鈴木克明(1995)『放送利用からの授業デザイナー入門〜若い先生へのメッセージ〜』財団法人 日本放送教育協会



第3章 授業のねらいを分類する枠組み


■メッセージ■
放送教育研究は、放送という共通の切り口で校種や学年や教科を越えて応用可能な研究成果を目指すべきだ。


はじめに
1 ガニェの学習成果の五分類〜学習成立条件の差による分類法〜
2 知的技能の学習条件
3 言語情報の学習条件
4 認知的方略(学習技能)の学習条件
5 態度の学習条件
6 運動技能の学習条件
7 この枠組みをどう生かすか〜教育研究の成果を共有するために〜


■チェックポイント■
1 学年や教科が異なる授業実践から自分の授業を組み立てる参考になることを発見できたことがありますか?あるいは、参考にしようとしたことがありますか? ある・ない

  どんな?




2 校種や学年や教科を越えた「放送教育」の研究はありうると思いますか?それとも、同じ番組や同じ教科、学年の研究しか参考にならないのでしょうか?  ありうる・ありえない

  どうして?

■メモ■
(本文を読む前に、チェックをしてみての感想などを書き残しておいてください)


はじめに 授業設計の整合性への枠組み

本章では、前章に引き続き、ガニェの授業設計理論の二つ目の屋台骨である学習成果の五分類を紹介する。その意図は、前章で紹介した九つの教授事象を授業のねらいに応じてどうやって実現するかについて考える材料を提供することにある。さらに、「放送番組はいつでもこのように使えば効果的である」という画一的利用方法と「放送番組の使い方は、校種、教科、学習課題ごとに、また子どもたちの実態に応じて毎回異なる」という利用方法の個別性・一回性の主張との間のどこに研究の枠組みを求めるかを提案する意味を込めたい。ここでいう研究の枠組みとは、授業のねらいとその評価方法、そしてねらいを達成する手段としての授業の展開方法の三者の間に整合性を保つための研究の整理方法である。

先般の指導要録改訂において「関心・意欲・態度」を重視する方針が打ち出されたことで、その評価方法などが話題を呼んでいる " 。「関心・意欲・態度」や「知識・理解」「思考・判断」といった評価観点上の分類も、授業のねらいの分類を受けてのものである。ガニェの分類枠を例に、目標を分類することがもつ意味を再確認したい。

1 ガニェの学習成果の五分類〜学習成立条件の差による分類法〜

ガニェの学習成果の分類法は表III-1に示す通りである。認知領域の学習成果は、三種類に大別されている。知的技能は、分類方法や計算方法などの約束事を学び、それを未知の例に適用する力(手続き的知識)の習得を指す。言語情報は、名前や年号などの与えられた情報を再び記述する力(宣言的知識)の習得を指す。認知的方略は、自分の学習過程をより効果的にするための力(学習技能)の習得を指す。このうちの知的技能には、ガニェの長年の研究成果から下位分類が設けられている # 。

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表III-1.ガニェの学習成果の5分類
1、知的技能(手続き的知識)
 (弁別、概念分類、法則適用、問題解決)
2、言語情報(宣言的知識)
3、認知的方略(学習技能)
4、態度
5、運動技能
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情意領域には、態度の習得がある。態度とは、例えば「人種差別」や「数学を学ぶこと」などあらゆるものごとや状況等に対する肯定的あるいは否定的な感情であり、学習成果の一つとみなしている。また、運動領域では体(からだ全体、あるいは一部)を動かして一定の課題を成し遂げられるようになることが運動技能として取り上げられている。体育実技で取り上げられる学習課題の他にも、キーボードのブラインドタッチや外国語学習での発音方法なども、運動技能に含まれる。

