鈴木克明(1995a)「第6章第2節 中学校における教育研究の事例」
水越敏行・永岡順編学校の教育研究(新学校教育全集第28巻)ぎょうせい182-213



[事例2]
学習意欲を高める学習指導の工夫

(どのような方術に対して「魅力」や「やる気」を感じるか?
 〜ARCSモデルをもとに考察する〜)

研究者:石川県津幡町立津幡中学校 酒井紀幸教諭


 この事例は、石川県津幡町立津幡中学校の酒井紀幸教諭による、学習意欲を高める学習指導の工夫についての授業研究である(図1)。石川県教育センター指導者養成研修講座の研修員として一年間の内地留学の機会を得た酒井教諭は、新学力観で重視されている「関心・意欲・態度」に焦点をあてて授業を設計することに取り組んだ。実践者として授業の実態の問題点から出発しながら、学習意欲の理論的研究として注目されてきているケラーのARCSモデルの枠組みをもとにして、中学生の学習意欲を捉え、それを授業設計に生かすための独自の評価手法を開発し、授業を分析した。特定教科の特定単元のみに限らず、今後の実践研究に広く利用できる成果が得られた。


研究課題の設定  文献研究と課題の明確化
   ↓
実態調査法の開発 中学生の意欲の実態を捉えるアンケートの開発
   ↓
 授業の設計   情意面に焦点化した学習指導案の策定
   ↓
分析視点の検討  学習意欲の評価方法
   ↓
 実践授業    授業実施と教授・学習行動の分析
   ↓
研究のまとめ   実践授業の成果の分析と報告書作成


図1.酒井研究の概要


1.文献研究と研究課題の設定


 情意面を中心に見据えた授業を考える必要がある、というのが本研究に取り組んだきっかけであった。学習指導要領の改訂で、「自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力の育成」が叫ばれている。指導要録の評価の観点にも「関心・意欲・態度」が筆頭に位置づけられ、生涯学習社会への基礎づくりという観点からも、新学力観の中心的要素として重視されている。一方で、授業の内容を素早くわからせ、問題を解くことができるようにするという面に心を奪われ、知識偏重の授業になってしまう現実がある。やる気を出させて少しでも多くのことを速く学ばせる、という認知的側面を達成するための補助的な役割として学習意欲を捉えるだけでなく、学習意欲を育てることを中心課題とした研究が求められている。
 学習意欲を喚起させ、さらに持続させるための手だてを注意(A)、関連性(R)、自信(C)、満足感(S)の4側面に分けて考えることが重要であるとする理論的研究(ARCSモデル)が、アメリカの教育工学者ケラー(J .M. Keller)によって提唱され、注目を集めている。学習意欲の育成、とりわけ何事にも積極的に取り組む姿勢や疑問が生じたときにその疑問を解決していく力をつけさせたいと願っている実践者の立場からは、学習意欲の問題点を4側面に分類し、「必要な手だてを必要なときのみに選んで使う」というケラーの視点は、有効であると思われた。
 以上のことから、研究課題を下記のように設定した。

ー研究課題ー
「どのような生徒が、どんな方術に『魅力』や『やる気』を感じるか」ということを、ケラー教授が提唱しているARCS動機づけモデルを利用しながら探求する。



2.実態調査法(アンケート)の開発


 情意面を中心に据えて授業設計を行ない、「必要な手だてを必要なときのみに選んで使う」ことを実現するためには、まず生徒の学習意欲に関しての実態を把握する必要がある。ARCSモデルの研究が中学校での授業設計に応用された先例がないため、中学生の意欲の実態を捉えるアンケートの開発を行なった。アンケートの開発にあたっては、次の点に留意した。
(1)理科教師としての経験から、動機づけを促すと考えた教授行動や学習場面を洗いだすこと。
(2)ARCSモデルの文献を読み、ヒントを拾いだすこと。
(3)内発的な動機づけの要素を中心にすること。
(4)KJ法的な手法でカード化した要素をグループにまとめ、ボトムアップ式にアンケート項目を作成すること。
(5)アンケート項目をそれぞれARCSの4側面に分類し、意欲の実態を側面ごとに得点化できるようにすること。
 カード化した約150の要素を、21のカテゴリーに分類した。このうち、直接体験によって注意が引きつけられる側面、不思議だ、驚いたという感情、知りたい、やってみたいという気持ちなどの4グループがARCSモデルの「注意」の側面に相当し、自分のためになる、やったことがあるなどの4つが「関連性」の側面に、成功への手だてとしてのヒントや成長感などの3つが「自信」の側面に、また教師からの励まし、自分自身で感じる充実感、公平感などの4グループが「満足感」の側面に相当すると考えた。さらに、変化に富む授業、学習内容がわかったとき、共同作業などの6グループはARCSモデルの複数の側面にまたがっているとみなし、一つの側面のみに無理に分類することを避けた。上記の21グループを反映した形で項目をつくり、実態調査用にまとめたものが、図2に掲げるアンケートである。

図2.開発した実態調査用アンケート(中学校理科用)


