日本教育方法学会(編)(1995)『教育方法研究24 戦後教育方法研究を問い直す—日本教育方法学会30年の成果と課題—』明治図書、201-209


学校教育改革運動としてのメディア教育
 —放送教育とコンピュータ教育を例に—

         

東北学院大学 鈴木克明



1、仙台市立松陵小学校の授業実践


 第44回放送教育研究会全国大会が1993年10月仙台市で開催され、筆者はその指導にあたった。会場校の一つ仙台市立松陵小学校(堀江正道校長)では各学年から一つずつ、合計六つの公開授業を提供したが、その内容から放送教育研究の現状を読み取ることができる。
 低学年では国語の番組を継続的に視聴させ、言語活動への意欲づけと課題把握をねらった。「ふりかえりカード」を使った自己評価と学習活動の方向づけを研究課題として取り上げ、放送番組を素材の一つとして実践を試みた。
 中学年では平成五年度の新番組「はりきって体育」を三年生は三つのマット技、四年生は三つの鉄棒技を扱う単元で用いた。導入部において全員一斉にそれぞれの技のコツや注意点を把握させイメージをつかませることを目的に番組を視聴し、そのあとの展開部ではチームティーチング方式で三クラス合同の実技練習を行い、個々のめあてに応じて難易度の異なる技を選択練習させた。あらかじめ録画しておいた三番組を各一台のビデオ装置で体育館のコーナーに設置し、必要に応じてビデオを操作して自分たちの見たい場面を繰り返し参照できる環境を整備した。
 高学年の社会科では、工場PRパンフレットづくりや江戸時代の調べ学習に一つの番組を繰り返し活用した。導入時の興味喚起として用いた番組を、他の資料と共に調べ学習のテーマに応じて部分的に再視聴させるコーナーを設け、必要に応じて使わせた。同じ番組を導入時と展開時に役立てる研究であった。
 放送教育といえば、「生、まるごと、継続」や「0分スタート」などのスローガンに代表されるように、ある特定の教育方法の普及啓蒙運動としての印象が強い。しかし、松陵小学校での実践をみると、ある時期広く受け入れられた運動論的色彩の強い実践研究に比べると、放送教育も時代とともにその方法論が見直され、先駆的な試みが実践されつつあることがわかる。「わが国の放送教育は、放送による教育の普及という量的な側面よりも、それぞれの時代に要求される教育理論や実践と結びつき、放送教育論が展開され、実践が行われるという特異な分野として発展してきました。」(大内・中野、1990、1頁)という経緯の実例を提供している。


2、学校教育改革運動としての放送教育


 「放送番組の正しい使い方」を普及させる運動、あるいは放送番組の利用を促進するための運動として形骸化している今日の普及啓蒙運動論的色彩も、かつては、学校教育改革の運動であったことが注目に価する。
 かつて放送教育がその黎明期において伝統的な学校教育にカウンターパンチを与えようとした教育改革運動であったと指摘する関係者は少なくない。放送番組の制作にたずさわった浦(1990)は、番組制作にあたって一番大きな示唆を得た大村はまの実践を日本の伝統に照らせば「例外的存在」であるとしながら、日本の伝統的な教育観に基づく教師像を次のように説明している。
 明治以降の伝統的な日本の近代教育では、教師は教室で「送り手(教え手)↓受け手(学び手)」になっていなければならないとされた。教室という密室(聖域)の中で、教師はすでに過去形になっている知識内容を完璧に把握していなければならず、一段高い教壇から「送り手」として「受け手」に垂直に下ろすベクトル(↓)はゆるぎない予定調和であることを理想としたのである。(浦、1990、54頁より引用)
 この伝統的な学校教育にカウンターパンチを与える教育改革運動としての問い掛けを込めながら、放送番組は送り出されていた。すなわち、過去形の知識を完璧に把握した教師によって予定調和的に伝達が行われている教育の「聖域」を社会に開き、現在進行形の情報を教室に直接送り込むことで教師を子どもと同じ受け手の位置に立たせ、知らないと赤裸々に言える教師像、知識量の優位性ではなく問題解決能力で子供をリードする教師像を追い求めていた。
 当時(今から30年前)の学校放送番組の利用についての指針を提供した文部省の手引き書『学校放送の利用』にも、この改革運動としての放送教育の性格が読み取れる。とりわけ、「学校放送の利用において、教師にどのような役割や心構えが望まれるか」という質問について、次の趣旨の回答が載せられているのが興味深い。当時の学校放送の導入が意味した事態が今日のコンピュータ導入に通じる部分が多くあることが、この回答の「放送」という文字を「コンピュータ」や「マルチメディア」、あるいは「インターネット」に置き換えて読むとよくわかる。

  1. 学校放送は、これまでの教材に比べて異なった特質をもち、従来の考え方のままでは気安く利用できない。これは、単なる技術的な問題でなくて、指導や教材に対する教師の基本的な考え方に連なる問題である。