ガニェの提案する教育目標の分類法は、学習課題の難易度に基づく分類ではなく、学習成果の質的な差に基づいたものである $ 。学習を成立させるために必要な条件の差に注目して、子どもの側に必要とされる準備状況の差や学びを支援する外的条件としての効果的な授業の方法の差異に基づいて分類枠を提案している。したがって、ガニェの分類法で授業のねらいを分類すると、そのねらいの性質にあわせた効果的な指導方略(九事象の実現方法)のヒントが得られる(表III-2参照)。


表III-2.ガニェの5つの学習成果と授業設計の原則

学習成果 言語情報 知的技能 認知的方略 運動技能 態度
成果の性質 指定されたものを覚える
宣言的知識
再生的学習
規則を未知の事例に適用する力
手続き的知識
自分の学習過程を効果的にする力
学習技能
筋肉を使って体を動かす/コントロールする力
ある物事や状況を選ぼう/避けようとする気持ち
学習成果の
分類を示す
行為動詞
(事象2)
記述する 区別する
確認する
分類する
例証する
生成する
採用する 実行する 選択する
成果の評価
(事象8)
あらかじめ提示された情報の再認または再生
全項目を対象とするか項目の無作為抽出を行う
未知の例に適用させる:規則自体の再生ではない
課題の全タイプから出題し適用できる範囲を確認する
学習の結果より過程に適用される
学習過程の観察や自己描写レポートなどを用いる
実演させる:やり方の知識と実現する力は違う
リストを活用し正確さ、速さ、スムーズさをチェック
行動の観察または行動意図の表明
場を設定する。一般論でなく個人的な選択行動を扱う
指導方略
ヒント
前提条件
(事象3)
関連する既習の熟知情報とその枠組みを思い出させる 新出技能の前提となる下位の基礎技能を思い出させる 習得済の類似の方略と関連知的技能を思い出させる 習得済の部分技能やより基礎的な技能を思い出させる 選択行動の内容とその場面の情報を思い出させる
情報提示
(事象4)
全ての新出情報を類似性や特徴で整理して提示する 新出規則とその適用例を難易度別に段階的に提示する 新出方略の用い方を例示してその効果を説明する 新出技能を実行する状況を説明したのち手本を見せる 人間モデルが選択行動について実演/説明する
学習の指針
(事象5)
語呂合わせ、比喩、イメージ、枠組みへの位置づけ 多種多様な適応例、規則を思い出す鍵、誤りやすい箇所の指摘 他の場面での適用例、方略使用場面の見分け方 注意点の指摘、成功例と失敗例の差の説明。イメージ訓練 選択行動の重要性についての解説、他者や世論の動向の紹介
練習とフィードバック
(事象6、7)
ヒント付きの再認、のちに再生の練習。自分独自の枠組みへの整理。習得項目の除去と未習事項への練習集中 単純で基本的な事例からより複雑で例外的な事例へ。常に新しい事例を用いる。誤答の原因に応じた下位技能の復習 類似の適用例での強制的採用から自発的採用、無意識的採用への長期的な練習。他の学習課題に取り組む中での確認 手順を意識した補助付き実演から、自立した実行へ。全手順ができたらスピードやタイミングを磨く練習を重ねる 疑似的な選択行動場面(あなたならどうする)と選択肢別の結末の情報による疑似体験。意見交換によるゆさぶりと深化


2 知的技能の学習条件

知的技能は、学んだルールなどを未知の例に適用する学習課題である。公式や定義を暗記して、それを思い出す学習(これは言語情報に分類される)とは異なり、常に新しい例に応用することを通して身につくものである。説明に使った例は練習には使わず、また練習に使った例はテストには含まないようにして、例を覚えた結果できてしまうことを避ける。前に出会っていない例に適用できて、初めて知的技能を習得したものとみなす。