3.授業の設計と分析視点の検討


 情意面に焦点化した授業設計の試みとして、小単元「血液の成分とはたらき」(2時間配当)を取り上げた。学習指導要領の改訂で重視されている観察活動と討論活動を授業場面に設定した。この題材は、様々な側面から生徒の情意に訴える特性を持っている。とくに、次の観点から興味・関心を高めることができると考えた。
(1)「血液」という題材が、親近感のあるものであること。
(2)血液に酸素や二酸化炭素を吹き込むと色が変わる演示実験で、不思議さ、驚き、挑戦の気持ちが喚起できること。
(3)血液を顕微鏡で実際に観察できること。
(4)班での共同観察と討論活動ができること。
(5)観察に対して、教師が助言や成果の確認を与えられること。
(6)まとめの場面で、意見発表ができること。
 情意面に焦点化して設計した授業の影響を調べるためには、アンケートで調査した理科一般についての生徒の受けとめ方が、「血液」の授業前後でどのように変化するのかを確かめる必要がある。そこで、前節で開発した実態調査と同じ内容の項目を「血液」の授業について準備し、授業への期待感と授業後の情意面の変化を量的に捉えようとした。また、授業前後での情意面の変化を生徒の特徴との関係で吟味することで、どのような生徒がどんな方策に影響を受け、どのような変化をとげたのかを明らかにしたいと考えた。
 理科一般についての実態調査と、「血液」の授業についての期待感をたずねたアンケートの結果をもとに、表1に示す様な形式で学習指導案を準備した。アンケート内容(ARCSの側面)との関わりや個々の生徒に対する支援の可能性を示唆するデータを含めることで、授業のどの場面で個々の生徒のどの側面を意識すべきかを表示するように工夫した。


(表1.情意に焦点化して設計した学習指導案「血液」の一部を挿入;報告書15頁)
表1.情意に焦点化して設計した学習指導案「血液」の一部


4.実践授業の実施結果と考察


 情意面に焦点化して設計した学習指導案をもとに、勤務校の津幡中学校の同僚の協力を得て、実践授業を行なった。授業前後での情意面の変化の要因を授業の流れと個々の生徒についての記録を用いて推察するために、2台のビデオカメラと1台のテープレコーダーで授業を記録した。記録をもとに発言や観察の様子を分類する教授・学習過程分析を行ない、授業前後のアンケート調査の結果との関連を分析した結果を、次のようにまとめた。

 (1)教授・学習過程分析にあらわれた授業の特徴

 2時間で実施された「血液の成分とはたらき」の授業では、授業全体をみると、教師の指導に2/3、生徒の活動に1/3の割合で時間が使われていた。教師の指導時間の6割は指名・指示、課題説明や情報提示、まとめなどの「全員に伝える行動」であった一方で、指導時間の3割は生徒に思考を要求する発問、活動を支援するためのKRや助言などの「側面から支援する行動」に分類された。また、生徒の活動時間のほとんどは、作業と討論活動に分類されるものであった。
 授業の各場面ごとの記録からは、第1時導入の血液の色が変化する生徒による演示実験では学級全体の「注意」が喚起され、その後の観察では自分もやってみたいという意欲で積極的に取り組んでいる様子が読み取れた。観察結果の発表場面では、学習内容の理解を前提にした発表とそれに対する教師からの成果の確認がなされ、「自信」や「満足感」の側面が満たされたことが推察された。第2時では、班の討論とその発表が行なわれたが、発表に漏れたユニークな生徒の意見を教師が披露する場面もあり、それによって矛盾した見解を巡っての議論が展開していた。討論後に求めた「血液に関する疑問点」には学級全員が自分の疑問点を書いて提出したことからも、「関連性」の側面から意欲を喚起していた可能性がうかがえた。

 (2)授業前後での情意面の変化

  理科一般についての実態調査(Ⅰ:1ヵ月前に実施)、事前調査(Ⅱ:1週間前)、事後調査(Ⅲ:授業直後)、持続度調査(Ⅳ:2週間後)の4回のアンケート調査の結果、ARCSのカテゴリー別の得点の変化は図3に示すとおりになった。情意面を中心に据えて設計した授業を受けた後の評価は事前調査よりやや高まり、とくに「注意」の側面では事前調査での予想より実際の授業を高めに評価した生徒が57%を数えた。しかし、理科一般についての実態調査の
価と比べると、低い得点に留まっていた。

図3.ARCSの平均得点の変化(学級全体)
  
 (3)情意面の変化と学習者の特徴

 ARCS得点の変化を個々の生徒の特徴と照らしあわせた結果、次のような傾向が見られた。しかし、現時点ではそれぞれに十分な理由付けがあるわけでなく、今後の分析が必要であることを確認した。

 (4)まとめと今後の課題

 この研究では、情意面を中心に据えた授業設計の方法を模索した。ARCSモデルをもとにアンケートを開発することによって、学習意欲の変化を捉える方法を提案した。また、授業分析記録との照合によって、変化の原因を捉える可能性を模索した。先例が少ない領域だけに、数々の課題を残したままになったが、改善の視点を挙げて、今後の研究継続に期待したい。

5.解説


 「関心・意欲・態度」の情意面を重視した研究が叫ばれているが、情意面を捉えること自体がとても難しい。アンケート調査では、「成績に関係ない」と明記しても、生徒が教師の期待を裏切らないような回答をしてしまう傾向を避けるのは困難である。しかし、この研究のように「変化」を捉えるという視点は、同じバイアスが両方にかかっていても有効な手段となりうる。授業の観察記録との照合により、変化の理由を探っていく方法も、今後の研究に参考になる点である。
 この研究では、学習意欲を高めるための理論的研究成果を応用している。学校における教育研究は、ややもすると個別的なその場限りの実践報告に終始してしまう。同じ単元を教える教師にとってのみ参考になる研究では、あるやり方がうまく行ったという事実は報告できても、どうしてその方法が効果的であったかの理由を解明するまでに至らない。その限界を乗り越える手段の一つとして、理論的な枠組みを参照することは有効である。例えばARCSの4側面に分類して学習意欲を捉えることが有効かどうかを、様々な教科の複数の単元で実践的に研究することによって、教科や授業内容の枠を越えて応用できる研究成果が得られ、教科間の研究交流が期待できる。