第2節 マルチメディア教材の変遷




1.はじめに

 マルチメディアとは何だろうか。視聴覚教育の領域などで使われてきた「多メディア」や「メディアミックス」とどこがちがうのだろうか。この節では、まず、歴史に残る二つのマルチメディア教材を紹介し、その違いから現在用いられているマルチメディアという用語が「多メディア」を表わさないで、むしろコンピュータへの収束を意味することと「多メディア」も悪くないことを確認する。

2.世界初のマルチメディア教材「ミミ号の航海」

 「ミミ号の航海」(The Voyage of Mimi)は、米国バンクストリート教育大学によって制作された鯨の生態調査の冒険物語を軸にしたマルチメディア教材である。1981年アメリカ教育省の公募による理科・数学教育用のマルチメディア教材開発で選ばれ、開発に40ケ月、約7億円の補助を受けて1984年に完成した。対象は小学校4年生から中学2年生で、学校での使用を前提に開発され、今日でも広く活用されている。単に知識を教え込むのではなく、科学的探求の過程や科学的方法を用いることを重視し、「科学する」ことに力点をおいた。制作を指揮したサミュエル・ギボン(数理教育プロジェクト長)は元「セサミストリート」のプロデューサーであった(飯吉、1989;浜野、1988)。

 「ミミ号の航海」は、様々な教育メディアを有効に組み合わせてパッケージ化した教材であり、「世界初の本物のマルチメディア教材」との宣伝文句が用いられた(浜野、1988)。パッケージは、主幹メディアのテレビドラマシリーズを中心に、テレビドキュメンタリー、教科書、掛け図、コンピュータソフトなど表3—2に示す教材群からなっていた。


表3—2.「ミミ号の航海」のマルチメディア教材群

[1]テレビドラマ(15分番組13本)
 帆船ミミ号が鯨の調査を目的に北大西洋を航海。途中無人島に難破したりするものの、最後には無事帰路に向かうという冒険物語。科学的課題を現実的で興味深い「鯨の生態調査」という文脈に埋め込むためのストーリー性を提供している。登場人物は、おじいさん船長、女性海洋学者と女性助手(聴覚障害者)、男性高校教師とその女子生徒レイチェル、黒人高校生アーサー(コンピュータに強い)、そして主人公CT(船長の孫の男子中学生)。
[2]テレビドキュメンタリー(10分番組13本)
 ドラマの登場人物であるアーサー、レイチェル、CT役の役者が毎回博物館や研究所に科学者を訪ね、現場からのリポート、インタビュー、実験の模様などを報告する。「15才のレイチェルがなぜ車を運転しているか不思議に思っているでしょう。私レイチェル役のメアリータナー、本当は20才なんです」と現実世界のドキュメンタリーであることを知らせている。
[3]テキスト
 テレビドラマとドキュメンタリーの内容を豊富なカラー写真と絵を用いて説明、教室で行う課題も合わせて提示している。教師用の手引書もある。
[4]壁掛けやチャート類
 教室で使う地図、海図、海洋動物などの壁掛け教具類がついている。
[5]コンピュータソフト(4本、AppleII用)
 ●「海図と航海術」
 海底に沈んでいる金塊を航海図を頼りに捜し当てる「海賊の金塊」、台風の進路を避けながら目的地の島に船を誘導する「ハリケーン」、海上で遭難している船を標識信号電波(ビーコン)を手がかりに救助する「海で遭難」という3本のソフトと、そこで学んだことを生かしてトロール船の網に引っかかってしまった鯨を助けに行く応用編の「救助任務」からなっている。
 ●「鯨とその環境」(音と光と温度の実験センサー付き)
 各種のセンサーをコンピュータに接続し、多目的計測装置としてコンピュータを使って実験を行う。使用する装置やソフトはテレビドラマで使われているものと全く同じもので、テレビの主人公になった気分を味わえる。
 ●「生態系シミュレーション」
 食物連鎖のシミュレーションにより生態系の基本を学ぶもの。ふくろう、熊、七面鳥、兎、青虫、野苺などの9種類の陸に棲む動植物から4つを選び、バランスよく生態系が維持できればつぎに同様に池に棲む9種類に挑戦する。続いて、選ばれた8種類の動植物が生息している無人島に漂流した3人が島の生態系を維持しながら生き延びるゲームが用意されている。選んだ行動によって変化する島の動植物の増減がグラフで表示される。
 ●「コンピュータ入門」
 Logoのコマンドを使って船を操り鯨を探しに行くゲーム「鯨探し」、亀を動かして餌を食べて歩く「タートルステップ」、自由な図形を自由に描く「おえかきボード」など。
[6]パソコン通信
 ミミ号の航海の利用を支援し、教師同士がアイディアを交換できるように、パソコン通信のホスト局が開設された。ミミ号の航海を使った公開授業の案内も掲示された。



