『教職研修』1996年9月号 60 - 63
連続特集 中教審『審議のまとめ』の徹底分析と具体化へのポイント

(問13)情報通信ネットワーク活用と情報教育


                       

東北学院大学助教授 鈴木克明



インターネットの爆発的普及と対応の緊急性


 インターネットへの情報提供に用いられるWWWホームページの数は、平成7年の1年間で、約20倍の成長を遂げたと通産省の『マルチメディア白書1996』は報告している。少し前まではインターネットも、アメリカでの出来事、あるいは研究者の世界だけのことと思われていた。しかし、急速な民間企業や家庭への普及によって、通信ネットワークによってもたらされる社会的変化が、まさに現実のものとして実感されるようになった。平成7年の後半には、日本の小中高校から発信されるホームページは1日に1件の割合で増えていた(市川・鈴木、1996)が、この増加も社会全体におけるインターネットの急速な普及に比べると見劣りすら感じる。平成7年は、パソコンの売り上げがテレビ受像機の売り上げを上回った年でもあった。

 企業は新卒者向けの就職情報をインターネット経由で流すことで、駆使できる人材を確保しようと懸命である。就職に関係するとなると、コンピュータは苦手の「文化系」を自認している学生も、躍起になって使おうとする。テレビ局や新聞社などのマスメディアもインターネット上に相次いでホームページを開設し、伝達方法の複合化(産業界ではこれをメディアミックスと呼ぶ)を試みている。政党や省庁、地方自治体から、映画会社、ファッション業界、旅行業者、音楽家や写真家、タレントに至るまで、ホームページを持たない業種を探す方が難しい。そんな時代にいきなりなってしまったのである。

 「高度情報通信社会は、コンピュータを単体で活用するのではなく、それらが情報通信ネットワークによって一体となって機能するところに、その本質がある。」とする中教審の指摘を待つまでもなく、この急激な社会変化に対して学校が無関心でいられる訳はない。高度情報通信社会を生きる子どもたちを、無防備のまま社会に送り出すことはできない。遠い将来の話としてではなく、今学校にいる子どもたちに何ができるのか、現在の学校で何ができるのかを真剣に考える必要があることをこの急速な動きが示唆している。次の学習指導要領の改訂がすんでから考えればいい問題ではなく、少しでも先取りして何ができるかを考える気持ちで接する必要がある。

情報活用能力の育成と「つまらない授業」の見直し


 中教審が情報化の進展と教育について考えた第一のポイントは、情報化が進展するこれからの社会に生きていく子供たちに、どのような教育が必要かということである。

 審議のまとめでは、「溢れる情報の中で、子供たちが誤った情報や不要な情報に惑わされることなく、真に必要な情報を取捨選択し、自らの情報を発信し得る能力を身に付けることは、子供たちにとってこれからますます重要」と指摘し、高度情報通信社会における情報リテラシー(情報活用能力)を「情報に埋没することなく、情報や情報機器を主体的に選択し、活用するとともに、情報を積極的に発信することができるようになるための基礎的な資質や能力」と定義している。

 情報活用能力は、「生きる力」という新しい用語の柱になっている力量であり、その中味自体は先の『情報教育の手引き』(文部省)を踏襲しているようである。一方で、その情報活用能力の必要性を論じる部分に興味深い指摘がある。すなわち、子供たちが様々な情報手段から入手する情報量の膨大さと内容の多様さが、量的には学校教育を通して提供される情報を凌駕し、またその内容は学校の授業で学ぶものよりも子供たちの興味や関心を大いに引きつける、という指摘である。

 学校の授業で習うことよりも、社会から直接学ぶことがらの方が子どもたちにとって面白い。これは単に、「授業でやる勉強は将来に備えて役に立つものだから今は面白くなくて当り前であって、社会から直接学ぶことは将来の役にも立たないどうでもいいことだから面白いのだ」、といって片付けられる問題ではない。学校で取り上げる価値がある教育内容であるならば、本来的に子供たちの興味や関心を大いに引きつけるはずである。

 巷に溢れるクダラナイ情報よりも、学校で取り組む課題の方がこんなに面白いんだ、ということを示すことを真剣に考えなければならない。娯楽は息抜きにはいいけれど、そればかりだと何も進歩がない。世の中にはこんなに人間の知的好奇心を刺激する材料があるんだよ。そんなメッセージを込めた授業を展開できなくては、学校の授業から子供たちの興味関心が遠ざかることを避けることはできない。「受験に出るから覚えておけ」「教科書に載っているからやる」では、学校での学びが陳腐なものとの印象を与えるだけである。

 情報化の進展は、つまらない授業の在り方を考え直す契機を与えてくれる。子供たちが様々な情報手段から入手する情報を、いかに授業に組み入れていくか。教科書の内容と、子供が自分から入手する情報とをいかにリンクさせるか。子供に情報発信させる活動を学校で学ぶべきことにいかに関連づけるか。これが情報リテラシーを育てるための鍵になると思う。このことは、「情報教育の時間」だけの問題ではなく、全ての教科の全ての学習活動に当てはめて考えるべきことである。