  2. 放送は(地図や模型などの教材と違って)作用的機能をもち、教室の中にもうひとりの教師が現われたかのような観を呈する。この機能を過信すると、放送によって学習している間は教室の教師の役割がなくなるのではないかと考えられないこともないが、教師の存在は依然としてきわめて重要である。教師が学校放送の価値と効果に自信をもって児童生徒と一緒に視聴する場合には、放送が教師の指導の一部ないしは延長として受け取られるようになる。学校放送の利用には、こうした新しい教師の役割が求められる。

  3. 放送には、教科や主題によっては教師も放送によって初めて知るようなものが出たり、出演する教師や専門家の指導も優れているのが普通である。一方で、内容を前もって十分研究することが難しいという制約がある。

  4. 教師は教える事がらはじゅうぶんに究明しているべきで、かりそめにもわからないことやあいまいなことが残されていてはならないというのが一般の通念である。また、その指導も児童生徒の模範としての権威を備えなければならないと考えられている。(中略)この点については、教師のあり方や指導についてのこれまでの通念を再検討することが必要ではないだろうか。教師ができるだけ多くの事がらをより深く体得していることはもちろん大事であるが、現代のように著しい速度で進展していく時代にあっては、教師は何でも知っているものとしてふるまうことはほとんど不可能である教師にとって大事なことは、知らないことを恐れることではなくて、より多く知ろうと努力することである。(文部省、1968、87頁より引用)


3、放送教育の普及と改革運動の衰退


 しかし、放送教育が時代の花形になり、他に類を見ない高利用率を達成するに至り、改革運動としての勢いは失速する。放送番組の利用者の多くは、変革を望んではいなかったからである。児玉(1990)は、昭和三十年代の「学年別編成」を放送教育の大転換と位置づけ、法的拘束性が打ち出された学習指導要領の公布との関係を認めつつも、学校現場への適合がその背景にあると指摘する。『放送教育五十年』によれば、科学番組も「豊かな科学的教養を高校生に」という理想が、高校受験体制、学力向上というスローガンのもとに消えていくことになり、『科学の目』という番組がより教室カリキュラムの濃くなった理科教室の拡充時間帯に吸収されていったことが報告されている。当時ディレクターであった児玉(1989)は、次のように述懐する。「社会科番組でもやはりある情報、認知の領域的なものを半分ぐらいは伝えるという要素をどうしてもいれなければならない。で、残り十分で問題点を提起するという、二元論でやってきました。だから番組としては盛り上がりがないんですが、現場の要求に従うためには、そうせざるを得ませんでした。(17頁)」
 放送される番組自体が学校教育に変革を迫るメッセージを秘めることをやめてしまえば、教育改革運動としての役割を果たすことはできない。一方で、メッセージが込められたものは現場から「使いづらい番組」と評されて利用してもらえない。あまりに多くの利用者を得たがために、変革を望まない多数派の要望に従った番組を流すことになっていったのである。
 水越(1990)は、放送利用は従来の教師—教科書中心の一斉授業に横穴を開け、その根底をゆるがすような一大変化を迫ったが、その結果として「教室の文化変容」は起きなかったと断定する。教師中心の従来の教育方法が温存された理由について、次の点を指摘している。
  1. 設計段階で放送番組数本を教科書中心の単元の中に位置付けることで、テレビの内容と教科書の内容をこれまでの視聴覚教材と同じ方法で融合したこと。
  2. 実施段階で視聴後の発展学習に重点を置くことで、授業展開における教師の主導権を温存し、これまでの指導方略を使い続けたこと。
  3. VTRの普及で番組の取捨選択や分断利用・部分利用が可能になり、番組の殺生権を完全に握ったこと。一般番組の利用や、古い学校放送番組の再利用までも可能にしたこと。
 マルチメディア時代が到来し、コンピュータ技術と映像との融合が進むにつれて、映像による教育のノウハウや、映像素材の制作に関するノウハウが改めてその重要性を増している。しかし、放送はもはや「ニューメディア」として認知されることはなく、放送教育への関心が薄れ、研究の対象としての魅力も相対的に低下している。学校放送は日常的なメディアとして実践に浸透したことは確かではあるが、学校教育の在り方に変革を迫るべくスタートした改革運動としての使命を十分に果たすことはなかった。
 低利用率やメディアとしての相対的重要性の低下を受け、放送教育研究者の間では、今こそ放送教育を見直し、低迷を改革運動再開への契機とするべきであるとの論が提起されている。児玉(1990)は、「視聴覚教材として圧倒的なシェアーをもっていた状況の中では、『最大多数の最大幸福』を考えざるをえなかった。しかし、現在は幸か不幸か『ワンノブゼム』になってしまった。もう現場適合の論理から訣別してもよいではないか(35頁)」と主張する。当時NHK学校教育部長であった八重樫(1989)は教師にとっても新鮮である情報を伝えていきたいという気持ちがある一方で、それはある意味で怖い、しかしいつか踏み切りたいとのジレンマがあることを告白している。八重樫は生涯学習時代の到来を歓迎し、次のように発言している。「こんな情報氾濫の時代ですから、むしろわからないということを赤裸々に言える教師こそ、すばらしいと思うんですね。ただし子どもと次元が違うのは、先生はそれをどうすれば究明できるかという、学習の手段を知っているということです。そういったところで新鮮な情報を受け入れるような教育の土壌がなんとかできないものだろうかと、最近しきりに思っているんです。(八重樫、1989、19頁)」
 学校放送番組に独自性が存在するとすれば、それは放送という搬送経路でもなく、映像というメディア属性でもなく、学習指導要領準拠という規範性でもない。学校教育の現状を批判的に捉え、伝統に盲目的に従おうとする風潮に対峙し、自らの授業を一歩離れて吟味しようとする実践者に刺激となる素材の提供を真剣に考えてきた制作者集団の存在こそが、他に類を見ない独自性と言えよう。放送教育の盛衰を学校改革運動という視点から眺めるとき、制作者集団と利用者集団との関係の歴史から学ぶものは少なくない。放送教育がたどってきた道は、コンピュータ教育の今後を占う意味からも興味深い。