「ミミ号の航海」を利用した教師へのインタビューでは、熱狂的な意見が多数得られたことを佐賀(1989)が次のように報告している。教師にとっても子どもにとっても魅力のある教材だったこと。ビデオとコンピュータは、両方とも子どもたちが好きなものでそれを統合したことの効果。18年間教師をやってきて最高のもの。データを記録したりするのに複数の子どもの共同作業を必要とするなど、グループ作業を促したこと。相互に補強し合っている異なったアプローチが違った仕方で彼らの想像力に火をつけ、どの子どもにも科学を楽しむチャンスを与えたこと。ビデオを最初は楽しむため、2回目は特定のものを捜し出させるために2回見せた利用法。「教室における教師の役割を変えた。ミミを使うと黒板に向かっていない。彼らが興味を持ったことに入り込んでいくのを助ける促進者になる」。「ミミ号の航海」は全米の公共放送局がこぞって放送し一世を風靡した後、今でもその活用が続いている。

3.「ミミ号第2の航海」と「パレンケ」

 「ミミ号第2の航海」は、大成功を収めた「ミミ号の航海」の続編としてバンクストリート教育大学によって1985〜1987年に制作された。教育省と全米科学財団から10億円を越える補助を受けた。

 基幹となったテレビドラマ(15分番組12本)では、ミミ号が海底の発掘調査(スキューバダイビング)のために考古学者にチャーターされ、ユカタン半島(メキシコ)のマヤ遺跡「パレンケ」を訪ね、マヤの文明、考古学、関連した科学的事象を学ぶというストーリーを展開する。登場人物は、ミミ号のおじいさん船長と13才になった孫息子CT、片足の女性スキューバダイバーのペパー(船長の戦友の娘、実生活では障害者スキーの全米代表選手であることをドキュメンタリーで紹介)、アメリカ人女性黒人考古学者テリーと11才になる娘キチェ、そして、共同研究者でメキシコ人男性のビクターである。

 マルチメディア教材の構成は「ミミ号の航海」の手法を引き継ぎ、基幹メディアのテレビドラマに加え、片足の女性スキューバダイバーの実生活における義足や手術までの経緯を紹介したり、3年前に訪ねた研究所を再訪問するなどのドキュメンタリー、テキスト、壁掛け図(メキシコの地図、マヤ遺跡図など)、コンピュータソフト(マヤ文明が優れた天文学を持っていたことにつなげた太陽と地球と月の相互関係を扱うシミュレーション「サンラボ(太陽実験室)」や、自分たちで考えた人工的な数体系もつくることができるマヤ文明の20進法についてのソフト「マヤマス(マヤの数学)」)などの様々な教育メディアを有効に組み合わせてパッケージ化した。

 このときに、民間機関からの資金でビデオディスク教材「パレンケ」(IBM-PC用)があわせて試作された。子どもたちが家庭で使う光ディスクのひな形をつくることを目的とし、子どもたちが自分の興味で探索するマルチメディアデータベースを構築するために、DV—I(デジタルビデオインタラクティブ)圧縮技術でCD—ROMに1時間分の動画が記録できる方式を採用。動画、静止画、文字情報を全てコンピュータ画面(モニタ)を通して検索するシステムを実現した(飯吉、1989)。テレビドラマの主人公CTによるソフトの内容や使い方の説明からはじまる「パレンケ」には、表3—3の機能が用意されていた。


