『LL通信』原稿(2000.3.2脱稿)40×23;『放送教育』1999.6月号を圧縮・一部改訂
巻頭言


滝沢村の我が家から情報化の流れを見ると


鈴 木 克 明


 筆者は、昨年4月から岩手県岩手郡滝沢村の住人になった。引越にあたりISDN回線に加入し、インターネット使用中でも電話が使えるようにした。普通紙ファックスで仕事の依頼を受信可能にし、家庭内LANを張り巡らせた。遠方にいる人と声を交わしあうメディアとして世の中を一変させた電話は、高度情報通信社会への入口になった。もはや、電話で交わされるのは声だけという時代ではない。

 新しく担当した講義の準備に最も活躍したのは、グーテンベルグ以来の印刷術が生み出した「本」であった。あちこち書店をまわって中身を見てから購入した本も多かったが、インターネット上の書店にも世話になっている。和書洋書を問わず、マウスで注文、クレジットカードで決済、そして宅配便で手元に届く。便利になったものだ。

 講義の準備には、放送大学も参考にしている。CS放送受信セットを購入し,録画視聴している。放送大学は契約せずに見られる無料放送なので,楽しそうな有料専門チャンネルがめじろ押しなのに,ただ乗り状態が続いている。CS局は一つに統合とか,BSもデジタル化されるとか,メディアの変化は留まるところを知らない。デジタル放送になったらせっかく購入したハイビジョンテレビにはコンバータを買い足さなければなるまい。

 ホームページも必需品になった。講義のネタを求めてキーワードを英語にして検索すると,これはただ事ではない。サイトの多さはもとより、公開されている情報の豊富さは日本語のそれを凌駕している。インターネットの世界では英語が公用語だ。翻訳ソフトを頼りにしながらでもいいから、英語の情報が収集できる学生を育てなければなるまい。

 こうして始まった滝沢村での新生活であるが、読者の身辺と比べて筆者の生活の情報化の進み具合は如何であろうか。高度情報通信社会では、このような状況が自明なものになるのだろうか。地方からの情報発信が気軽にできるのも、高度情報通信社会の恩恵の一つである。遠方に居ながらインターネット経由で,研究室(http://www.et.soft.iwate-pu.ac.jp/)にも是非ご訪問ください。

(岩手県立大学ソフトウェア情報学部教授)