数学では、公式を覚えるだけではなく身に付けた公式を必要な問題場面で、的確に使う技能(つまり知的技能)が求められていると考えられる。しかし、いわゆる受験数学の中では「数学は覚えるもの(つまり言語情報)」と称して、限られた時間で回答するために問題のパターンを暗記することが強いられているという。時間内で確実に処理するために、問題を見てから考えていては遅すぎる、という訳である。その場合、暗記した問題のパターンを思い出せるようになることは言語情報に分類され、思い出したパターンの中で展開される計算処理のみが知的技能の要素を残すことになる。本来の学習課題の性質が、試験条件によって歪められた例である。

さて、知的技能の学習の前提条件となるのは、より基礎的な複数の知的技能である。そこで、知的技能の学習は、知的技能のピラミッドを登っていくように組み立てることができる。これを、学習階層(ヒエラルキー)と呼ぶ % 。学習課題が積み上げ方式であるから、前提条件は一段下の課題ができることである。また、練習でつまずいたときには、誤りの種類に応じて一段下の課題に戻ってやり方を確認してから再度挑戦させる。算数/数学や理科の法則、あるいは英語の文法などにはこの種の学習成果が多い。

知的技能は、その構造が上下関係で明確なため、教える順序もそれに添って(下から上へと)簡単に決められる。それは同時に、より基礎的な技能が習得できていないと、その上の技能を習得する時に困難が伴うことを意味する。できるところまで階層を降りてそこから登り直せば習得できることは確かであるが、それには相当の手間がかかるのもまた、事実である。数学嫌いが嘆くように、「一度わからなくなると次もますますわからない」という累積作用が問題を深刻にする。

3 言語情報の学習条件

一方の言語情報は、一度接した名前や記号、史実などの各種データを覚えて、それを思い出す学習である。知的技能の学習には未知の例を用いるのに対して、言語情報では覚えるべきことをすべて与えておく必要がある。言語情報の学習課題が「覚える」ことにあるといっても、ただやみくもに意味もわからず覚えることを意味するわけではない。記憶に焼き付けるというよりは、頭の中に整理して位置づけることをイメージするとよい。

言語情報の学習を支援する外的条件としては、新しい情報を提示する前に、それを今までの知識の中に組み込むための準備をしておくことが有効とされている。今までに知っていることとの共通点や類似点、あるいは相違点を大枠の中で示すことで、子どもがそれまでの学びで獲得した情報ネットワークに新しい情報が意味をもつ形で追加される効果をねらった方略である。この提案は、仏教のことを学ぶアメリカの子どもに、より身近なキリスト教のことを思い出させて、比較対照しながら対応関係を学ばせると単なる丸暗記にならないとする研究成果(オーズベルの先行オーガナイザ & )などに基づいている。ガニェの言葉で言えば、すでに知っているキリスト教のことを思い出させるのが事象3の前提事項を思い出させることにあたり、それとの比較対象で仏教を導入する工夫は事象5の学習の指針を与えることに相当する(
第2章参照)。

言語情報の学習では、知的技能のような学習の順序性が必ずしも明確ではない。例えば地理で、どの地域を先に学習しても特別支障はない。英単語の場合も、どの単語から覚えても大差ない。だから、不得意な部分を残してもそれが次の学習に直接悪影響を及ぼす危険性は少ない。しかしそれは同時に、言語情報の学習が相互関係を無視してバラバラに行われる恐れがあることを示唆している。地理の学習では、前に習った地域と今度の地域の類似点や相違点を強調したり「地域の特徴をとらえる枠組み」を各地域で取り上げるなどの工夫により、類似点や相違点を強調しながら頭の中の情報ネットワークの連結を強くすることが必要となる。

4 認知的方略(学習技能)の学習条件

認知領域の三つ目の学習成果として挙げられている認知的方略は、自らの学習を効果的にするための作戦の習得である。効果的な授業を組み立てるには、自分がどのように学習したら効果的だったかという体験に基づくのが一番確実である。自分が学ぶ苦労をした先生ほどいい教え方ができるといわれる理由はここにある。これを裏返せば、効果的な授業を豊富に経験した子どもは、どうやって勉強するのがよいかを間接的に学ぶことになる。