表3—3.「パレンケ」の主な機能
● 探索モード
 (テレビゲームでおなじみの)ジョイスティックを使って、パレンケ遺跡を仮想的に歩き回れる機能。行きたい場所や方向を指示することで、360度の視野を見渡したり、遺跡の周辺を一周したり、遺跡内部の階段を下ったりできる。動くデジタル画像(2000枚収納)が表示され、臨場感あふれる遺跡見学の疑似体験ができる。
● 博物館モード
 「地図の部屋」「歴史の部屋」「マヤ言語の部屋」「熱帯雨林の部屋」のテーマに沿った4つの部屋がある。マウスで、文字テキスト、静止画、絵、動画、音声効果、ナレーションなどのマルチメディアデータベースを呼び出せる。データは階層的に構造化されている。
● ゲームモード
 博物館の部屋には、バラバラになった遺品をもと通りに組み直すゲームが用意されている。
● シミュレーションの道具
 博物館の中で、カメラ、写真アルバム、方位磁石、カセット、魔法のフラッシュ(建造物の古代の様子を再現する機能)などの道具を使うことができる。




4.マルチメディアとは何か:「ミミ号の冒険」型から「パレンケ」型へ

 マルチメディアという用語は、使う人の専門領域や使う文脈によって様々なことを意味する。マルチという言葉は「複数」を意味しシングル(単数)でないことだから、比較的理解が容易である。問題は、メディアが何を表わすかである。

 メディアを直訳すれば「媒体」「媒介」となる。何かと何かを仲介するものを総じてメディアと言うわけだが、それが意味するものは情報の表現形態から通信伝達手段、教育機器、あるいはマスメディアまでの広範囲に及ぶ。人間がコミュニケーションするために情報を伝達する手段をメディアと呼ぶと考えれば、授業におけるメディアは、黒板、教科書、OHP、テレビ、コンピュータなどに加えて、「教師の声」も含まれる。したがって、少なくとも教科書と教師の声と黒板を用いる日常的な授業はすべて、マルチメディアを駆使しているといってよい。

 「ミミ号の航海」は、授業で頻繁に用いられてきた様々なメディアを、一つの作品としてパッケージ化し効果的な組み合わせを成功させた、歴史に残る名作である。米国教育コミュニケーション・工学会(AECT)が1994年に出版した『教育工学の定義と研究領域』(Seels & Richey, 1994)の用語集では、「マルチメディアとは、いくつかの異なるメディア上の教材の集合体、または一つより多いメディアで提示されるようにデザインされた作品である(p. 131)」と定義している。ここでのメディアとは、「教育機器」のことである。

 一方の「パレンケ」で用いられるメディア(教育機器)は、コンピュータだけである。子どもが直接コンピュータに向かい学習を進める教材であり、シミュレーション型のCAIソフトと位置付けることができる。デジタル技術を応用することで、コンピュータが従来から扱ってきた文字と数値データに加えて、音声、図形、静止画、動画情報を統合的に扱う試みであり、これを複数の情報の表現形態(メディア)を利用するという意味でマルチメディア教材と呼ぶ。『教育工学ハンドブック』(Hackbarth, 1996)では、マルチメディアを「双方向のコンピュータ技術によりいかなる順序でもアクセスできるように音声と映像の関連情報を磁気ディスクまたはCD-ROM上に集めたもの(p. 301)」と定義している。
 この場合、すべての情報がデジタル化されコンピュータを介して提示されることになるので、「ミミ号の航海」流に考えれば、用いるメディアはコンピュータ1つである。「パレンケ」では、マルチメディア情報がコンピュータに収束するので、教育機器の一元化(単一メディア化)をもたらすにもかかわらず、これをマルチメディアと呼ぶことに注意が必要である。マルチメディアという用語がコンピュータ業界で用いられるときはこの「パレンケ」型の意味で使われており、通信業界におけるデジタル化・パケット化によるマルチメディアに対応した通信サービスの一元化(ISDNなど)という場合も同じである。

