題と同じ種類の問いに答えることが、環境教育にも求められている。同時に学校全体の協調・協力を必要としている。

(2)教えるべき中味の不確定さ

 環境教育は急務であるといわれている一方で、環境問題が今後どうなるのか誰も確信をもって答えることができない。それは、環境影響の予測と評価に関する我々の知識がまだまだ不十分だからである。「環境にかかわる事象の観察、調査に当たっては、事前に結論めいた内容を指導しないように配慮することが大切(文部省、1991、p.14-15)」となる。教えるべき内容が不確定な場合、教師からの情報提供という一方的な授業の流れや、教師は信頼できる情報源といった在り方を維持することは難しい。

 「知識の習得だけにとどまらず、技能の習得や態度の育成をも目指すものであり、科学に根ざした総合的、相互関連的なアプローチが必要(文部省、1992、p.8)」とされるが、これは、我々が何も確定的な知識をもっていないことからくる必然的な帰結である。今後解明されるであろう新しいデータをもとに自分で考え、行動していける素地をつくらなくてはならないことを意味している。

 これもおもしろい。コンピュータリテラシーが叫ばれたときに、フロッピーの扱い方を教えて10年後にフロッピーディスクが存在するのかと言われたり、あるいは情報活用能力が重視され変化の時代に主体的に対応する力を育てる新学力観の求めることである。環境教育の実践には、直接体験や観察・調査活動など、子ども主体の授業運営が求められている。このことは、成田実践に見られるように、子どもの学年で扱う内容としてはふさわしくない内容に踏み込んでしまう発展性も覚悟しなければならないことを意味している。それを仕切る教師には相当の力量が求められると思うが、子どもたちが待ち望むような授業が展開できることが期待される。

(3)「環境」という視点からの再点検の契機

 授業の方法論が見直しを迫られているということは、各教科の目的や映像の使用目的の再点検にも及ぶ。環境教育は不確定なことを教えるというが、従来の教科は「確定した知識」を自信をもって教えることだったのか。もともと、子どもにとっては確定した知識ではなく、新しいデータをもとに自分で考えるということではなかったのか。環境教育という切り口で各教科を見つめ直したとき、暗記科目としての社会科、実験結果を覚える理科、解法パターンを覚える数学などとして形骸化している基礎基本を問い直す契機になる。授業時間の大半が従来からの教科を教えることに割かれている現実を考えると、この基礎基本の見直しのもつ意義は少なくない。

 映像の効果についても見直す契機となる。生活科の実践と同様に、環境教育でも映像等による間接体験よりも、自然とのふれあいや観察・調査活動が重視される。青木・成田実践においても、マルチメディア体験と現実の川での実体験を織り混ぜて単元を構成した。小学校の低中学年など、年齢が下がるに連れて、直接体験の重要性は高い。何もかも手間をかけずに、危険も避けるために、間接体験ですませてしまおうとする傾向を見直すいい機会である。

 一方で、環境教育の指導にも、次に挙げる映像の効用が指摘されている(文部省、1991、p.16)。

 これらの効用は、視聴覚教育の分野では繰り返し言われてきたことである。しかし、直接体験を重視する環境教育であるからこそ、なおさら、意味のある部分に限定して映像を用いようとする態度の中から、映像の効用が浮き彫りにされてくる。

5.マルチメディア環境教育は学校を変えるか?

 
 本稿では、「みちくさ」の実践を紹介し、環境教育がマルチメディア研究に示唆するもの、あるいはその逆にマルチメディアが環境教育に問いかけていることを考えてみた。

 環境教育の観点からは、様々な「再点検」が示唆されている。教師の専門性、教科の内容と授業の方法、映像の使用目的などの他にも、学校教育と家庭教育、社会教育との連携が求められていることや、地域の実態に対応した題材からの取り組みと同時に国際的な協調が求められること(Thnk globaly, act localy:地球規模で考え、足元から行動する)が学校を再点検する契機となろう。

 マルチメディア教材の作成と利用という観点からも、「みちくさ」の経験は様々なものを示唆している。制作者と利用者の関係や現実の利用環境整備の問題と教師に柔軟性。多教科にまたがる単元構成力や教師の情報活用能力とこれまでの各教科内容の再点検などである。

 環境教育の領域で、子どもの発想で使えるマルチメディア教材を用意し、その特徴を生かすための授業を計画し、実現を計っていく。その努力の中で、一歩ずつ学校が変わっていくことを期待したい。(すずき かつあき)

謝辞

本稿は、仙台マルチメディア環境教育研究会の実践報告に基づいている。また、本研究の一部は、松下視聴覚教育財団(マルチメディアによるAV教育実践ビデオ実例集の作成)の助成を受けている。

参考文献

青木茂・成田忠雄・鈴木克明(1995)「探索型環境教育ソフト<みちくさ>についての実践研究〜マルチメディア教材をどこでどのように学習に生かせばよいのか〜」『第21回全日本教育工学研究協議会全国大会発表論文集』
菊地義広他(1995)「迷路インターフェイス・環境教育ソフト<みちくさ>の制作〜子どもの身近な地域素材を活かしたソフトづくり〜」『第21回全日本教育工学研究協議会全国大会発表論文集』
鈴木克明(1995a)「マルチメディア時代に教育はどう対応していくか(連続特集学校はどう変わるのか2)」『教職研修』1995年9月号、80-83頁
鈴木克明(1995b)『放送利用からの授業デザイナー入門』日本放送教育協会
文部省(1991)『環境教育指導資料(中学校・高等学校編)』
文部省(1992)『環境教育指導資料(小学校編)』

写真解説

写真1 <みちくさ>の画面例1(迷路インターフェイス)
写真2 <みちくさ>の画面例2(ゲーム的導入)
写真3 <みちくさ>の画面例3(マルチメディア素材の提示)
写真4 <みちくさ>利用の授業場面(仙台市立東六番丁小学校青木学級)
写真5 <みちくさ>からの発展活動(仙台市立東六番丁小学校青木学級)
写真6 <みちくさ>利用の授業場面(仙台市立片平丁小学校成田学級)
写真7 <みちくさ>からの発展活動(仙台市立片平丁小学校成田学級)