4、コンピュータ教育と学校改革


 現在全国の中学校に導入が完了しようとしているコンピュータは、学校改革への道を開くのであろうか。コンピュータ導入には放送にない抵抗感が存在すると言われているが、このことは、改革運動としての可能性を示唆している。
 水越(1990)の比喩によれば、放送はすき焼き、コンピュータは牛乳となる。すき焼きは肉食をそれまでの魚の代わりに鍋に入れることで、伝統的な食生活の延長線上に融合させた。一方の牛乳には、伝統的な食生活を根本から覆す、融合できない性格があるとする。放送番組は、教師の主導権を温存させた形で、これまでの授業方法の中に溶け込む形で普及した(すき焼き型)。一方のコンピュータの導入にはこれまでの授業の常識を覆す側面、すなわち教師の彼教育体験の欠如、制御困難性、個別学習、機械化、教師より優れた子供の適応性などがあり、現在の教育システムを改善すること抜きにコンピュータ教育の発展はありえないとする(牛乳型)。
 近年米国を中心に、学校改革の動きが盛んであり、コンピュータがそれを可能にしているとの指摘も興味深い。フロリダ州の学校改革プロジェクトを指揮するブランソンは、情報機器を授業における情報源の中核に据えることで、情報のゲートキーパー兼伝達者としての教師の役割を見直し、教師による伝達モデルに立脚する現在の学校のシステムそのものを改変する試みを提案している(鈴木、1992)。ここにも、コンピュータによる学校改革の可能性に対する期待感が伺われる。
 しかし、コンピュータ教育にも、かつての放送教育のような現場への適合論理が働く可能性を否定することは困難である。教師の指示に従って、全員が同じ操作をし、あらかじめ決められた作業をこなしていくプログラミング演習。一斉授業をそのままコンピュータ化したようなCAI教材で、各自のペースで、しかし全員が同じ教材に取り組む授業。専任の担当者不在で、教科担当の教員がその都度鍵を開け閉めするコンピュータ特別教室。一方で、これまでとなんら変わりなく行われるそれ以外の「普通の」授業。コンピュータこそこれまでの学校を変える起爆剤になる、と期待できる状況にあるとは思えない。


5、メディア教育の目的は何か


 放送やコンピュータなどの「異物」を学校教育に持ち込むことの意味の一つは、現在の学校教育を意識化し、再点検するための契機とすることにある。伝統的な学校の姿や授業の方法論に固執するあまりに方向性を見失っているのが学校教育の現状であるとするならば、メディア教育の学校改革運動としての側面を改めて問い直すことは少なからぬ意味を持つのではないだろうか。

参考文献

浦達也(1990)「放送教育を再活性化するコミュニケーションの場(浦達也の新放送教育講座4)」『放送教育』1990年9月号 52—55
大内茂男・中野照海(1990)「特集『これからの放送教育』について」『放送教育研究』 第18号 1—2
児玉邦二(1990)「放送教育は“運動”か“研究”か—放送教育の温故知新—」 『放送教育研究』 第18号 34—37
児玉邦二・八重樫克羅・浦達也(1989)「学校放送の未来像をさぐる」『放送教育』1989年3月号 14—29
鈴木克明(1992)「情報社会型の放送教育I(シリーズこれからの放送教育を考える19)」『放送教育』1992年12月号 26—29
水越敏行(1990)『メディアを活かす先生』 図書文化
文部省(1968)『学校放送の利用(第9版)』 日本放送教育協会