『算数教育』原稿1996.7.13
巻頭論壇>高度情報化時代の算数教育はどうあるべきか

黒板のない教室?


鈴木克明



 先日、10月24・25日の教育工学協会全国大会(宮城大会)に向けての授業研究のため、仙台市内のある学校を訪ねた。その学校で進行中の校舎建て直し工事についての副校長の言葉が強く印象に残った。「新校舎の教室には黒板を設置しないことを提案したが、残念ながら先生方の同意が得られず実現できなかった。新しい授業を創造するためには黒板を使うことをやめなければならない。これがぼくの持論だ。今日の授業では黒板は使ってなかっただろう?」

 子どもの活動を中心に授業を組み立てること。様々なメディアを積極的に活用すること。それを念頭に授業を計画してきたが、言われてみると確かに黒板は使っていなかった。黒板は必要なかったからである。「こんな授業が当り前になるには、あと20年は必要かな。」副校長は、そうつぶやいた。

 情報化社会は、さまざまな科学技術の進歩によってもたらされた。それを授業に導入しようと、さまざまなメディアの活用法が研究されてきた。しかし、最も頻繁に用いられているのは、教師自身の声というメディアと教科書と黒板である。教えるべき内容を教師ができるだけわかりやすくかみ砕いて説明するというスタイルも不動の地位を占めている。研究授業ではその他の方法が模索されたとしても、普段着の授業はあまり変化していない。「OHPって、研究授業のときに使ったあれでしょ?」大学生がもらす印象は、こうである。

 メディアを教師から子どもへの情報伝達からの脱却の道具に使うこと。情報の提示はできるだけ教師がやらないで、直接子どもが情報源から探せるような環境整備と助言をすること。教師の役割を情報の門番から黒子へ変えること。教師の「シャベリ」を授業時間の3割以内に押さえること。コンピュータ導入を普段の授業の「当り前」を再点検する契機にすること。黒板は外さなくても、黒板の使い方から授業を見直すことは、今日からでもできることである。

(東北学院大学助教授 すずき・かつあき)