『キーワードで読む中教審読本』教職研修総合特集No.130 194 -197

(設問)情報機器等活用で学校教育をどう構築するか
   〜『生きる力』育成の視点で〜

大キーワード:情報機器等活用
小キーワード:学習形態の多様性、情報通信ネットワーク、教師が教えない授業、
       図書室の学習情報センター化、中古パソコン導入


東北学院大学助教授 鈴木克明



情報機器等の活用で「生きる力」が育てられるか

 「生きる力」を育てるのは、情報機器等よりもむしろ人間教師の役割ではないのか。この問いに対する筆者の答えは、「そのとおり」である。いくら情報機器等が学校に導入されても、使うかどうかを決めるのは人間教師の役割である。一方で、人間教師が情報機器等の助けなしに素手で(あるいは黒板とチョークと教科書だけで)立ち向かうよりは、様々な情報機器等を助っ人として活用しながら授業を組み立てた方が「生きる力」を育てられる可能性は高まる。また、子どもに様々な情報機器等を活用する経験を与えることも、「生きる力」につながる。さらに、「生きる力」を育てることを意識することで、どの方向で情報機器等を活用すべきかが見えてくる。情報機器等を活用しない普段の授業も変われる可能性がある。これが本論で主張したいことである(鈴木、1995)。

「生きる力」の柱は情報活用能力

 中教審が情報化の進展と教育について考えた第一のポイントは、情報化が進展するこれからの社会に生きていく子供たちに、どのような教育が必要かということである。「生きる力」という主張の柱になっている力量は情報活用能力であり、その中味は先の『情報教育の手引き』(文部省)で強調したことを踏襲している。

 第一次答申では、「溢れる情報の中で、子供たちが誤った情報や不要な情報に惑わされることなく、真に必要な情報を取捨選択し、自らの情報を発信し得る能力を身に付けることは、子供たちにとってこれからますます重要」と指摘し、高度情報通信社会における情報リテラシー(情報活用能力)を「情報に埋没することなく、情報や情報機器を主体的に選択し、活用するとともに、情報を積極的に発信することができるようになるための基礎的な資質や能力」と定義している。

 「新学力観」の主張にともなって、子どもの個性の尊重や「指導から支援」とに代表される間接的指導性の重視、あるいは子どもの自己選択・自己決定の機会保障などが叫ばれ、様々な形で授業に影響を与えている。今後も、この路線は強調され続けるだろう。これまでの学校教育があまりにも詰め込み暗記主義に偏重していたとすれば、それを是正する効果が期待される。同時に、これまでの学校教育があまりにもお膳立てが整いすぎて子どもに考える余裕を与えない「親切すぎる弊害」を持っていたとすれば、それも是正されていくだろう。教師が教えすぎない、教えてしまわない授業の在り方が今後も模索されていくことの意義は大きい。教師がお膳立てを整えて分かりやすく説明してしまう授業では、子どもに情報活用能力は育たないからである。

揃えることと違えることのバランス感覚

 一方で、基礎・基本となる学力をどう担保していくか、あるいは教師が直接的な指導力を行使すべき時と子どもの主体性に委ねるべき時をどう判断するのか、といった問題は、陰に隠れがちである。個性を尊重するといっても、子ども全員に身につけさせるべき基礎・基本がなくなったのではない。子どもの主体性に委ねるべきだといっても、(教師に)無理やりにやらされたという経験なしでは、何に対して主体性を主張したらいいのかが曖昧になる(何でも好きなことをやっていいのが主体性ではあるまい)。全てを子どもの試行錯誤に任せるのではなく、教師による見本の例示や直接的な指導は、授業に欠かせない要素である。

 第一次答申は次のように指摘する。「コンピュータの普及は、子供たちの個別的な学習をより可能にし、多彩な教材を提供することなどによって、子供たちの学習の在り方により多くの可能性を与える。コンピュータが、教員の役割を補完して、一人一人の子供の特性等に合わせた個別指導を徹底して行っていくといった学習の在り方が、学校教育の中でさらに充実していく。こうしたコンピュータの活用は子供たちの学習の改善・充実に大いに資するものと考えられる。」

 「この指摘は一昔前のCAI時代の主張で今となっては古い」、と時代の趨勢に敏感な先生方は思うだろう。個別学習で知識習得の効率を上げることよりも、今は子どもの個性を伸ばすことが課題だと主張されるかもしれない。しかし、新しいものばかりを求めていてはバランス感覚を失う。個性や主体性が叫ばれる時だからこそ、「詰め込むべき知識」の効率的な習得や教師の指導性の在り方が問われる。揃えるところと違えるところの見極め、あるいは教師による強権発動の数とタイミングを工夫し、全体としてバランスのよい授業を実現したい。