例えば、第2章の事象9で述べたように、復習は「抜き打ちテスト」のような形で問題を解くことからいきなり始める方が効果的である、という作戦がある。抜き打ちテストの経験を重ね、それが結果的には自分の実力を伸ばしてくれたと感じられれば、自分自身で問題を用意しておいて、忘れたと思ったころに挑戦するようになるかもしれない。反対に、抜き打ちテストは意地の悪い先生が点数に差をつけるためにやるものだと受けとめれば、効果的な復習方法を身に付ける機会を持てないまま、大人になることになる。授業の中で教師が示す学び方の作戦に多く触れることは、認知的方略を習得するための条件である。それを認知的方略として自分のものにするためには、有効な作戦として意識させること(学習方法の学習=メタ学習)も重要な鍵となる。

認知的方略の学習条件は、知的技能のそれと共通した部分があると考えられている。すなわち、学習のコツを教えてもらったら、それを自分の判断で新しい学習場面に応用していくことを積み重ねることによって、徐々に必要に応じた認知的方略が駆使できるようになる。自らの学びの方法を振り返り、何が効果的で何が失敗だったのかを時折点検させることで、学び方を工夫する態度を育てることも肝要である。認知的方略の習得を促進するための条件はまだ不明な点が多いが、自己学習力の育成が叫ばれている今日、重要性を増していることだけは確かである。

5 態度の学習条件

情意領域でガニェが扱っている態度の学習は、子どもが自分の行動を「選ぶ」という行為を支える気持ち全般を含んでおり、とても範囲が広い学習成果である。空き缶を拾う行為を選択するのは環境美化への肯定的な「態度」のあらわれであるし、算数の宿題かファミコンかの選択を迫られたときに宿題をやることを選ぶのは学習への肯定的な態度のあらわれであるとする。

態度の形成及び変容を促す条件としてガニェが注目しているのは、子ども自身の直接体験に加えて、観察学習による代理体験(バンデューラのいう代理強化 ' )というメカニズムである。いわゆる「人の振り見て我が振り直せ」である。テレビは態度の学習を促すメディアとして有効であるとされているが、それは、具体的な人間の姿とその選択行動を例示し、モデルとなった人間の行動が引き起こす結末を視聴者が代理体験できるという機能をもつからである。

放送教育の領域では、視聴する子どもと同年代の登場人物が巻き起こす事件からさまざまな態度を学ばせるきっかけをつくる道徳番組が、「人間モデル」の好例と言える。また、世界の国々あるいは時代をさかのぼってそこに生活する子どもの姿を通して共感と探求の態度を育てる社会科番組などにも態度学習の条件が見られよう。

態度の学習を支えるためには、それが個人の選択行動にあらわれるという点から、態度の意志表明にまつわるさまざまな認知的な学習成果も不可欠となる場合が多い。例えば地球環境を守る態度を育てるためには、なぜそれが今必要なのか、自分たちに何ができるのかなどを知ったり(=言語情報)、各地の取り組みの例をもとに自分たちにも応用する力(例えば牛乳パックの出し方などの手順=知的技能)を耕したりといったような、態度を行動化する知識・技能も教えなければならない。ある一定の態度を持つことを直接迫ると、強要することになりかねない。個人の意志で選択できるよう、それを支える周辺情報から迫ることが求められるのである。

また、別の観点からは、毎日の授業を受けることによって、学習への態度(勉強とは無味乾燥なものだ)、教科への態度(理科は嫌いだ)、あるいは学習方法への態度(放送番組はつまらない)などを、授業のねらいとしてそれを意識するしないにかかわらず、培っているという事実も見逃せない。認知領域の学習成果を授業のねらいとして掲げるときには、必ずその成果に対する肯定的な態度をもたせるように学習の条件を整えるべきだとする考え方(「双子の目標」という ( )もある。関心・意欲・態度が取りざたされることとも無縁ではないだろう。その際、ガニェの分類にしたがって、いつも態度の学習成果を意識しているとよいと思われる。