 視聴覚教育では「メッセージの重ね合わせによる効果」をメディアミックス(本来の意味ではメッセージミックスが妥当)と呼ぶことがあるが、放送・通信・出版などの業界では、一つのマスメディア用に準備した情報をデジタル化することによって他のメディアに活用すること(例えば、放送番組用に取材した画像をもとにして本を出版することなど)を指してメディアミックスと呼んでいる。

5.「ミミ号の航海」以降のマルチメディア教材
 マルチメディア教材の展開とそれを支える要素技術との関連を、ガイエスキーのまとめ(Gayeski, 1996)などを参考にして、図3—10に示す。視聴覚教育の流れの中で、コンピュータの教育利用以前から考えられ、実践されていた複数のメディア利用としてのマルチメディア教材があった。「ミミ号の航海」は、その中にコンピュータをメディアの一つとして組み込んだ作品であった。

 別の流れとして、双方向性を重視したプログラム学習が1960年代から実践されており、ランダムアクセスが可能なコンピュータ技術と結び付いてコンピュータ利用学習(CAI)となって1970年代に展開した。コンピュータの世界でのマルチメディア化が進み、双方向のビデオディスク教材が1980年代に誕生し、デジタル技術と内臓CD-ROMの普及で現在のマルチメディア教材に至ることになる。「パレンケ」はこの流れを予感させる先駆者として、1987年に実現された。



(図3—10.挿入 1ページ)


 日本での先駆的な取り組みとしては、1988・1989年度に文部省補助により(財)日本視聴覚教育協会が開発した「文京文学館」がある。ビデオディスク化した既存の教育映画を基幹教材とし、814枚のカード(画面)でコンピュータ上に構築した文字、地図、イラスト、音声などの付加情報データベースを組み合わせ、仮想の「文学館」を実現した。マルチメディア教材の開発研究の雛型を確立し、研究の3・4年目には、「ハイパーサイエンスキューブ」の開発へと進展した(日本視聴覚教育協会、1989〜1991)。この研究は、これまでに蓄えられた教育映画を再生しようとする試みで、「パレンケ」型の教材を指向していた。

 1990年度には、NHK学校放送番組部とアップルコンピュータジャパンが「人と森林」を共同制作した。ハイビジョンの特性を生かした番組を中心に、ハイビジョンからの電子印刷で制作した教科書、番組の部分視聴と関連映像資料の検索を可能にしたマルチメディア学習システムなどを試作した(日比、1990)。「人と森林」は、「ミミ号の航海」型の作品であり、子どもからのマルチメディア情報の発信を援助する機能が試みられた。タッチパネルを採用し、強調したい画面部分になぞった線が残る機能や、提供されている静止画や動画に自分たちで取材したビデオや写真も追加しながら映像レポートを自作する機能が用意されていた。「人と森林」を用いた実践研究も活発に行われた(木原・水越、1992)。

 アメリカにおいては、「ミミ号の航海」に匹敵するほどの影響力をもった作品は現われていないものの、数多くのマルチメディア教材が開発されている。なかでも、バンダービル大学によって開発された算数教材「ジャスパー冒険物語シリーズ」は、構成主義学習観に基づく新しいタイプの試みとして注目を集めている(鈴木、1995b)。「ジャスパー」は1991年度から全米科学財団などからの資金提供を受けて開発されたビデオディスク教材で、1996年現在でビデオディスク2枚組の教材が5シリーズ市販されている。子どもたちが冒険物語の主人公になりかわって、算数技能を必要とする問題をグループで試行錯誤しながら解決していく学習が展開する。子どもたちの探索的な学習活動を支援するさまざまな工夫や、側面からの支援する教師へのアドバイス、また算数の問題解決場面から社会科や理科的な内容へと展開する横断的・総合的学習の核としての利用方法など、これからのマルチメディア利用への示唆に富む研究成果が次々と発表されている。