教育の改善・充実のための情報通信ネットワーク


 中教審が情報化の進展と教育について考えた第二のポイントは、子供たちの教育の改善・充実のために、コンピュータや情報通信ネットワーク等の力をどのようにしたら生かしていくことができるか、どのように生かしていくべきかということである。これに対しては、情報機器やネットワーク環境を整備し、積極的に活用することに加えて、学校の施設・設備全体の高機能化・高度化を図り、学校自体を高度情報通信社会に対応する「新しい学校」にしていく必要があると提言している。

 情報通信ネットワークの整備については、その時期を明記してはいないものの、全学校が対象となるべきであるとした。「情報通信ネットワーク環境の整備の在り方としては、近い将来、すべての学校がインターネットに接続することを目指しつつ、当面は、全国の幾つかの地域の学校にネットワーク環境を整備し、インターネット利用の実践研究を積極的に実施し、その成果等を踏まえながら全国に広げていく方法が適切」と記している。

 米国の情報スーパーハイウェイ構想では、西暦2000年1月11日までには「全ての教室、図書館、病院・診療所を結ぶ」という具体的な目標を掲げている(全ての教室であり、学校に1教室ではないことに注目しなければならない。この点が誤訳されている場合が多い)。これが約束の期日までに実現するかどうかは定かではないが、平成7年末で公立学校の50%(約4万2千校)がインターネット接続を実現したという調査結果が報告されている(詳細は、山内、1996)。

 日本においては、先駆的な試みとしてApple社のメディアキッズ、平成7・8年度に実施されたネットワーク利用環境提供事業(通称100校プロジェクト)や、さらに平成8・9年度実施に向けて準備が進んでいるNTT社の「こねっとプラン(通称1000校プロジェクト)」や地方自治体レベルの教育センターを中心にした取り組みなど、各種のプロジェクトが成果を上げている。これを、いわゆる「普通の学校」において実現するためにどのような方策が求められるか、緊急に対応策を検討する必要がある。家庭における持てる者と持たざる者の情報格差が広がる今、学校における情報格差の問題は小さくない。

情報教育カリキュラムをどう実現するか


 「審議のまとめ」にも紹介されているように、先進的な学校の取り組みでは、様々な「新しい学校」への方向性が示されている。一つの学校の枠を越えて、様々な学校や地域との情報の共有・交流を可能にし、子供たちに豊富な教材を提供する。他の学校とネットワークを結ぶことによって、様々な情報交換を行うことなどは、日常のありふれた活動となるであろうと予想している。問題は、これをどう実現していくかにある。ネットワークが整備されてから実現に移すのではなく、ネットワーク整備以前からできることは何かないのかを視野に入れて、考えていく必要がある。

 審議のまとめでは、博物館、美術館、図書館、大学等は子供たちにとって魅力のある教育用素材の宝庫であり、これらを情報通信ネットワークを通して授業に活用し、子供たちの学習に対する興味を高めると指摘している。国際理解教育や環境教育も情報通信ネットワークの対象を世界に広げることによってはるかに豊かな充実したものになり、こうした学習を通して、子供たちは、自らの情報発信能力を高めることの必要性を実感するし、教室の授業だけでは得られない感動を覚えるとしている。また、学校の施設の中では、特に学校図書館について、図書資料の充実のほか、様々なソフトウェアや情報機器の整備を進め、高度情報通信社会における学習情報センターとしての機能の充実を図っていく必要があると指摘している。

 これらは全て、情報通信ネットワークによって初めて実現できるものではない。ただ今よりも簡便に実施できるようになるだけである。現存の例えば郵便によって、あるいは実地見学によって、情報教育の何が実現可能かを検討してもよいのではないだろうか。

 コンピュータの授業への導入を契機に情報教育が叫ばれ、コンピュータによる従来の教科の教育方法の改善も期待された。しかし、コンピュータを導入した学校においては、コンピュータの授業はコンピュータを教えるために「別枠」で存在し、それ以外の従来の授業はあまり変化なく以前のままの形が温存されてきているのが実情ではないだろうか。

 コンピュータや情報通信ネットワークを使う場合も使わない場合も含めて、この時代にどのような授業が求められているのかを改めて考え直し、情報教育が「別枠」ではなく、全ての授業に浸透することを目指す必要があると思われる。機械を使っても使わなくても、情報教育は実現できる。機械の未整備を情報教育の未整備の言い訳にしてはならない。


参考文献
市川尚・鈴木克明(1996)「WWWホームページはどのように設計したらよいか?〜小中高ホームページの調査・分析からの提案〜」『IMETS』120号、 24 - 32
山内祐平(1996)「合衆国初等中等教育におけるインターネット導入の現状とその問題点」『IMETS』121号、 40 - 43