教育の改善・充実のための情報通信ネットワーク

 中教審が情報化の進展と教育について考えた第二のポイントは、子供たちの教育の改善・充実のために、コンピュータ等の力をどのようにしたら生かしていくことができるか、どのように生かしていくべきかということである。これに対しては、情報機器やネットワーク環境を整備し、積極的に活用することに加えて、学校の施設・設備全体の高機能化・高度化を図り、学校自体を高度情報通信社会に対応する「新しい学校」にしていく必要があると提言している。

 「高度情報通信社会は、コンピュータを単体で活用するのではなく、それらが情報通信ネットワークによって一体となって機能するところに、その本質がある」とする中教審の指摘は、近年の爆発的なインターネットの普及という社会的な動向を反映している。パソコン整備に加えて、パソコン同士をネットワークでつなぎあうことの重要性を述べたものとして注目したい。パソコン同士をつなぐといっても、教室内のパソコンをつないで教師の画面を一斉転送できるようにするといった目的でなく、学校組織を超えた結び付きを意図している点が重要である。

 学校外につながるネットワークで子どもと情報を、あるいは子ども同士をつなぎあうことによって、様々な新しい試みが容易に実現できるようになる。学校同士の交流、学校と地域社会との交流、さらには国際的な交流の糸口とし、「開かれた学校」へ脱皮して欲しいとの願いが込められている。ネットワークで結ぶことにより、いわゆる学級王国の壁をやぶり、閉鎖的な授業の在り方を見直す契機としてくれる先生が一人でも増えればなあと思う(鈴木、1995)。

 第一次答申に紹介されている先進的な学校の取り組みでは、開かれた学校への方向性が示されている。一つの学校の枠を越えて、様々な学校や地域との情報の共有・交流を可能にし、子供たちに豊富な教材を提供すること。あるいは、他の学校とネットワークを結ぶことによって、様々な情報交換を行うことなどは、日常のありふれた活動となるであろうと予想している。

 さらに、博物館、美術館、図書館、大学等は魅力のある教育用素材の宝庫であり、情報通信ネットワークを通して授業に活用することで、子供たちの学習に対する興味を大いに高める可能性があること。国際理解教育や環境教育も情報通信ネットワークの対象を世界に広げることによってはるかに豊かな充実したものになり、子供たちは自らの情報発信能力を高めることの必要性を実感するし、教室の授業だけでは得られない感動を覚え、視野が大きく広がっていくこと。ぜひこれらの夢の実現に向けて、できるところから着手したいものである。

情報通信ネットワークを生かすための道

 平成8年8月現在で、日本の小中高校がインターネット上にホームページで情報発信している数は、600校を越えた。平成7年8月の調査では98件であったから、1年間で約6倍に増加した計算になる(市川・鈴木、1996)。このペースを維持することができれば、あと2年少しで全国の4万を越える学校全てから世界に向けての情報発信が達成されることになる。この初期加速が維持できる見込みはまずないだろうが、学校間の情報環境格差を縮めるためにもあらゆる努力で全学校をインターネット接続することが望まれる。この際、技術的なサポートとシステム維持の簡便化が必要となることは言うまでもない。

 情報通信ネットワークは、学習情報センターに脱皮した図書室を拠点として整備されるのが自然である。通常の学級担任を兼務した司書教諭だけではなく、センター専属の技術スタッフや子どもへの相談員が必要となることも明らかである。地域からのボランティアを募れば、それも「開かれた学校」への一歩となろう。

 学校内には、いたる所にパソコンを設置し、子どもが日常的に接する機会を確保したい。これらのパソコンは当面はネットワークにつながっている必要はない。校内ネットワーク整備よりもまずは、パソコン台数の確保を優先させる。廊下やオープンスペースに設置し、必要があれば教室に移動できるようにしておく。土日には希望者に貸し出す。いつでも使えるように、また壊してもいいように、中古パソコンの導入も考えたい。卒業生の記念品として、あるいはPTAや地元企業からの贈り物として、学校と地域とをつなぐ役割も担わせることもできる。

<参考文献>
鈴木克明(1995)『放送利用からの授業デザイナー入門』日本放送教育協会
市川尚・鈴木克明(1996)「小中高ホームページの調査研究」『第12回日本教育工学会全国大会発表論文集』(掲載予定)