子安増生・山田冨美雄編著(1994)『ニューメディア時代の子どもたち—テレビ・テレビゲーム・コンピュータとのつきあい方—』有斐閣教育選書、176-196


4、情報活用能力の育成につながる動機づけ

学びの成果としての「やる気」

学びを支援するために授業をどう組み立てたらよいか、あるいはどんな教材を用意したらよいかということを研究する分野を「教育工学」の中でも「授業設計(インストラクショナル・デザイン)の研究」と呼びます。授業を設計するためには、当然のことながら、人がいかに学ぶかを研究してきた心理学の研究成果を生かし、また現代的な要請に基づいて新しく提供される授業の手段(例えばコンピュータ)を活用する道を探ることになります。この「教育工学」の分野で、今、ケラーのARCSモデルが注目を集めています。その理由の一つは、この章の冒頭で述べた「できるようになるけれど好きにはならない」という現象です。

この問題が、授業設計の研究では、授業を計画していくときには従来からの<学習効果>と<学習効率>に加えて<魅力>を重視する必要がある、という問題意識につながっていきました。授業の<魅力>とは、ある授業が一通り終わったところで「またやりたい、もっと勉強したい」と思わせることだと考えられています。授業の組み立てを研究する上で、「これまで、ともすると授業の中身を的確に整理してそれを子ども達に伝えていくことに、授業の計画が片寄りがちであった」、「そこでは、情報の受け手として子どもたちを見ていた」、「とにかく授業内容を理解させること、多くを吸収してもらうことに終始していた」、といった反省がありました。そんな折に、授業の魅力を高めるという研究課題を直接扱っているケラーのARCSモデルが登場したわけです。

これまで動機づけといえば授業の内容把握への「手段」として扱われることが多かったようですが、次の学習への動機づけとして、学習意欲そのものを授業の成果として位置づけることが重要視されるようになってきたわけです。このことは、「情報を自ら主体的に探し、加工し、創りだしていく力」としての「情報活用能力」を支えるような学習意欲を育てることにつながります。「情報活用能力」の育成とは、授業の内容をすばやく理解する「情報処理の力」をつけることと同じではありません。とにかくやる気にさせて多くの情報を吸収してもらうということよりも、自分で考え、自分のやり方で情報と立ち向かえるようになってもらう。将来的には、学校を卒業した後でも先生がいなくても自分の力で学びを続けることができる素地を培っていく。そのためには、「多く吸収して嫌いになる」のではなく「最終的に学ぶことが好きになる」ことを目指して授業を組み立てることが大切であるという考えに変わっていったのです。

学びの成果にうらづけられた「やる気」

そうなりますと、これからのニューメディア時代に向けては、「身を乗り出させる」「興味関心をひく」ことにとどまらずに、「実力がついたことで魅力を感じるようになる」、あるいは「いろいろと知識が増えただけでなく、その知識の使い道や勉強の仕方もわかるようになった」というような、いわば<内実のある授業の魅力>が求められることになります。内実を求めるためには、少し回り道のようですが、授業をよりわかりやすいものにして深く学んでもらい、自信をつけ、満足感を味わってもらうという手続きがやはり不可欠になります。同じ学びへの意欲を高める工夫と言っても、手を変え品を変え、子どもたちを飽きさせずに授業を「受けてもらう」ためにはどうしたらよいかという問題意識とは、かなり違うものになるはずです。

授業の魅力を高めることや学びへの意欲を育てることを中心に考えても、それがすぐに授業の学習効果はどうでもよいということを意味しているわけではありません。むしろ、ARCSモデルが示すように、学習内容を把握することと、その実感(すなわち主観的な学習達成度)に支えられた「自分一人でもやっていけそうだ」という<自信>の側面は、学習意欲を育てるための重要な鍵として忘れてはならないのです。スタート時点においては、「おもしろそうだ」「ちょっとやってみようかな」という好奇心に支えられて意欲がわくかも知れません。あるいは反対に、「宿題だから」「テストにでるから」といった学ぶ喜びとは別のところからの動機づけが発端となるかも知れません(ARCSモデルでは<関連性>の側面の一種に分類される外発的動機づけ)。しかし、理由は何であれ、努力が実ってそれが<自信>へと発展するとき、実力に裏づけられた「やる気」が育つのです。

独り立ちに向けて「学び方」を学ぶ

<自信>の側面から学習意欲を高める作戦として、ケラーは三つの点を強調しています。第一は、目標を明確に示すことです。学びのゴールがあいまいだったり、遠すぎたりすると、「やればできる」という感覚はもてないからです。第二は、成功の体験を積ませることです。学びは未知への挑戦ですから、やった経験のないことに自信がもてるはずはありません。小さな一歩でも確かめながら、実際にできたという成功体験を積み重ねることが必要だと指摘しています。

作戦の第三は、子どもにコントロールを握らせることです。いつまでも子ども扱いは禁物で、「自分が工夫して努力したから、その結果として成功した」と思えるような状況をつくることが重要な意味をもつとしています(これを効力感といいます)。子どもが徐々に学習者として自立できるように、援助の手を段階的に少なくしていく工夫が求められています。「先生のおかげで楽しく授業を受けているうちに知らず知らずに実力がついていた」ということよりもむしろ、「自分で考え、自分で工夫して勉強したらわかるようになった(もちろんそのためのヒントを先生はいろいろと教えてくれた)」といった方向を示唆しているのではないでしょうか。

子どもの学びを支える大人の役割

ケラーは、ARCSモデルの使い方に関して、「必要な作戦を必要なときにのみ選んで使う」ことを強調しています。すでに「やる気」になっている子どもに対しては、「やる気」を起こさせるための工夫がかえってわずらわしいものになる危険性があるからです。そのためには、子どもたち一人ひとりが何が原因で学びへの意欲をもつことができないでいるのかを見極め、その子に最低限必要な作戦のみを授業の中に組み入れていく手続き(学習者分析といいます)が大切であるとしています。最終的には子ども自身が自分の学びへの気持ちを高める作戦を駆使できるように手助けするのが大人の役割だとすれば、「学びへの意欲をどう高めたらよいのか」もあわせて教えていくことも考えてよいでしょう。そのためには、ARCSモデルそのものの種あかしをしてしまうというのも一つの手段になると思います。

大人として、我々はいったいどんな意味で学習意欲を育てたいのか(即ちゴールとするところ)についても、ARCSモデルの4つの側面に照らして検討し続けることが重要です。ニューメディア時代を生きる資質として不可欠な情報活用能力を育てていくためには、学習意欲を高めるための即効性の高い作戦を使わずに、遠回りを覚悟で、いわば「外堀を埋めるようにアプローチする」ことになりそうです。時には、親心や「親切の押し売り」や効率の追及を犠牲にしてでも、子どもを一人前に扱って「自分で歩かせる」ことが求められるでしょう。 メディア教育への動機づけの難しさは、こんなところにあると言えそうです。

参考文献

鈴木克明(1992)「情報化社会に向けて子どもの学習意欲を育てる:ARCS動機づけモデルからのヒント」『教育工学実践研究(特集:情報教育これからの課題)』第107号、16-21(財)才能開発教育研究財団

鈴木克明(1993)「<授業の魅力>を高める作戦(連載教育に放送をどう生かすか〜若い先生へのメッセージ〜6)」『放送教育』1993年9月号( 第48巻6号) 、日本放送教育協会

波多野誼余夫・稲垣佳世子(1973)『知的好奇心』中公新書318

波多野誼余夫・稲垣佳世子(1981)『無気力の心理学〜やりがいの条件〜』中公新書599