鈴木克明(1995a)「第6章第2節 中学校における教育研究の事例」
水越敏行・永岡順編学校の教育研究(新学校教育全集第28巻)ぎょうせい182-213



[事例1]
コンピュータを活用した理科実験教材の開発と共有

(中学1年「身の回りの物理現象(音)」において)
           

研究者:仙台市立鶴が丘中学校 川越清志教諭


 この事例は、仙台市立鶴が丘中学校の川越清志教諭による、生徒の探求活動を支援するコンピュータ教材の開発研究である(図1)。長期研修員として一年間、仙台市教育センターで研修の機会を得た川越教諭は、新しい指導要領で重視されている実験計測機器として生徒の探求活動を支援するコンピュータの活用に焦点をあてて、実験教材を自作した。自作教材を自分の授業で使うだけでなく、地域の先生方と共有することを念頭において研究が計画された点に注目したい。この研究の成果として開発された実験教材は、学習指導案と授業の評価に用いたテスト類とともに、市内の中学校に配付される予定になっている。

実態及び意識調査 コンピュータ利用の実態、学習指導要領の改訂
         地域の理科担当教員のアンケート調査
   ↓
研究目標の設定  実験教材の自作と実践授業
   ↓
実験教材の開発  波形表示ソフトと音速測定ソフトの自作
   ↓
教材の形成的評価 専門家からの意見聴取、中学生による試用
   ↓
 実践授業    授業者の依頼と学習指導案の作成、授業実施
   ↓
研究のまとめ   実践授業の分析と報告書作成、配付版教材の準備


図1.川越研究の概要

1.実態と意識調査に基づいた研究課題の設定


 作成した教材が普及し手軽に活用されるためには、実態をふまえ、潜在的利用者のニーズにあったソフト開発が必要であると考え、自作教材の構想の資料とするために実態と意識を調査した。コンピュータ活用状況は、市教育委員会の調べにより、学習指導用のコンピュータ設置率が54%(研究終了時点では全校に設置予定)、理科学習指導における活用率は8%と緒についたばかりであった。また、市内の中学校理科担当教諭を対象にアンケート調査(137名回答)を実施したところ、コンピュータのシミュレーション機能、実験計測機能を活用した教材を望む声が高く、具体的な題材としては、運動、電流、光、音を扱う教材に関心が高いことがわかった。
 学習指導要領の改訂により、観察や実験が一層重視されるようになった。また、日常生活との関わりが重視され、第一分野では、「身の回りの物理現象(音)」の充実が図られた。しかし、音叉やオシロスコープでは音の波形を記録に留めるのが困難であり、号砲や雷を音速の測定に利用するのでは室内での簡便な実験ができない。一方、コンピュータについては、観察実験の代替としてではなく、自然を調べる活動を支援し、強化することを助ける知的で創造的な道具として位置づけて活用するように注意が促されている。
 以上のような実態をふまえて、研究の目標を下記のように設定した。

ー研究の目標ー


生徒自らの探求活動を支援するコンピュータ活用という視点で、「身の回りの物理現象(音)」において、音を波形表示させ音の大きさや高さと発音体の振動の仕方との関係を調べる探求活動及び音速測定の探求活動のための実験教材を作成する。さらに、作成した教材を用いて実践授業を行ない教材の有効性を確かめる。



2.実験教材の開発と形成的評価


 この研究で自作したコンピュータ利用の実験教材は、マイクで拾った音の波形をコンピュータ画面に表示する「波形表示ソフト」と、離れた位置にある2つのスピーカーからコンピュータに届く音の時間差を利用して音速を測定する「音速測定システム」である。実験教材の開発にあたっては、次のことを留意した。
(1)地域の中学校に導入済みの機種のコンピュータで使えること。
(2)高価な機材を付加する必要がなく、経済的であること。
(3)生徒の操作方法が容易であること。(マウスを使用)
(4)他の機種への移植がしやすいこと。(BASIC言語を使用)
 「波形表示ソフト」には、シミュレーションとサンプリングの機能を持たせた。シミュレーション部分では、2つまでの周波数を数字で入力して波形を画面に表示させ、その波形の音(周波数が2つの場合は合成音)を聞かせることができる。サンプリング部分(図2)では、内蔵のADコンバータを利用してマイクから拾った音について、波形の全体または選択部分の表示と印刷、音の再生、振動数の計算などの機能を用意した。

