熊本大学大学院教授システム学専攻
目次:
8.認知主義:先行オーガナイザとスキーマ理論

◆ スキーマか文脈か ◆

もう一つ文章を読んでください。同じくブランスフォードらの実験から。今度はさっきのと違い、意味は分かるが腑に落ちない例(ブランスフォード、1972)です。

風船が破裂すれば、なにしろすべてがあまりにも遠いから、音は目当ての階に届かないだろう。ほとんどの建物はよく遮蔽されているので、窓がしまっているとやはり届かないだろう。作戦全体は電流が安定して流れるかどうかによるので、電線が切れると問題が起きるだろう。もちろん、男は叫ぶこともできるが、人間の声はそんなに遠くまで届くほど大きくはない。付加的な問題は、楽器の弦が切れるかも知れないことである。そうすると、メッセージに伴奏がつかないことになる。距離が近ければよいのは明らかである。そうすれば、問題の起きる可能性は少ない。顔を合わせている状態だと問題が少なくてすむだろう。(西林、2006、p.51-52)

この文章の意味は、次の絵を見れば「なるほど」と思えるはず。どっちにも同じ絵が出ている(た)が、残念ながら、現在はいずれもリンク切れです。

この「風船が破裂すれば、なにしろすべてがあまりにも遠いから、音は目当ての階に届かないだろう。」について、西林(2006,p.54-55から要約)は、この文章を理解するためにはスキーマと文脈(コンテキスト)の両方を駆使していると指摘している。

(a)風船に水素などを封入すれば浮力を生じる。浮力によってものを釣り上げることができる。風船は破裂すると浮力を失う。

(b)風船でスピーカーを釣り上げて目当ての階近くに持っていく。目的の階は最上階で、音楽を奏でている地上からは距離がある。

(a)はスキーマになっている既有知識、(b)は文脈から与えられる情報=>文脈によってどのスキーマを活性化させるべきかがわかる。スキーマと文脈の共同作業で文意を把握している。

なあるほどね。もう一つだけ、文脈の効果を示す例題、これも西林(2006)からの引用です。

男は鏡の前に立ち、髪をとかした。剃り残しはないかと丹念に顔をチェックし、地味なネクタイを締めた。朝食の席で新聞を丹念に読み、コーヒーを飲みながら妻と洗濯機を買うかどうかについて議論した。それから、何本か電話をかけた。家を出ながら、子どもたちは夏のキャンプにまた行きたがるだろうなと考えた。車が動かなかったので、降りてドアをバタンと閉め、腹立たしい気分でバス停に向かって歩いた。今や彼は遅れていた。(西林、2006、57-58:原典Bransford and Johnson, 1973)

とくに分からない点はなかったはず。そこで、この話に異なる二つの「文脈」をつけてみるとどうだろうか。この主人公は、「失業者」でした(文脈A)。この主人公は「株仲買人」でした(文脈B)。もう一度読み直すと、違うシーンがイメージされて、違う情報が読み取れることが体感できる(といいのだが・・・・)(例:丹念に読んだ新聞は何欄か?子どもにせがまれて困る理由は何か?)

この例は、文脈による意味の引き出しを扱ったもの。つまり、読み手が当然のこととして引き出しているものが文章に書かれているとは限らない。「行間を読む」という行為では、細かい文脈からより多くが引き出される。我々は、これまでの経験からさまざまな事例で埋められたスキーマを持っている。枠組みは同じであるとしても、そこに例として収められているものは誰一人として同じではない。さまざまな異なる解釈が生まれる(誤解も、しかり)。ここに、我々は一人ずつ現実を再構成している、という観点から学習を捉える「構成主義」への道筋がついていく(しかし、スキーマの枠組みは誰にも共通で、その枠組みに埋め込まれている事例が異なる、ということに注意が必要)。

◇ 参考 ◇