6 運動技能の学習条件

運動技能は、体育や技術家庭科、あるいは芸術科目での学習課題だけでなく、英語の筆記体やそろばんの指使いなども含む学習成果である。運動技能の学習の場合、単に「できるようになること」だけでなく、スピードや正確さ、スムーズさなどが要求されることが多い。

運動技能の習得を助ける条件としては、第一に、体を使っての練習を繰り返すことが挙げられる。複雑な運動の場合、それを構成するステップに分解し、ステップごとに確実に習得させてから全体をつなぐ方法が有効とされる。また、スムーズな動きを実現するために、自分がうまくできたときの様子をイメージさせて頭の中でリハーサルを行う訓練(イメージトレーニング ) という)の有効性も最近注目されてきている。

平成六年度から放送の番組「はりきって体育」は、運動技能を扱う番組であるが、筋肉を動かした練習が鍵となる運動技能の習得をテレビによって支援するのは難しい。成功へのポイントをわかりやすく提示することに加えて、できなかった子どもが徐々にできるようになっていった姿(すなわちち人間モデル)から「よしぼくもやってみるぞ」という意欲をもたせるという位置づけが成り立つ。番組の中で成功へのポイントをわかりやすく提示していることは、「これならばできそうだ」という態度学習を支える条件としても、あるいはうまくできたときのイメージをつくらせる意味で運動技能の習得を支える条件としても、有効であろう。また、実技のポイントを練習中に振り返らせてつまずきを克服させるような、再視聴のチャンスを与えることも効果的である。

7 この枠組みをどう生かすか〜教育研究の成果を共有するために〜

ガニェが提案している学習成果の五分類を紹介したが、これによって、広く知られているブルームらの分類法 * やそれらを基にして各教科等にアレンジして提案されてきた各種の目標分類の枠組みを否定しているわけではない。分類法そのものは、不断にその枠組みの妥当性が吟味され続けなければならず、現に、例えば情意領域においてガニェの分類法を踏襲し拡張を模索している例もあり , 、ガニェ自身その試みを歓迎している。

ガニェの分類法をここで紹介した意図は、むしろその分類法の精神を振り返ることにある。ガニェの分類枠は、ただやみくもに分類の数を増やすのではなく、学習を促す条件が明らかに違う場合にのみ厳選して設定されてきた。目標を分類してもそれが授業設計に活用できなければ、実践や研究をガイドする指標としては役に立たない。ねらいを分類し、評価方法を工夫することが、ねらいを達成する授業方法の検討につながらなければ、授業設計の整合性は保てない。

評価方法のみならず指導方略の差、すなわち学習を支援する外的条件の差を反映した形で目標の分類枠を提案する。同じ分類に属する学習目標については、その達成を促すために共通な条件が存在する。その共通な条件は、広く共有することができる。これがガニェの分類法の精神であると筆者は思う。ある学習課題を教えるときにとてもうまくいく方法が、なぜ成功するのか。その理由を目標の分類にしたがって、追求することができる。そして、同じ様な方法が通用するのはどの範囲なのか、異なる方法の方がふさわしいのはどこからなのかを明らかにしていく。

放送教育や視聴覚教育、あるいは教育工学といった研究領域では、教科の教育方法研究や子どもの発達段階についての研究の成果を踏まえながらも、教科や校種の垣根を越えて一般化が可能な方法論を模索してきた。一つ一つの学習課題ごとに、また一人ひとりの学習者ごとに、最適な授業の方法は違うんだといわんばかりの一回的・個別的な実践報告をただそのまま積み重ねても、研究は発展しない。もちろん厳密に言えば再現不可能な、人間相手の授業を研究対象としているのは承知の上で、研究の成果をできるだけ幅広い実践者の間で共有しようとする姿勢をもっていたい。他の単元、他の教科、他の学年、他の校種に応用されてこそ「放送教育」という研究領域の存在価値があるのではなかろうか。放送という切り口を通して、あるいはその他のメディアを使う研究として、教育研究の成果を広く共有するための枠組みを意識的に確立していく。そんな目で、もう一度ガニェの分類枠を見直してもらえれば幸いである。