   図2.「波形表示ソフト」の画面例       
 「音速測定システム」は、上記の「波形表示ソフト」と安価で容易に自作可能な簡易発振器(音を出す器具)とを組み合わせたものである(図3)。距離差(1〜2メートル)ある2つのスピーカーから同時に大小の音を発生させる。振幅の異なる2つの音がコンピュータに接続されたマイクに届く時間差を波形表示から読み取り,大きい方の音がその距離の差を伝わるのに要した時間を計算することで音速を求める(図4)。距離差を変えながら繰り返した実験から得られた音速の一覧や平均音速を表示・印刷したり、生徒に音速の計算をさせて答えを確認する機能も付加した。

図3.音速測定システムの構成図    

 自作した教材を実践授業に用いる前に、専門家と中学生に教材を見せて、教材の形成的評価と改善を行なった。専門家として意見を聴取したのは、教材の構想や簡易発振器の製作でも助言を得ていた大学の研究者(応用物理学)と、地域の理科教師であった。情報処理教育担当教員の研修講座でも披露し、他県から参加中の理科教師の反応も得た。さらに、実践授業対象外の理科クラブの上級生数人に教材を試用してもらい、使いやすさ、あるいは指示や説明のわかりやすさなどの点でインタビューし、教材の改善に役立てた。

図4.「音速測定システム」の画面例

3.実践授業の計画と実施


 実践授業者に依頼した仙台市立根白石中学校の佐藤正道教諭と単元「音はどんな性質をもっているか」の指導計画と開発した教材の位置づけを話し合い、学習指導案を作成した。「実験を通して音の大きさや高さが発音体の振動の仕方に関係することに気づかせ、身の回りの現象に対する興味・関心を高め、科学的なものの見方や考え方を養う。」という単元目標のもと、学習目標の分析と学習過程の立案を行ない、4時間の授業を計画した。音叉や大太鼓と新聞紙、テープレコーダーなどを用いた身近な実験で音の正体や伝わり方について学び、関心を高めたところで、3時間目に波形表示ソフト、4時間目に音速測定システムを使用することにした。3、4時間目の目標分析表と学習過程案を表1および表2に示す。

表1.「音」の目標分析表(3、4時間目のみ抜粋)

(13行=半頁分)

表2.「音」の学習過程案

(26行=1頁分)

 実践授業では、開発した教材が現実の授業で使えるかどうかの「実用性」を試すと同時に、教材を授業に用いることでどのような学習効果があるのかを確かめる必要がある。そこで、教材開発の意図である「生徒自らの探求活動を通して音に対する興味・関心を高め、理解を深めること」が実現できたかどうかを確かめる手だてについても協議し、授業評価の手段を準備した。授業の仮説と評価の方法の対応を表3に示す。

            \    評価方法

               \

       具体的仮説      \

行動
観察
意識
調査

ワ
|
ク
シ
|
ト

VTR

逐語
記録
SD法
評
定
尺
度
法
情意 (ア)新しい現象に興味を示し、驚きや感動の表現が見られる授業が展開されるようになる。
(イ)楽しい気持ちや雰囲気で授業に取り組む生徒が多くなる。
(ウ)実験に対して、考えながら、積極的に取り組む生徒が多くなる。
認知 (エ)自分で学習内容がよくわかったと自己評価する生徒が多くなる。
(オ)「音」に関する学習到達度が高くなる。
表3.仮説と評価方法のマトリックス

4.研究結果と考察


 実践授業を行なった結果、この研究で開発した実験教材は授業で効果的に使えることがわかった。実践授業で用いた評価方法ごとに効果を分析し、研究の結果および考察を次のようにまとめた。

 (1)実験可能性

 「音速測定システム」を用いた実験では、12の実験班のうち11班で音速が測定でき、班ごとの平均音速は319[m/秒]から369[m/秒]であっ た。操作性には重大な問題はなく、おおよその音速は測定可能であることがわかったが、音量調整の不十分さにより一つの班が測定できなかった。観察記録により、測定値のばらつきの原因はスピーカーを手で持って実験したことによる距離の誤差である可能性が高いことがわかり、今後の指導上の留意点として確認した。