 日本における最近の作品としては、NHKスペシャル「驚異の小宇宙・人体」をCD-ROM化して1996年に発表された作品「マルチメディア人体」が注目に値する。豊富なCG映像資料を駆使し、多彩な顔ぶれの開発研究チームによる4年間にわたる研究結果を集大成したものである。細胞、器官、調整システム、健康維持、病気診断をテーマにした5種類のナビゲーションゲームを収録した「ダ・ヴィンチを救え」と子どもなりの個性的な情報の検索・解釈・伝達を支援する機能を盛り込んだ百科事典「ダ・ヴィンチの書」の2枚組CD-ROMとして市販され、高い評価を受けている。作品そのものはもとより、開発の経緯と理念を紹介した『マルチメディアデザイン論』(飯吉・菊江、1996)は多くの示唆に富む。

6.マルチメディアのこれから

 「ミミ号の航海」型から「パレンケ」型に進化してきたマルチメディアは、今新たな局面を迎えている。コンピュータへの収束傾向はコンピュータの高速化とデジタル技術の進歩により年々高まっている一方で、何が本当のマルチメディアで何が疑似的なマルチメディアかの境界が見えなくなりつつある。

 コンピュータサイドからの久保(1996)の次の指摘は、マルチメディアの「パレンケ」から「ミミ号の航海」への疑似的な回帰現象を示唆している。
マルチメディアという言葉は本来、文字、音声、映像、などの知覚メディアを複数同時に扱う技術を指していた。しかし、コンピュータが、新聞、雑誌、写真、映画、ラジオ、テレビ、さらには電話など、さまざまなメディアを代行してくれるようになり、コンピュータそのものがマルチなメディアとなって立ち現われる。今やコンピュータは、マルチ「メディア」となったのかもしれない。(久保、1996、p.204-205)
 「ミミ号の航海」と「パレンケ」を技術的に比較すれば「パレンケ」の方が格段に進んでいたし、マルチメディアという言葉はこの意味で用いられるのが普通である。CD-ROMプレーヤーがパソコンに標準的に装備されるようになり、またCD-ROMを自作できるCD-ROMライターの低価格化も進み、CD-ROMに代わる次世代のデジタル記憶媒体として注目を集めるDVD(デジタルビデオディスク)も製品化された。今後も、様々な形でデジタル化されたマルチメディア情報が提供されることになるし、また教室からの情報発信も情報のデジタル化によってより容易になる。この環境の変化を有効に利用する道を模索することは大切である。

 一方で、「ミミ号」は教室利用、「パレンケ」は自宅利用を念頭に開発されたことを思い起こす必要がある。このことがたとえば「教師の声」というメディアの存在、あるいはメディアになること以外の教師が果たすべき役割に与える影響は少なくない。世の中で騒がれているマルチメディアがデジタル技術を駆使したコンピュータへの収束を意味するからといって、伝統的な機器の複数利用といった形態のマルチメディアが教育的な見地からも時代遅れであると考えるのは性急すぎる。15年前に完成した「ミミ号の航海」を現在でも活用している米国の教育実践から、新しければ良いというわけではないことを学ぶことができる。

 テレビ番組のディレクターとして「マルチメディア人体」の開発にあたった菊江は、テレビ番組での演出が「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」とお客を引き込み飽きさせないように次々とストーリーを展開する「大道香具師」であるとすれば、マルチメディアでの演出はスーパーマーケットの店長役だと指摘する。
スーパーマーケットでは、客にあれを買え、これを買えとはいわない。買うものは客が決めるのだ。店長がすることは、客が買いそうな品物を豊富にそろえ、選びやすいように陳列すること。つまり、シナリオは客が決め、演出家はその選択肢をいかに並べるかを考える。それが演出といえば演出となる。(飯吉・菊江、1996、p. 57)
 マルチメディアの利用が、「利用者が提供される情報を選択・制御できること(Tway, 1995, p. 2)」を示唆しているとすれば、授業における教師の役割は、マルチメディア教材開発における演出家のように、語り口で勝負する「大道香具師」よりも、品揃えで勝負するスーパーマーケットの店長になるのだろうか。