子安増生・山田冨美雄編著(1994)『ニューメディア時代の子どもたち—テレビ・テレビゲーム・コンピュータとのつきあい方—』有斐閣教育選書、176-196


3、ニューメディアは学びへの意欲を高めるか?

ケラーが提唱しているARCSモデルにしたがって学習意欲を4つの側面から眺めてみました。「学びへの意欲を育てる」と一口に言っても、いろいろな観点、いろいろな方法があることがわかります。自分自身が学んだ経験に照らし合わせたり、とくに好きだった授業を思い浮かべたりすると、そういえばあんなことが原因で夢中になって勉強していたな、といった思い出がよみがえってきませんか。好きだった授業にはARCSモデルの4つの側面がとてもよく満たされていた、と感じられるかも知れません。それでは、これからのニューメディア時代において、学習環境の変化がどのように子どもたちの学びへの意欲に影響を及ぼしていくのでしょうか?

新しさの効用

これからのニューメディア時代は、変化が激しいのが特徴の一つです。目新しいものがどんどん出没しますから、興味を奪われるものに事欠くことはないでしょう。新しいものに囲まれていますので、最近使われなくなった古いものや流行遅れのものも、逆に新鮮なものとして若い世代を捉えることもあるようです。変化の時代は、目新しいことの連続、速い回転、豊富な選択肢で特徴づけられていきます。

新しいメディア、たとえばコンピュータを授業に使うことの持つ意味は、一つに<注意>の側面から学習意欲を高めることがあげられます。子どもたちは、もの珍しさにたいして、いやがおうでも興味を持つでしょう。ふだんテレビゲームに馴れ親しんでいる子どもたちでも、学校の授業でコンピュータを使うとなると、やはり新鮮さを感じるようです。現在のところ、コンピュータを使い始めて間もないですし、多彩な絵や音を駆使した教材を、ごく稀にコンピュータがずらりと並んだ特別教室に移動して使う状況ですから、<注意>の側面を様々な形で満たしていることがわかります(表8ー1参照)。

さらに、<関連性>の側面でも、やがて到来するコンピュータ必須時代に備えるという大義名分がコンピュータを使うことそのものにたいする「やりがい」を支えます。学習プロセスについても操作していること自体が楽しくて「コンピュータをつかって勉強するならやる」という気持ちを起こさせています。

ここしばらくは、この調子で「コンピュータ」というだけで人気がある状況が続くかも知れません。コンピュータの導入が進む中学校の場合でも、一つの教室だけに22台設置してそれを全校生徒で交替に利用するのが標準です。飽きるほどコンピュータにさわれるという事態とは程遠いのです。コンピュータを使うと子どもが喜ぶという報告をよく目にしますが、視聴覚教育の研究で繰り返し言われてきた「目新しさの効果」を差し引くとそこに何が残るのかは、現在のところまだ十分に明らかにされているとはいえません。しかし、「目新しさの効果」は、それはそれで歓迎すべきことです。今まで埋もれていた学習に対する意欲がコンピュータを使うことで<きっかけ>を与えられ、後に大きく花開く可能性もあるのではないかと思うからです。コンピュータを使うことで「食い付いてきた」「身を乗り出してきた」子どもたちの興味関心を、そこから大事に育てていく。コンピュータへの興味から学びへの興味へ発展させていく。そのための第一歩と考えたいものです。

自信から意欲を高める

ARCSモデルに照らしてみると、まだ2つの側面が残っているのがわかります。学習意欲を高めるもう2つの側面、<自信>と<満足感>についてはどうでしょうか。例えば表8ー1のヒントを眺めながら、コンピュータを使うことでこの2つの側面から学習意欲を高めようと考えると、そう簡単ではないことがわかります。それはおそらく、コンピュータを使わせるということだけでは<自信>も<満足感>も高まるという保証はなく、そこから何を得るのかという問題が常につきまとうからでしょう。

コンピュータを初めて使うときには、「自分はコンピュータが操作できるだろうか」という不安をもつ子どもが少なくないそうです。コンピュータにたいする複雑怪奇であるという印象、壊したら大変だという心配、あるいは冷たい感じをもつ機械への拒否反応など、様々な気持ちが錯綜します。そんな気持ちを乗り越えて「使えた」時は、<自信>や<満足感>が満たされるでしょう。少なくとも「コンピュータ嫌い」を量産してしまわないように、コンピュータを使えるようになったんだという成果が自覚できるような配慮が必要です。一方で、ファミコンなどで馴れっ子になっている場合には、コンピュータを使えること自体には何ら不思議もなく当たり前と思うかも知れません。そんな子の場合、コンピュータを使うことだけで<自信>がつくとか<満足感>を得るとかといった効果は期待できません。

コンピュータについての不安から解放される初期の段階を過ぎますと、今度はコンピュータを使うことで自分が知りたかったことがわかったのか、できなかったことができるようになったのかという、学習内容などにかかわる学びの成果が問われることになります。「楽しかったけど特に何も進歩がなかった」「やたらと時間ばかりかかっていらいらするだけだった」ということですと、せっかく向けられた興味関心も、長続きしません。「おもしろそうだったけど、やってみたらファミコンより画面はチャチだし、やっぱりこれ勉強じゃないですか」といったことになりかねません。「おもしろそう」「コンピュータだから」という<注意>や<関連性>の側面で高まった意欲を、「この調子でやれば苦手を克服できそうだ」「努力した甲斐があった」といった気持ちに発展させるような手立てを用意しないと、<自信>や<満足感>にはつながっていかないでしょう。

自信につながる使い方は?

コンピュータは機械だから冷たくて非人間的だという批判がありますが、子どもが誰にも見られないで失敗しながら学んでいくためにコンピュータを使うということが考えられます。それとは逆に、一人ひとりの学習履歴データをコンピュータ学習中に記録しているので、テストと同じで間違ったら点数がひかれると思わせることも可能です。子どもたち個々の興味と関心に応じて、広くデータベースを検索して情報を集めてまとめる課題を出し、「自分なりの作品が創れた」という自信と満足感を与えることもできますし、反面「自由にやりなさい」という言葉の裏腹に先生の考える「正しい答え」「正しいまとめ方」で点数化することも可能です。あるいは、これまでの努力に対するごほうびとして、学びの成果を活用して敵をやっつけるゲームで満足感を得る機会とすることもできますし、他方で一つでも細かい操作を間違えると結果がでないコンピュータの特性を利用して、新たな「落ちこぼし」を生むことも可能でしょう。

<注意>や<関連性>に重点をおいて、新しいものを駆使していく方法は様々に考えられます。また、<自信>や<満足感>につながるような教材やその使わせ方も、いろいろと工夫できると思います。逆に、<自信>や<満足感>を失わせるようなニューメディアの使い方すらもありえます。どのような側面から学びへの意欲を高めるために活用するのかを確かめながら、メディアを使いこなしていく。そんな力量が、使い手の側に求められているのです。