子安増生・山田冨美雄編著(1994)『ニューメディア時代の子どもたち—テレビ・テレビゲーム・コンピュータとのつきあい方—』有斐閣教育選書、176-196


1、ニューメディア時代の学びと動機づけ

「学びの意欲」につながらない好成績

「モラトリアム」「無気力・無関心・無感動の三無主義」などの言葉が流行してからしばらくたちましたが、依然として「やる気」がない若者が多いという不満の声が聞こえてきます。日本ほど子どもたちが一生懸命に勉強する国はないと言われる一方で、学校での勉強の結果として「できるようにはなるけれど、勉強が好きにはならない」という傾向が様々な調査で明らかになっています。

たとえば、1991年に国立教育研究所が発表した資料によりますと、世界の主要20ケ国の中等数学教育を調査した最近の国際比較で、日本の中学高校生の成績は世界のトップクラスを維持しているという結果がでています。しかし同時に、「数学が好きか」という質問に対して「嫌い」と答えた生徒の割合は日本が20ケ国中一番多く、他の国に比べて極端に差がついた最下位だったそうです。

<成績はトップだけれど嫌いもトップ>という調査結果をみると、「仕方がないからやっている」「やりたくないけど勉強だから」という学びにたいするイメージが育っているのではないかと危惧されます。どうやら「学習意欲を育てる」ことに成功しているとは言いがたいようです。

「学びの意欲」への社会的要請

文部省は十年に一度の割合で学校で教える内容の基準を示した「学習指導要領」を改訂しています。1992年4月から段階的に実施されている今回の改訂にあたっては、『新学力観』を打ち出し、「各教科等の評価において自ら学ぶ意欲の育成や思考力、判断力、表現力などの能力の育成を重視する」という方針を明らかにしました。

学校での子どもたちの成績などを記録する指導要録も1991年3月に改訂し、評価の観点の記述を従来の「知識・理解」「技能」「思考・判断」「関心・態度」という順序から、「関心・意欲・態度」「思考・判断」「技能・表現」「知識・理解」という順序に改めました。生涯学習の基礎を培うことを学校教育の目的として意識した結果、詰め込みによる学びへのマイナスのイメージを改め、学びへの関心や意欲を重視しなければならないという思いが込められているのでしょう。

メディアを使った学びの実現とその効果

一方で、コンピュータやマルチメディアなどの新しいメディアが学校の授業でも使われ始めて、子どもの興味関心をそそるような場面が様々な形で現実のものになってきました。目新しいものが授業に持ち込まれると、自然と子どもたちの関心を高め、興味を駆り立てるのに一役も二役もかっているようです。しかしながら、ニューメディアを使うだけで、「学びの意欲を高める」という現代の教育課題が解決できるのでしょうか?たしかに、これからの社会を生きる子どもたちが様々な機器に触れることで<馴れておく>ことは大切でしょう。子どもたちは少なくとも親や先生方よりはすんなりとニューメディアを受け入れるでしょうし、教科書と黒板だけの授業よりもテレビやコンピュータを使った授業の方が子どもに人気があるようでもあります。

様々なメディアを教育にどう生かしていくかを研究の対象としてきた視聴覚教育では、古くからラジオ、教育映画、テレビ番組、OHP、スライドなどの視聴覚教育機器の活用方法が工夫されてきました。それは、ともすると言語的表現に頼りがちになる授業を子どもたちにとって<わかりやすく>するために、次々と登場する機器をどう使ったらよいのかを模索するものでした。それと同時に、子どもたちの態度の変容、感動、興味の喚起といったいわゆる「情意領域(感じる、心の領域)」のためにメディアをどう役立てていったらよいかも問われてきました。

その結果わかったことを大胆にまとめてしまうと、(1)他のものより断然優れた、いわゆる「万能薬的な」メディアは存在しない、(2)あるメディアが他のものより効果的だった場合、大抵はそのメディアが「より目新しい」という理由による、(3)メディアの種類による差よりも、内容や構成方法の違いによる効果の差の方が大きい、というものでした。

ニューメディアについての学び:生涯学習へ向けて

高度情報化社会といわれるニューメディアの時代は、刻々と変化する時代です。テレビでも春と秋には新番組が編成され、コンピュータの機種も月刊誌のごとく更新され、世界中のニュースがところ狭しとかけめぐります。その変化への備えとして生涯学び続ける意志や態度が重要だから、一生学び続ける気持ち、つまり学習意欲を育成することが、これからの学校教育の役割であるというわけです。「学ぶ意欲を育てる」ことに対する要請は未来からの要請でもあるのです。

これからの学びは、学校という限られた手段によらず、むしろ生涯をかけて、しかも様々なメディアから直接になされることが予測されます。学びは教科書を使って先生の指導のもとに、という固定観念に縛られていると、子どもたちはニューメディア時代の学びにたいして無防備なまま学校を卒業していくことになりかねません。学校の外には、情報洪水の渦やコマーシャリズムの罠が待ち受けており、自分は何をどうやって学びたいのかも確かめないうちに、振り回されてしまうでしょう。

新しいメディアを使った学習を経験することが重要である理由の一つに、そのメディアが一体何者かを知っておくということがある、といわれています。「メディア教育」という言葉には、「メディアを使って教育する」ことと同時に「メディアについての教育をする」という意味が含まれています。子どもの立場にたって考えれば、「メディアを使いこなして学ぶためのノウハウ」を学ぶと同時に「メディア自体について見破る目」を育てて、メディアに振り回されないように準備するという意味があるのです。これまでの研究でたとえ学習効果に大差がないことが明らかであったとしても、積極的に新しいメディアを学びに生かしていくことが大切な理由は、この点にもあるのです。