〈注〉
"
第4章で詳しく取り上げる。
# 知的技能の下位分類については本書では詳しくは取り上げない。訳本では、ガニェ、R・M著、**訳(一九八二)『学習の条件(第三版)』学芸図書の第五章から第七章やガニェ、R・M、ブリッグス、J・L著、持留訳(一九八六)『カリキュラムと授業の構成』北大路書房の第四章に詳しい解説がある。
$ 初期の認知領域のみの分類枠(ガニェ著、吉本・藤田訳(一九六八)『学習の条件(初版)』文理書院)では、課題の難易度に基づく八段階の分類が提案されていた。日本では、今日でもこの分類が紹介されることがあるが、現在のガニェの五分類は初期のものとは全く異なるものになっている。
% 学習階層(ヒエラルキー)については、ガニェ、R・M、ブリッグス、J・L著、持留訳(一九八六)『カリキュラムと授業の構成』北大路書房の第六章に詳しい。
& オーズベルの先行オーガナイザについての研究は、たとえば永野・東(編著)(一九七九)『教育学講座5 教授・学習・評価』学習研究社、八三〜八六頁に紹介されている。
' バンデューラの人間モデリングと代理強化については、たとえば東他(編)(一九七九)『新教育の事典』平凡社、一五二頁に紹介されている。専門書としては、次のものがある。
・バンデュラ、A著、原野監訳(一九七九)『社会的学習理論〜人間理解と教育の基礎〜』金子書房
・祐宗省三他(編)(一九八五)『社会的学習理論の新展開〜Bandura in Japan〜』金子書房
( 双子の目標は、ブリッグスとウェージャーによる命名(Twin objectives)。詳しくは、鈴木克明(一九九四)「もう一つの授業設計」『AV−SCIENCE』十二〜十六頁を参照。
) イメージトレーニングについては、***************などを参照。
* B・S・ブルームらの分類枠(認知・情意・運動領域の枠組み)を紹介したものには、たとえば次のものがある。
・中野照海(編著)(一九七九)『教育学講座6 教育工学』学習研究社、五六〜五九頁
・東他(編)(一九八八)『現代教育評価事典』金子書房、三二三〜三二六、三五九〜三六一、四八〇〜四八二頁
・梶田叡一(一九九二)『教育評価(第二版)』有斐閣
, Martin, B. L., & Briggs, L. J. (1986). The affective and cognitive domains: Integration for instruction and research. Educational Technology Publications, U.S.A.


■チェックポイントのチェック(フィードバック)■
1 例えば態度の育成をねらっている授業、あるいは知的技能の授業というふうに分類枠をあてはめたとき、教科や校種を越えて、実践報告の共通点が見えてきます。放送教育の研究では、自分の担当する教科や学年とは異なる領域の実践に触れることができます。そこから何が参考にできるかを考えるとき、「どんな性質の学習課題か」に着目して異教科・異学年の実践相互の共通点を模索しようとするガニェの分類枠の精神が生かされることになると思います。

2 実践研究の成果を発表するとき、それが同じ学年で同じ教科を教えている他の教員の参考にならなければ発表する意味がありません。でもそれだけでは寂しい気がします。こういう授業をしたらこうなりました、という報告にとどまらずに、うまくいったのは恐らくこういう理由からだと思われる、という所まで言及したいものです。それが「実践報告」と「実践研究」の違いかも知れません。報告を研究にする一つの足掛りとして、ガニェの分類枠に当てはめてみることを勧めます。