 (2)認知領域の成果

 ワークシートの点検結果では、学習課題に的確に答えられていることがわかった。音に関する認知面の学習到達度を調べた事前事後テストでは、授業の有効度指数(事前テストで正解した生徒を除いた事後テストの正解者率)を調べた。実践授業2クラスの平均有効度指数は、音の大小と高低の区別に関して68%、音の大小についての理解に関して66%、音速についての理解に関しては62%であったのに対して、音の高低についての理解に関しては37%と低率であった。音の高低の理解が深まらなかった原因としては、波の概念の理解の不十分さ、実験における時間的制約、音源に用いたリコーダーの音質等が考えられ、ソフトの補足説明追加や指導過程の見直しが求められる。

 (3)情意領域の成果

 2台のビデオカメラによる授業の記録からは、生徒の積極的な探求活動がコンピュータ利用教材を媒介にして促されている様子が読み取れた。感想文にも多くの生徒に情意的な成果があらわれていた(例(女子):覚えれば、意外と簡単に扱えるコンピュータが好きになりました。コンピュータを使えば音の探求が詳しく速くできるので、面白かったです。もっとやりたいと思いました。)。
 毎時間の終了時点で4回実施した20項目のSD法と5項目の評定尺度法を用いた意識調査アンケートでは、認知面の意識と共に情意面の仮説(イ)と(ウ)については肯定的な回答を得た。とりわけ実験教材を用いた3、4時間目の評価が、「楽しい、明るい」などの感覚面や「積極的、協力的、熱中した」などの活動面で実績のある実験教材を用いた1、2時間目
と同等か、より高かった(図5参照)。

図5.SD法による各時間の評定平均値
    
 一方で、新しい現象への興味や驚きや感動の表現(仮説ア)という点では、肯定的な結果がアンケートからは読み取れなかった。探求活動についての指導方法や発音体の工夫を更に検討する必要があると考えられる。また、行動観察や感想文では肯定的な結果が得られているので、アンケートの調査項目についても改良の余地が残されていると考えられる。

 (4)まとめと今後の課題

 生徒自らの探求活動を支援するコンピュータの活用という視点で教材を作成し、実践授業によりその成果を確かめた。ソフトウエア自体の操作性の向上、授業での指導方法の改善、実験環境の整備など今後の課題を具体的に捉えることができた。この研究の成果物として手軽で経済的な実験教材が開発できたので、改良後に、多くの先生方に使ってもらえることを期待したい。今後もコンピュータと各種のセンサーとの組み合わせで様々な実験教材を開発する可能性を探っていきたい。

5.解説


 コンピュータ教材に限らず、自作教材の開発研究では、「作って使いました」というだけの実践報告が少なくない。「子どもたちは喜びました」という報告が授業の成果として述べられることもある。喜んでもらえたという事実は、歓迎すべきことである。しかしながら、子どもたちが喜んだのは、新しいもの、珍しいものに注意をひかれたための効果(新奇性効果)によるところが大きいと考えられ、それで教材の効果が実証されたと判断するのは性急すぎる。モノをつくることに熱心なあまり、何のためにつくるのかを忘れ、つくりっぱなしになってしまう。開発研究の落とし穴の一つである。
 もう一つの落とし穴は、開発された教材の実用性の問題にある。教材の開発は大変手間暇のかかるものである。開発に費やす時間やエネルギーが浪費されないように、コスト効果の視点で自らの計画を点検するべきであろう。コスト効果とは、開発に要する時間、お金、人材などのコストに見合うだけの効果が得られるかどうかを表す指標で、同じ効果ならばコストの安いものを選択するという視点である。自作教材の共有こそが、自分の貴重な時間とエネルギーを最も有効に生かす道である。自分だけが一回使ったきりで棚にしまうような教材の開発に多くの時間を使うのは賢明ではない。
 これらの落とし穴に陥らないために、開発研究では、研究の初期段階で、次の2つの問いをたてておくことが肝要である。
(1)これから開発する教材は、何を教えるための教材か。教材の効果は実践授業においてどのような手段で確かめることができるのか。教材の評価手段は用意したか。
(2)これから開発する教材は、自分だけでなく他の教師にも使ってもらえるものか。教材開発に要する自分の時間は、教材の繰り返し使用や共有によって採算がとれるか。共有するためにどんな方策をとったか。